DEAD OR ALIVEのピート・バーンズが亡くなられた。
知ってる人は知ってるが、知らない人は全く知らないだろう人。
80年代のDiscoシーンを駆け抜けたポップスターだ。
ディスコ・カルチャーなんてバブルと一緒に吹っ飛んだが、ボディコン・ワンレンの姉ちゃんたちと、DCブランドスーツで決めたにいちゃんたちが、週末になるといそいそ獲物を探しに朝までGOしてた場所。今で言えばクラブですか。そんなDISCOの最大手マハラジャなどで、盛り上げる時か、エンディングに必ず使われてたのが、DEAD OR ALIVEのYou Spin Me Round。
MTVによって外国ポップが身近になり、ワムとか、デュラン・デュランなんかが、アルミを履いてエアロパーツを決めた車のカーテレオから平気で流れてた時代。マイケルジャクソンやマドンナなどが表のポップスターだとしたら、デッド・オア・アライブは裏のポップスター。
ユーロビートってジャンルに入れらてしまったからか、知る人は少なかったな。同じバイセクシャルでもカルチャー・クラブのボーイ・ジョージの方がメジャーだな。
80's当時、小沢健二(ピチカートファイブ)とか南佳孝を聞いて、表参道でティラミス食ってたような人はまず知らないと思う。サザンや山下達郎を流しながら、茅ヶ崎でサーフィンしてたような人もまず知らないと思う。黒ずくめのY’sやコム・デ・ギャルソンを着こなしてた刈り上げのマヌカンたちは知ってると思う。ピンクハウスや、ジルなんかが好きな子も聞いてたはずだ。ティアーズ・フォー・フィアーズや、PET SHOP BOYSなんかが好きな人は知ってたはずだ。きみの身の回りにいるであろう、バブル時代の生き残りの人に聞いてみてくれ。
DEAD OR ALIVEのボーカル、ピート・バーンズの人気は何と言ってもそのルックス。
黒ずくめのゴシック系ともいえるコートに、スパイラルパーマのロングヘア、化粧した整った顔に片目は眼帯。
楠本まきの「KISS xxxx」とか谷村ひとしの「横須賀O.P.」なんかでも、「どう見てもピートだろこれ」ってやつが出てきてたくらいだ。
バイセクシャルで妖しい雰囲気。って言っても後年整形を繰り返し、元の状態がまったくわからない顔になっていたが。俺の中ではピートバーンズは、ボーイジョージ、マイケルジャクソン、BOAと一緒の同じ箱に入ってる。
シングル曲You Spin Me Round(アルバムはユースクエイクYouthquake)で一気に有名になったDEAD OR ALIVE。
次に出したアルバム、ブランド・ニュー・ラヴァー(Mad, Bad, and Dangerous to Know)は売れたねぇ。
Brand New Lover、Something In My House などシングルカットで売れたしね。
調子に乗って、出した次のアルバムがメドレー形式のリップ・イット・アップ(Rip It Up)。あれ?NUDEだったかな。もうだいぶ前の話だから忘れちゃったよ。これは買ってません。レンタルで借りました。
で、日本来日。(「日」がかぶってる。「【来日】とは日本に来る事なので【日本】は要りません」って校閲ガールに叱られそうだ)
プラチナチケットを当時の業界ネットワークを駆使して手に入れ、大阪城ホールまで観に行ったよ。
キャッチコピーは
「大阪城ホールがディスコになる!!」
期待して行きました。
口パクでした。
演奏はレコード(Rip It Up)のままでした。
ガッカリでした。
それでも連れて行ったスタッフなんかは、喜んで踊ってたからまぁいいんだけどね。これならディスコの方が安上がりだなぁって思ってる俺。
せめて演奏音源だけでも新たにミックスダウンしたやつを使うとかしてくれればいいのにね。Rip It Upはメドレーのアルバムなんだからさ。いくらなんでもフェードしたってばれるよ。
マドンナが来て、マイケルジャクソンが来て、それからいろんな洋楽アーティストが来日公園した。結構いろいろ見に行ったんだが、口パクも結構あったな。演奏もバンドの音じゃなくてレコード音源だったりね。
そういやボン・ジョヴィも口パクだったな。ベイシティローラーズじゃないんだからよ。
当時は日本はなめられてたんだね。CHEAP TRICKやQUEENは日本ありがたがってくれたのにね。バブル時だったから金にあかせて連れてきたのかね。
マドンナは西宮球場(あれ大阪球場だったけ)のステージを縦横無尽に踊って走り回ってるのに、ボイオケさえ一切使わなかったし、演奏も生バンドでの演奏だった。
なのに、ピートよ、君は口パクか・・・。
話がだいぶそれてしまったが、ピート・バーンズさん、ご冥福お祈りします。
また一人、好きなアーティストがいなくなった。
知ってる人は知ってるが、知らない人は全く知らないだろう人。
80年代のDiscoシーンを駆け抜けたポップスターだ。
ディスコ・カルチャーなんてバブルと一緒に吹っ飛んだが、ボディコン・ワンレンの姉ちゃんたちと、DCブランドスーツで決めたにいちゃんたちが、週末になるといそいそ獲物を探しに朝までGOしてた場所。今で言えばクラブですか。そんなDISCOの最大手マハラジャなどで、盛り上げる時か、エンディングに必ず使われてたのが、DEAD OR ALIVEのYou Spin Me Round。
MTVによって外国ポップが身近になり、ワムとか、デュラン・デュランなんかが、アルミを履いてエアロパーツを決めた車のカーテレオから平気で流れてた時代。マイケルジャクソンやマドンナなどが表のポップスターだとしたら、デッド・オア・アライブは裏のポップスター。
ユーロビートってジャンルに入れらてしまったからか、知る人は少なかったな。同じバイセクシャルでもカルチャー・クラブのボーイ・ジョージの方がメジャーだな。
80's当時、小沢健二(ピチカートファイブ)とか南佳孝を聞いて、表参道でティラミス食ってたような人はまず知らないと思う。サザンや山下達郎を流しながら、茅ヶ崎でサーフィンしてたような人もまず知らないと思う。黒ずくめのY’sやコム・デ・ギャルソンを着こなしてた刈り上げのマヌカンたちは知ってると思う。ピンクハウスや、ジルなんかが好きな子も聞いてたはずだ。ティアーズ・フォー・フィアーズや、PET SHOP BOYSなんかが好きな人は知ってたはずだ。きみの身の回りにいるであろう、バブル時代の生き残りの人に聞いてみてくれ。
DEAD OR ALIVEのボーカル、ピート・バーンズの人気は何と言ってもそのルックス。
黒ずくめのゴシック系ともいえるコートに、スパイラルパーマのロングヘア、化粧した整った顔に片目は眼帯。
楠本まきの「KISS xxxx」とか谷村ひとしの「横須賀O.P.」なんかでも、「どう見てもピートだろこれ」ってやつが出てきてたくらいだ。
バイセクシャルで妖しい雰囲気。って言っても後年整形を繰り返し、元の状態がまったくわからない顔になっていたが。俺の中ではピートバーンズは、ボーイジョージ、マイケルジャクソン、BOAと一緒の同じ箱に入ってる。
シングル曲You Spin Me Round(アルバムはユースクエイクYouthquake)で一気に有名になったDEAD OR ALIVE。
次に出したアルバム、ブランド・ニュー・ラヴァー(Mad, Bad, and Dangerous to Know)は売れたねぇ。
Brand New Lover、Something In My House などシングルカットで売れたしね。
調子に乗って、出した次のアルバムがメドレー形式のリップ・イット・アップ(Rip It Up)。あれ?NUDEだったかな。もうだいぶ前の話だから忘れちゃったよ。これは買ってません。レンタルで借りました。
で、日本来日。(「日」がかぶってる。「【来日】とは日本に来る事なので【日本】は要りません」って校閲ガールに叱られそうだ)
プラチナチケットを当時の業界ネットワークを駆使して手に入れ、大阪城ホールまで観に行ったよ。
キャッチコピーは
「大阪城ホールがディスコになる!!」
期待して行きました。
口パクでした。
演奏はレコード(Rip It Up)のままでした。
ガッカリでした。
それでも連れて行ったスタッフなんかは、喜んで踊ってたからまぁいいんだけどね。これならディスコの方が安上がりだなぁって思ってる俺。
せめて演奏音源だけでも新たにミックスダウンしたやつを使うとかしてくれればいいのにね。Rip It Upはメドレーのアルバムなんだからさ。いくらなんでもフェードしたってばれるよ。
マドンナが来て、マイケルジャクソンが来て、それからいろんな洋楽アーティストが来日公園した。結構いろいろ見に行ったんだが、口パクも結構あったな。演奏もバンドの音じゃなくてレコード音源だったりね。
そういやボン・ジョヴィも口パクだったな。ベイシティローラーズじゃないんだからよ。
当時は日本はなめられてたんだね。CHEAP TRICKやQUEENは日本ありがたがってくれたのにね。バブル時だったから金にあかせて連れてきたのかね。
マドンナは西宮球場(あれ大阪球場だったけ)のステージを縦横無尽に踊って走り回ってるのに、ボイオケさえ一切使わなかったし、演奏も生バンドでの演奏だった。
なのに、ピートよ、君は口パクか・・・。
話がだいぶそれてしまったが、ピート・バーンズさん、ご冥福お祈りします。
また一人、好きなアーティストがいなくなった。