猫じじいのブログ

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失敗した黙示論者としてのイエス像を唱えるシュヴァイツァー

2019-12-02 22:53:28 | 聖書物語

「人の子」が人間たちに審判をくだす物語が書かれているのは、新約聖書の『マタイ福音書』だけである。それゆえ、アルベルト・シュヴァイツァーは、『マタイ福音書』こそ 初期キリスト教の本当の姿を伝えると考える。

彼は、アフリカでの医療奉仕で1952年にノーベル平和賞を受賞した人として多くの人に知られている。じつは、彼は牧師の息子で、「史的イエス」の研究者でもある。そして、「失敗した黙示論者としてのイエス像」を唱え、自由主義神学者のイエス像を、近代の理念で飼いならしたものであると非難した。

彼の書いた本 “Geschichte der Leben-Jesu-Forschung” は、日本語に翻訳され白水社から『イエス伝研究史』として出版された。その復刻版はとても高価だ。

「自由主義神学者」という言葉は、中傷のレッテルであって、定義そのものは、非難する人によって異なる。保守的プロテスタントからすれば、同志社大の神学部の先生たちは、自由主義的神学者となり、許されない存在となる。

シュヴァイツァーが非難したのは、19世紀末から20世紀第2次世界大戦前の革新的プロテスタントに対してである。

私からすれば、「失敗した黙示論者としてのイエス像」を唱える理由がよくわからない。もう一度彼の本を読むしかないが、「失敗した」ということは、キリスト教自体が間違っていたと言っているようにも思える。すると、彼はキリスト教の信仰を捨てたのであろうか、彼のアフリカでの奉仕活動のエネルギーはどこから来たのか、という疑問がわく。

神の国が来て「人の子による審判」は『マタイ福音書』の25章31節から46節までに書かれている。そのはじまりの4節を共同訳で下に示す。

「人の子は、栄光に輝いて天使たち(οἱ ἄγγελοι)を皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。」
「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、」
「羊を右に、山羊を左に置く。」
「そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」

カルヴァンの予定説では、「神の国を受け継ぐ人たち」は「おこない」によらず最初から決まっているが、『マタイ福音書』では、その理由を「おこない」として、続く2節に示す。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、」
「裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』」

「人の子」が貧民に、旅人に、病人に装っていたというより、一般論として弱者に対して どうふるまったかを問うている。ヨセフスの描くエッセネ派の倫理規範と同じく、困っている人を助けるかを「人の子」は問うているのだ。

それでは、左側に行ったものはどうなったのか。41節から43節を下に記す。

「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔(τῶ διαβόλῳ)とその手下(τοῖς ἀγγέλοις)のために用意してある永遠の火に入れ。」
「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、」
「旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』」

「予定説」が出てきた背景として、「おこない」が問われば、新興富裕層に都合が悪く、「平等」の概念をもカルヴァンが否定する必要があったからだ、と、フロムは『自由からの逃走』で書く。カウツキーも同様な考えを『中世の共産主義』で示している。

ところで、イエスがはりつけになっただけではなく、この『マタイ福音書』が書かれる前に、ユダヤの神殿はローマ軍によって破壊され、神はそれを妨げなかったのである。そして、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』に書いた通り、いくら待っても「人の子」は再び あらわれなかったのだ。

シュヴァイツァーが「自由主義神学者のイエス像を近代の理念で飼いならす」と言うのは、「人の子による審判」をキリスト教の教義から取り除くことをいっている。イエスが失敗した黙示論者で、神の国や審判が永遠に来ないとすると、シュヴァイツァーは何を生きる動機にしたかの謎が残る。共産主義者になればよかったのに。


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