平成がこの4月31日で終わるにあたって、今上天皇の明仁がなし崩し的に始めた「平成流の象徴天皇制」を、「タブーなき議論」で総点検すべきであろう。
3月7日の朝日新聞『(耕論)平成流の象徴天皇』で3人の論者、近重幸哉、山口輝臣、渡辺治が、それぞれの立場で、現行憲法の「象徴天皇」を逸脱しているとの認識を示していた。ハッキリ言えば、明仁が、「国民統合の象徴」ではなく、「天皇家の存続」のために工作していた、ということである。
続いて朝日新聞は、3月21日に『皇居の森深き宮中祭祀』という吉園尚史の署名記事、3月22日に『引き継ぐ「神器」たどってきた道は』という磯村健太郎の署名記事、3月23日に『ひもとく上皇』という藤田覚の論文を載せた。
この3つとも私たちに重要な問題点を忘れないよう提起している。
まず、藤田覚の論文から論点をたどろう。
天皇を辞めた後の明仁の呼称「上皇」を、2017年に国会が特例法案で決めたのは、誤りであった。2016年のビデオ・メッセージでは、憲法の定める「象徴」に疲れてやめたいのであったのだから、ただの人になりたいはずである。国民のそれぞれが、明仁を好きなように呼べばよいだけの問題である。
藤田覚は、歴史的には、「上皇」が「太上天皇」の略称であり、「院政」、すなわち、現政権から自分の子孫を守るために、自分が新天皇の庇護者になることと結びついていた、と指摘する。
「上皇」の呼称は天皇の上に天皇を創ることになる。「象徴」であることに疲れた明仁が、「象徴」をやめ、天皇家を守る「家長」になるというのである。現行憲法の大きな逸脱である。象徴天皇制のなし崩し的変更である。
磯村健太郎は、5月1日の天皇の代替わりの儀式に「三種の神器」の引き継ぎの儀が行われる、と指摘する。73年前、米国との戦争が敗戦確実になっていくとき、天皇家の周囲が全力をかけて守ろうとしたのは、「万世一系の君主制」である。その象徴が「三種の神器」引き継ぎと「宮中祭祀」である、と指摘する。
吉園尚史は、皇居の森深く、夜な夜な執り行う宮中祭祀に国費が使われている、と指摘する。宮中祭祀は天皇家の私的行事にもかかわらず、大きな宮中祭祀には、政府、裁判所、国会の三権の長が参列するという。憲法の政教分離の原則に矛盾する怪しげな儀式が平成において常態化していたのだ。
吉園尚史のコラムのすぐ下のインタビュー記事で、宗教学者島薗進が「明治以降、欧米のキリスト教国家に対抗できる近代国家を構築するための土台として利用されたのが皇室祭祀だった。そのため祭祀が大幅に創り出され、特に神武天皇祭をはじめ万世一系を裏打ちするような先祖祭が目立った」と答えている。
まとめると、明仁は、象徴であることに疲れたといいながら、一市民に戻らず、皇居にとどまり、「上皇」を名乗ることになった。
本来は、皇居から出て、老人ホームに入居するか、熊野の山中に引きこもるかである。ところが、東京のど真ん中に居座った。
平成のあいだ、皇居のなかの明治以来の祭祀を、観光資源として観光客や一般人も見せるではなく、私的な儀式を国費で執り行った。
それは、天皇家の繁栄を願うものにすぎなかった。
改めて、天皇制そのものが いらない、と思う。