猫じじいのブログ

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東京オリンピック開会式のショーが面白くなかったのはなぜか

2021-07-27 22:20:47 | 社会時評

7月23日の東京オリンピック開会式が、少しも面白そうでないので、私は整数論の問題を解くに専念し、ときどき、ちらっと見た程度である。

だいたい、スポーツの祭典のはずのオリッピク開会式で、選手やスポーツとなんの関係もないショーを、テレビ放映のためにやるのかわからない。開会式のショーは2008年の北京オリンピックからの悪い慣習ではないか。北京オリンピックのとき、中国政府は、自国の宣伝を目的に開会式に国民を動員して華々しいショーを全世界に配信した。これは、自国文化に対する中国政府のもつ劣等感の現われではないか。

東京都は、自民党・公明党政権は、開会式にショーをやって、何を世界に発信したいのか。大会の理念「多様性と調和」は何を言いたいのか、わからない。石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子、安倍晋三、森喜朗、武藤敏郎は何を考えているのか。だいたい、なぜ、元大蔵・財務事務次官の武藤敏郎が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長をやるのだ。

この「多様性」は、小池百合子が都知事に立候補するとき、diversityとcityをかけて選挙公約を述べたことによる。diversity自体は、アメリカ社会が雑多なルーツをもつことを肯定的に捉えるときの標語である。いっぽう、小池百合子の公約は、東京を国際金融シティにするというものであった。diversityを「国際的」と勘違いしていたようだ。

東京オリンピックの理念は、小池百合子に受けるように、なんにも議論することなく、それに「調和」をくっつけたことのように感じる。「多様性と調和」では、「多様性」は対立・混乱を生むもので、「調和」をはからないといけない、と言っているようにも聞こえる。

アメリカ社会で言われている“diversity”は、国民を、無理やり、ピューリタン文化にさせるのではなく、異なる文化の存在をそのままで良いと肯定し、それこそがアメリカ社会の活力を生むという考えである。だからこそ、私は「調和」と組み合わされると、えッと思ってしまう。

開会式のショーが理念「多様性と調和」とどのような関係にあるのか、誰も語っていないように思える。

東京オリンピック関係者は、開会式のショーの目的が、それより、「素晴らしい日本」の宣伝であると考えたのではないか。それが、ゲーム音楽やアニメ音楽を多用したことと関係するのではないか。これは政府から要請で流しているNHKのクールジャパンの番組と同じ日本理解である。日本は、本当に、ゲームとアニメしか誇るものはないのだろうか。

日本は農地解放が成功している数少ない国である。小作農に地主の土地を細分して分配したのである。農地解放の偉業と農業協同組合を世界に伝えてよかったのではないか。

また、ソニーのトランジスターラジオの開発や、本田のバイクから自動車開発の転身など、日本が世界の産業の先端に躍り出たときの活力を思い返しても良かったのではないか。

ノーベル賞だって受賞者がたくさんでるようになった。

それに、軍事力で国際紛争を解決しないという憲法も世界に宣伝したらよかった。

日本の何を誇るのか、日本社会で議論すると面白かったと思う。

2012年のロンドン・オリンピックの開会式のショーは、英国が世界に先駆けて国民皆保険など福祉国家を実現したことをテーマにした。日本の平和主義も世界に誇れるものである。

立命館大学の上久保誠人は、開会式のショーが面白くなかった理由を、ショーの担当者の人選に求めている。開会式の楽曲担当の小山田圭吾、総演出の小林賢太郎など、「身体検査」が甘すぎたのではないかという批判があるが、上久保は「逆身体検査」のような人選を行っていたのではないか、と、つぎのように言う。

《人権侵害、人種差別、民族蔑視などに反対してきた人や、女性、LGBT、障がい者などの権利拡大に熱心に活動してきた人たちをむしろ「言動が危険な人物」として、クリエイターの候補者から外してきたのではないか》

すなわち、自公政権に反対しない無難な人を集めて、ショーを企画したのではないか、ということである。それでは、日本が誇るものはアニメとゲーム、オタク文化となる。安倍晋三夫婦を喜ばすだけだ。開会式には安倍のオトモダチ、吉本新喜劇まで出演していた。

それでは、農地解放、トランジスタラジオの開発、ノーベル受賞者、平和憲法を世界に発信しようとする発想なんて、ショー担当者からでてくるはずがない。



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