きょうは、日本の「建国記念の日」である。法律で定められた日本の祝日である。ただし、どの日が「建国記念の日」かを法律で定められているのではなく、2月11日は1966年の政令で定められたものである。
国民の祝日に関する法律には「建国記念の日」だけが、「政令で定める日」と書かれている。政令とは、日本国憲法第73条第6号に基づいて内閣が制定する命令で、行政の発する命令の中では最も優先する。それだけで、法律が政令に優先する。
だから、自民党政権が終われば、8月15日にしても良いわけだ。8月15日は終戦記念日だが祝日ではない。私の母は日本が戦争に負けて喜んだ。もう、軍人さんが威張れない国になると。
「建国記念の日」は何の日か、法律上では「建国をしのび、国を愛する心を養う」としか、規定されていない。
「しのび」とは何か、意味不明である。「しのぶ」を辞書でひくと、①我慢する、②人目につかないように身を隠す、③恋い慕う、という意味だそうである。①と②とは、漢字で「忍ぶ」と書き、③は「偲ぶ」と書く。語源が違うのである。
どうも、「建国をしのび」は「建国を偲び」で、「建国を恋い慕う」ことであるようだ。
すると「建国」とは何か。「建国」が戦後の占領状態からの「独立」とか、国民主権が「憲法」に明記された日なら、「偲ぶ」ではなく、「建国」は率直に祝う日ではないか。
このように、「建国記念の日」はとっても変な日なのである・
これは、自民党が1957年以降、9回も2月11日を「建国記念日」に制定する法案をだしたが、国会を通らなかった。「建国記念の日」と名称を変え、「建国をしのび」と何の日か曖昧にし、法律でどの日かも決めない、いびつな形にして、1966年6月25日に「建国記念の日」を祝日にする法案を自民党が国会で通した。
国民が、2月11日を「建国記念日」とすることに、反対したのは、戦前、2月11日を「紀元節」と称し、2600年前に神武天皇が日本を建設した日として、祝っていたからである。すなわち、2月11日の紀元節が天皇制の始まりの象徴であったのである。天皇家の記念日だったのである。
いっぽう、軍国主義や天皇制に反対する人たちにとって、私の親の世代のことであるが、2月11日は忌まわしい思い出の日だったのである。私の親はふたりとも老いて死んでいるので、私が代弁しているのである。
いまでも、「建国記念の日」に反対する集会が各地で開かれているが、テレビも新聞もそれを取り上げない。
現在、神武天皇がいたかどうかさえ、疑われている。多くの歴史学者はその存在を否定している。2600年前は縄文時代である。弥生時代になって、全国的に定住がすすみ、首長が各地に生まれた。しかし、日本国という概念が生まれるためには、中央集権化が進み、外国からの侵略を意識するようになってからである。
それにまして、「建国」とは、人民が何らかの革命を起こし、契約あるいは憲法のもとに政府を形成したときの行為を指す。
だから、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とは、とても奇妙で、2月11日の「紀元節」を恋い慕う、すなわち、戦前の天皇制、軍国主義体制を復帰したいとの意味しかない。
じつは、きょう、菅義偉は、『「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ』を出している。そのメッセージはつぎで始まる。
〈「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古(いにしえ)からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。〉
「建国をしのび」を「今日の我が国に至るまでの古(いにしえ)からの先人の努力に思いをはせ」と言い換えている。「国を愛する心を養う」には説明をさけている。
誰かが入れ知恵したのだろうが、「古からの先人の努力」と抽象的表現に替えられているが、明治からの天皇制、軍国主議体制を偲ぶ日と菅義偉は考えている。「長い歴史」という言葉が何度も使われているが、肯定的ニュアンスで使われており、「天皇制」への復帰を願う人たちに届くようなメッセージになっている。
私は、2月11日の「建国記念の日」を認めることができない。