あす、10月22日、即位の礼があるという。5月1日に即位の日があったばかりだ。祝賀御列の儀(パレード)は11月10日に行うという。
何という間の抜けた話だ。やめろ、やめろ。
昔、子どものとき、読んだマンガに、不吉なことがあると、民衆は王を殺して、王の代替わりをした、とあった。駄々っ子の昭和天皇は、戦争を起こすのを止めもせず、日本を破滅に追い込んだが、なぜか、殺されなかった。令和天皇は即位をして台風がつづけて日本を襲ったのに、宮中に閉じこもったまま、あす、即位の礼を迎える。
不吉だ。不吉だ。令和の名前がわるい。
5月1日の即位の日は、剣璽等承継の儀を行ったという。これは「三種の神器」の引き継ぎのことらしい。「三種の神器」は皇室が万世一系の象徴らしい。どうして、モノの引き継ぎが万世一系の象徴になるのだろう。理解しがたい。
島薗進によれば、「三種の神器」が日本で初めて問題になったのは、約700年前の南北朝の争いである。南朝が「三種の神器」を北朝に引き渡すことで、皇室の正統性が北朝に移った。すると、「万世一系」とは、リレーのバトンのように、「三種の神器」を長年引き継いできたことなのだ。引き継ぐ人に意味があるのではなく、引き継げば誰でも天皇なのだ。「三種の神器」の年代測定をしたらよい。
(新聞によれば、10月22日の「即位礼正殿の儀」で使う三種の神器の剣は複製品であるという。ホンモノはどこにあるのだろう。)
5月1日「即位の日」は国の祝日であったが、「即位」とは国民の象徴である天皇という役割を引き継ぐことではないのか。「三種の神器」を引き継ぐことではない。
すると、10月22日「即位の礼」に、あらためて、国民の象徴である役割を引き継ぐ儀式をするのか。
ところが、当日の「即位礼正殿の儀」とは、大正天皇が使った天井付きの台(高御座)の上に、令和天皇がのって、諸外国の要人を見下ろすことであるらしい。そして、下から安倍晋三が万歳三唱をするらしい。
これは何だ。主権者は国民だ。天皇は、国民に土下座し、先々代のバカ天皇をお許しください、これから、象徴として、ツツまやかしに暮らし、東に台風があって困っているヒトがいれば、スコップをもって泥をかき出し、西に大雨で土砂崩れが起きれば、スコップをもって泥をかき出します、と誓うべきでないか。
台の上にのって偉そうにするな。
チャラチャラした服を着るな。
ナッパ服を着ろ。
天皇なんて いらない。
恐らく大日本帝国憲法が欽定憲法であり、名目上天皇の治世とされたこと、1930年代以降の尊王運動の絡みで勘違いされているのだろうが、その時の日本であっても実際に動かしていたのは内閣であり、影響力を発した軍部であった。
教育の敗北というやつだな。