先週今週と色々あり、
自分以外のことでも色々あり、
昨日 田舎道を歩きながら
思っていたことを書きます。
私は物心ついた時から
祖父母に育てられて
良いも悪いも昔気質なんでしょうが
人としてあるべき的な教えを
すりこまれて大きくなりました(^_^;)
ええ、こんなポンコツに大きく
育ってしまいました(・ω・)
祖母が私の手を引いて常々話していたのは、
頭垂れる稲穂のようになりなさい、と。
人は、社会的に偉くなると
感謝や謙虚さを忘れ、ふんぞり返ってしまう
けれど 本当にえらい人というのは、
あの稲穂のように頭を下げているし
人というのはそういう人に集まってくる。
私は社会的に偉くなることはないけれど
年齢は高くなるので、相手から
頭を下げられることが多くなっていきます。
そういった意味で彼女の教えを
慢心することなかれ
として肝に銘じて生きています。
慢心は、人の心を蝕みます。
すごくいい子でも どう掛け違ったのかな…
年下なんでね、まぁいつかわかるというか
私にも我を出していたけれど
いつかおさまるだろう、と思ってた節があって
結局 己の慢心によって食いつぶされてしまった。
それがあって 昨日は良い天気だのに
私の心はどんよりと曇っていました。
私の祖母は尋常小学校を家庭の事情で4年までしか
通えてないことを非常に気にしていましてね…
私に勉強しなさい、と
勉強したくても出来なかった時代があるし
勉強したくても行けなかった人がいるから、と。
勉強は不得意分野なので(笑)
祖母には申し訳ないことをしましたが
そういうことがあってかなくてか分かりませんが
学歴をひけらかす者
人として相容れない類です。
学歴を気にする人というのは
祖母に限らずドコでもいます。
証書をぶら下げているわけではないので
最後に残るのは、その人の人間性です。
今が立派なら良いんですよ。
人間生きてると色々背負ってしまうけど
社会的地位があっても学歴があっても
どうっちゃないんです。
死ねば皆、塵芥。
どう生きてどう死ぬか。
始まりは知りませんが
終わりは自分である程度調整出来るので
大好きな牡丹の華のように私は、散りたい。
自分以外のことでも色々あり、
昨日 田舎道を歩きながら
思っていたことを書きます。
私は物心ついた時から
祖父母に育てられて
良いも悪いも昔気質なんでしょうが
人としてあるべき的な教えを
すりこまれて大きくなりました(^_^;)
ええ、こんなポンコツに大きく
育ってしまいました(・ω・)
祖母が私の手を引いて常々話していたのは、
頭垂れる稲穂のようになりなさい、と。
人は、社会的に偉くなると
感謝や謙虚さを忘れ、ふんぞり返ってしまう
けれど 本当にえらい人というのは、
あの稲穂のように頭を下げているし
人というのはそういう人に集まってくる。
私は社会的に偉くなることはないけれど
年齢は高くなるので、相手から
頭を下げられることが多くなっていきます。
そういった意味で彼女の教えを
慢心することなかれ
として肝に銘じて生きています。
慢心は、人の心を蝕みます。
すごくいい子でも どう掛け違ったのかな…
年下なんでね、まぁいつかわかるというか
私にも我を出していたけれど
いつかおさまるだろう、と思ってた節があって
結局 己の慢心によって食いつぶされてしまった。
それがあって 昨日は良い天気だのに
私の心はどんよりと曇っていました。
私の祖母は尋常小学校を家庭の事情で4年までしか
通えてないことを非常に気にしていましてね…
私に勉強しなさい、と
勉強したくても出来なかった時代があるし
勉強したくても行けなかった人がいるから、と。
勉強は不得意分野なので(笑)
祖母には申し訳ないことをしましたが
そういうことがあってかなくてか分かりませんが
学歴をひけらかす者
人として相容れない類です。
学歴を気にする人というのは
祖母に限らずドコでもいます。
証書をぶら下げているわけではないので
最後に残るのは、その人の人間性です。
今が立派なら良いんですよ。
人間生きてると色々背負ってしまうけど
社会的地位があっても学歴があっても
どうっちゃないんです。
死ねば皆、塵芥。
どう生きてどう死ぬか。
始まりは知りませんが
終わりは自分である程度調整出来るので
大好きな牡丹の華のように私は、散りたい。