以前、日本国内の米軍基地に、オスプレイが配備されることになった時、大きな反対が沸き起こった。
オスプレイは、過去に何度も墜落事故を起こしており、これが配備されれば、演習中にも墜落が起きるかも知れない。
「日本国民を危険に晒すな」
マスコミの論調は、概ねそのようなもので、国民もまた、それに違和感なく同意していた。
「傲慢で、血も涙もなく、日本人のことなど露ほども気にしないアメリカ政府およびアメリカ軍が、強行的にオスプレイの配備を推し進めている」というわけだ。
でも小生は、「これってなんかヘンだ」と思っていた。
仮にオスプレイが墜落したとして、必ずしも日本人の上に落ちてくるとは限らない。空き地や道路や河川、無人の建物など、人がいない所に落ちるかも知れない。というか、可能性としてはそちらのほうが高いかも知れない。つまり、墜落しても、必ずしも日本人が死傷するわけではないのだ。
だが、オスプレイの乗組員は、ほぼ間違いなく死ぬ。だからこそ“未亡人製造機”の異名を取るわけだ。
だから、日本人よりも、アメリカ軍の隊員の方が、オスプレイの配備をしてほしくないはずなのである。
では、米軍の上層部はどうだろうか。
命を落としかねない輸送機に、現場の隊員が乗り込まなくてはいけない、ということは、当然士気の低下につながる。上層部との信頼関係も損なわれかねない。
だから、上層部も本心では、オスプレイの配備に反対のはずだ。
じゃあ、アメリカ国民はどうだろう。
アメリカ国民は皆、少なからず軍の隊員に敬意を抱いている。身を挺して自分達を守ってくれている、我々のヒーローだ、と。
そのヒーローに対して、危険な輸送機に乗ってほしいなど、思うはずもない。隊員の中に、家族や友人がいる者だっているだろう。
アメリカ国民もまた、オスプレイを望んでいない。
ではでは、アメリカ政府は?
米軍内は士気が下がる。国民からは反発が起こる。それは当然、政府の支持率低下を引き起こす。
だからアメリカ政府も、オスプレイを使いたくないはずなのだ。
米軍も、アメリカ国民も、アメリカ政府も、誰もオスプレイを望んではいない。
なのに、配備が進められている。
一体なぜ?
この疑問ももとよりなのだが、それより、少し想像力を働かせれば、簡単に気づくであろうこの疑問に、日本国民のほとんどが全く気づいていない、というのが、小生には不思議でしょうがなかった。
ただ、「被害者の日本」対「加害者のアメリカ」という、単純な二項対立の図式で語られるのみだったのである。ひょっとしたら、論壇誌あたりにはその辺の事情に突っ込んだ記事が出ていたのかもしれないが、大手マスコミでは全くと言っていいほど触れていなかった。
小生は、おそらく「軍産複合体によるゴリ押し」があるのではないかと睨んでいた。
オスプレイの製造を行う軍需産業のCEOあたりが、ホワイトハウスの中枢に入り込んでいて、自社の利益のために、強権的に配備を推進しているのではないか、と。
しばらくして、オスプレイ騒動が落ち着いたころ、報道ステーションが、その核心に迫っていた。うろ覚えなのだが、オスプレイは、開発段階から多額の資金を投じており、欠陥が発覚しても、事業として後戻りできなくなっている、とのことだった。
推測は、当たらずとも遠からじであったようだ。
この、旧聞に属する話題を、しかもオスプレイの運営に何の影響も与えない文脈であるにも関わらず、あえて書き記しているのは、想像力の大切さを訴えるためだ。
本当は、日本よりもアメリカの方が、オスプレイを配備したくない。その事実に気付くのは、そんなに難しいことじゃない。ほんの少しの想像力があれば足りることである。
想像力を用いて、「被害者の日本」対「加害者のアメリカ」という定見から脱することができれば、これまでにはない問題解決のヒントを得ることができるかも知れない。
そんな、新しい視点を獲得するための訴えなのである。
オススメ関連本・内田樹『街場のアメリカ論』文春文庫
オスプレイは、過去に何度も墜落事故を起こしており、これが配備されれば、演習中にも墜落が起きるかも知れない。
「日本国民を危険に晒すな」
マスコミの論調は、概ねそのようなもので、国民もまた、それに違和感なく同意していた。
「傲慢で、血も涙もなく、日本人のことなど露ほども気にしないアメリカ政府およびアメリカ軍が、強行的にオスプレイの配備を推し進めている」というわけだ。
でも小生は、「これってなんかヘンだ」と思っていた。
仮にオスプレイが墜落したとして、必ずしも日本人の上に落ちてくるとは限らない。空き地や道路や河川、無人の建物など、人がいない所に落ちるかも知れない。というか、可能性としてはそちらのほうが高いかも知れない。つまり、墜落しても、必ずしも日本人が死傷するわけではないのだ。
だが、オスプレイの乗組員は、ほぼ間違いなく死ぬ。だからこそ“未亡人製造機”の異名を取るわけだ。
だから、日本人よりも、アメリカ軍の隊員の方が、オスプレイの配備をしてほしくないはずなのである。
では、米軍の上層部はどうだろうか。
命を落としかねない輸送機に、現場の隊員が乗り込まなくてはいけない、ということは、当然士気の低下につながる。上層部との信頼関係も損なわれかねない。
だから、上層部も本心では、オスプレイの配備に反対のはずだ。
じゃあ、アメリカ国民はどうだろう。
アメリカ国民は皆、少なからず軍の隊員に敬意を抱いている。身を挺して自分達を守ってくれている、我々のヒーローだ、と。
そのヒーローに対して、危険な輸送機に乗ってほしいなど、思うはずもない。隊員の中に、家族や友人がいる者だっているだろう。
アメリカ国民もまた、オスプレイを望んでいない。
ではでは、アメリカ政府は?
米軍内は士気が下がる。国民からは反発が起こる。それは当然、政府の支持率低下を引き起こす。
だからアメリカ政府も、オスプレイを使いたくないはずなのだ。
米軍も、アメリカ国民も、アメリカ政府も、誰もオスプレイを望んではいない。
なのに、配備が進められている。
一体なぜ?
この疑問ももとよりなのだが、それより、少し想像力を働かせれば、簡単に気づくであろうこの疑問に、日本国民のほとんどが全く気づいていない、というのが、小生には不思議でしょうがなかった。
ただ、「被害者の日本」対「加害者のアメリカ」という、単純な二項対立の図式で語られるのみだったのである。ひょっとしたら、論壇誌あたりにはその辺の事情に突っ込んだ記事が出ていたのかもしれないが、大手マスコミでは全くと言っていいほど触れていなかった。
小生は、おそらく「軍産複合体によるゴリ押し」があるのではないかと睨んでいた。
オスプレイの製造を行う軍需産業のCEOあたりが、ホワイトハウスの中枢に入り込んでいて、自社の利益のために、強権的に配備を推進しているのではないか、と。
しばらくして、オスプレイ騒動が落ち着いたころ、報道ステーションが、その核心に迫っていた。うろ覚えなのだが、オスプレイは、開発段階から多額の資金を投じており、欠陥が発覚しても、事業として後戻りできなくなっている、とのことだった。
推測は、当たらずとも遠からじであったようだ。
この、旧聞に属する話題を、しかもオスプレイの運営に何の影響も与えない文脈であるにも関わらず、あえて書き記しているのは、想像力の大切さを訴えるためだ。
本当は、日本よりもアメリカの方が、オスプレイを配備したくない。その事実に気付くのは、そんなに難しいことじゃない。ほんの少しの想像力があれば足りることである。
想像力を用いて、「被害者の日本」対「加害者のアメリカ」という定見から脱することができれば、これまでにはない問題解決のヒントを得ることができるかも知れない。
そんな、新しい視点を獲得するための訴えなのである。
オススメ関連本・内田樹『街場のアメリカ論』文春文庫
世界でオスプレイが危険な航空機だと騒いでいるのは、もはや日本くらいのものです
アメリカの上空も普通に飛んでいますし、オバマ大統領も乗っています
そもそも、日本に配備されてから約3年経ちましたが、重大な事故は1件も起きていません
世界規模で進められている米軍再編にとっても、航続距離が長く、速度がヘリの2倍であるオスプレイは欠かせない航空機となっています
オスプレイの登場により、米海兵隊はより空挺部隊としての性格を強くさせています
つまり、米海兵隊の性格を変えるほどの重要な航空機だと認識されています