猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

とても奇異な大統領就任式だがジョー・バイデンのスピーチは良かった

2021-01-21 08:36:09 | 国際政治
 
1月20日、これから、3時間後にジョー・バイデンのアメリカ大統領就任式が行われる。しかし、就任式の行われる首都ワシントンは2万人の州兵によって厳重な警戒が行われ、バイデンを祝福する人たちが まだそこにいない。会場の観客席には、星条旗がはためいているだけだった。
 
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1月6日、トランプ支持者たちが選挙結果を認めないという集会を首都ワシントンで開いていた。アメリカ議会での選挙結果承認を妨害する意図をもって、トランプが議事堂に向かって行進するよう呼びかけ、そのことで、議事堂内への乱入を招いた。そして、警備員に乱入したトランプ支持者4人が撃ち殺された。
 
これ自体はアメリカの分断の大きさをうかがわせる事件である。集会に参加した人数は何人で、乱入した人数は何人で、この事件の世論調査の結果はどうだったか、私は調べていない。
 
しかし、アメリカ議会は、共和党を含めてこの事件を許されないことと判断し、また、軍隊上層部やFBIなどはアメリカの憲法と民主制に忠誠を示し、議事堂乱入事件は暴徒による不法行為として扱われた。したがって、アメリカの民主主義は守られたはずである。160年前のリンカーン大統領のときのような内乱にならないはずである。
 
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しかし、これから行われるアメリカ大統領就任式に、ジョー・バイデンを祝う民衆はどこにいるのか。レディー・ガガが米大統領就任式で国歌を独唱しても、パレードもなく、ジョー・バイデンを祝福する群衆の集まりが少ないと、アメリカの民主主義の健在を私は実感できない。
 
ちょうどいま、テレビ朝日『報道ステーション』は米軍基地で行われるトランプの退任式をライブで放送している。退任式を終えたら、フロリダに大統領専用機エアフォースワンでいくのだという。
 
私は、約2万人の州兵が警戒に動員されているというだけの大統領就任式をみたくない。バイデンは身の危険があっても、多数のアメリカ国民に支持されているという演出をすべきではないか、と思う。
 
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いま、日本時間で深夜の1時45分ごろに、ジョー・バイデンの就任宣誓とスピーチが始まった。招待された人たちだけの奇異な就任式だった。祝福する群衆の代わりに、観客席では多数の小さな星条旗だけが風に吹かれ、はためいていた。まるで、激戦の後の荒廃した町のようだ。
 
しかし、バイデンのスピーチはよかった。Democracy、Unity、Constitution、Healing、Togetherを繰り返す、単純なものだが、物静かな、そして、説得するような声の調子が良い。Hear me clearlyなどのフレーズもはいり、教会での祈りを聞いているような感覚だ。
 
国民の深刻な分断のなかで、新型コロナで荒廃したアメリカが、バイデンのような静かに心から語る老人を、必要としているのだという気がしてきた。
 
彼の言葉が、コロナと分断のアメリカの国民を助けることを、祈る。言葉が、すさんだ心を癒やすよう、祈る。

菅義偉の施政方針演説は所信表明よりマシだが、細部は納得できない

2021-01-19 23:10:53 | 叩き上げの菅義偉
 
きのう(1月18日)の菅義偉の施政方針演説を官邸のホームページから読んでいるが、評価して良いのか、そうではないのか、よく分からない。総花的で項目が挙がっているが、具体的には何を意味するのか分からない。
 
確かに、世論の批判を受けて、昨年の10月26日の所信表明より変わっているところもある。本人は努力しているのだろうから、信用したい。
 
例えば、「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして『絆』です」の文面がなくなった。代わりに、彼が「四十七歳で初めて衆議院議員に当選したとき」の内閣官房長官、梶山静六からの言葉が2つ言及されている。1つは、「少子高齢化と人口減少が進み、経済はデフレとなる」から「国民に負担をお願いする政策も必要になる」である。もう1つは「資源の乏しい日本」にとって「国民の食い扶持をつくっていくのがお前の仕事だ」である。
 
所信表明の「自助・共助・公助」よりもましである。
 
また、「Go Toキャンペーン」への言及がなくなった。所信表明では、原稿のなかの見出しに、「1 新型コロナウィルス対策と経済の両立」があったが無くなった。代わりに、「新型コロナを克服した上で、世界の観光大国を再び目指します」という言葉になった。
 
施政方針演説のはじめに、「私が、一貫して追い求めてきたものは、国民の皆さんの「安心」そして「希望」です」が加わった。
 
菅義偉の演説がわかりにくいのは、「働く者の権利を守る」とか「貧富の格差をなくす」とかいう単純明快なメッセージがないことである。非正規労働者をどう守るかの言及がない。
 
いま、人材派遣会社が儲けている。人材派遣会社に対抗して、非正規労働者や失業者を臨時国家公務員にして、彼らを守ったらどうだろう。職にありつけないあいだ、国が生活費を支給する。すなわち、一種のベーシックインカムを限定された働く人たちに実施する。
 
そう思いながら、これから菅の演説の細部を吟味してみよう。
 
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施政方針演説に、「所得が低いひとり親世帯に追加で五万円、更に二人目以降の子どもについて、三万円ずつの支給を、昨年中に行いました」とあるが、支給したのはいいことだが、継続しなければ、助けにならない。どう考えているのだろうか。
 
「雇用調整助成金」に言及しているが、すでに解雇されている非正規労働者にその恩恵が届くのだろうか。
 
東日本大震災からの復興の所で、「原災地域十二市町村に魅力ある働く場をつくり、移住の推進を支援します」というが、「魅力ある働き場」をどのようにつくるのかわからない。「国際教育研究拠点」を作れば「働き場」ができるというのは幻想である。ウソもはなはだしい。
 
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我が国の長年の課題、「日本企業のダイナミズムが失われた」、「デジタル化の流れに乗り遅れ、新たな成長の原動力となる産業が見当たらない」の答えに、「グリーン社会の実現」と「デジタル改革」を挙げているが、見当違いではないか。もちろん、公務員の採用枠にデジタル職の創設に賛成だが、問題は現在の企業風土にあるのではないか。
 
「日本企業のダイナミズムが失われた」は現在の経営者に責任がある。上司が偉そうにする会社に未来がない。上司の恣意的な判断で社員を首のできるのでは、日本の企業に未来がない。社員が自由に発言する風土こそが企業のダイナミズムを導くものでないか。
 
また、「デジタル化」とはそんな難しいものではないが、そんなに役には立たない職種もいっぱいある。企業風土を変えていくことこそ、だいじなのだ。
 
「教育のデジタル化」「子どもたちの希望や発達段階に応じたオンライン教育」も見当違いである。教育で一番だいじなのは、人間を信頼する気持ちを育てることである。「オンライン」は補助的なもので、対面教育こそが重要である。
 
それより、まず、文部省の教科書検定をやめ、教育の自由化を行うべきである。また、受験とか選抜とかいう制度をしだいに廃止しないといけない。国立大学からそれを実施する。
 
「グリーン社会の実現」のため「安全最優先で原子力政策を進め」には賛成できない。「安全最優先」に技術的無理がある。無理を通せば、腐敗が生じる。
 
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「ポスト5G、6Gを巡る国際競争が過熱化する中、官民を挙げて研究開発を進め、通信規格の国際ルールづくりを主導し、フロントランナーを目指します」も意味不明である。そんなことは企業がすることである。それより、国は「若手研究人材」に安定した職を与えることである。
 
「最低賃金は、雇用にも配慮しながら継続的な引上げを図り、経済の好循環につなげてまいります」には賛成だが、「持続化補助金や手形払いの慣行の見直しを通じて、生産性の底上げを図り」は意味がわからない。どうして「見直し」が「生産性」の底上げになるのか、また、「生産性の底上げ」が「賃金の上昇へ」につながるのか分からない。
 
「国際金融センターをつくること」をなぜ掲げるのか、意味不明である。これは、技術の蓄積がない後進国のアイデアではないか。「日本には、良好な治安と生活環境、一千九百兆円の個人金融資産といった大きな潜在性があり、金融を突破口としてビジネスを行う場としても魅力的な国を目指します」には、まったく腹がたつ。普通の日本人はそんな高額の「個人金融資産」を持ち合わせていない。それとも、菅は、日本の富裕層を世界の金融業の餌食にしたいのだろうか。
 
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「農林水産業」を「地域をリードする成長産業」したいは同感であるが、「農産品の輸出」も「主食用米から高収益作物への転換、森林バンク、養殖の推進」も、その解決にならない。それよりも、農協の組織の強化ではないか。自民党は。この間の農協敵視政策をやめるべきである。
 
政府は、これ以上、「観光立国」で国民をだますべきでない。
 
「企業で経験を積んだ方々を、政府のファンドを通じて、地域の中堅・中小企業の経営人材として紹介する取組」はまったく意味がない。地元の人間が産業を興し経営するのでなければ意味がない。
 
「ふるさと納税」は即刻やめるべきである。
 
「世界に冠たる我が国の社会保障制度」は言い過ぎである。それに「世界に冠たる」はナチスの常用句である。
 
「民間企業にも、障害のある方々への合理的配慮を求めます」とあるが、政府が障害者を雇って政策企画立案に参加させることのほうが重要である。障害者は仕事を通じて自分を肯定することを求めており、形式的な雇用を求めているのではない。障害者の声を反映するため、政府や自治体は積極的に障害者を雇用すべきである。
 
「経済あっての財政との考え方の下、当面は感染症対策に全力を尽くし、経済再生に取り組むとともに、今後も改革を進めます」は意味不明。何を言いたいのか。
 
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外交安全保障で「WTOの改革を推進」が意味不明。「安全保障上重要な防衛施設や国境離島を含め、国土の不適切な所有、利用を防ぐための新法を制定」も意味不明。
 
「日米の抑止力を維持しつつ、沖縄の皆さんの心に寄り添い、・・・・・・、辺野古沖への移設工事を進めます」は、腹の立つ言いぐさである。
 
「より多くの国・地域と共に「自由で開かれたインド太平洋」の実現に取り組んでまいります」は、中国のインドや太平洋の進出阻止のことだろうか。「自由で開かれた」という言葉は自由主義陣営の言い換えではないか。
 
「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたいと思います。」とは、お笑い草ではないか。日本が世界の新型コロナ撲滅に貢献していない中で、この発言はまずい。
 
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菅義偉の施政方針演説の詳細をみると、この人はやっぱり信用できないと思う。梶山静六は菅に「お前は役人に騙される」と言ったというが、理解できる。

それでも戦争を選んだ「日本人」のディープストーリー、加藤陽子

2021-01-18 23:07:41 | 歴史を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)のタイトルが、なぜ戦争には「…」がついているのか、私にはわからない。日本人に「…」をつけるほうが自然な気がする。すなわち、『それでも「日本人」は戦争を選んだ』ほうが適切な気がする。

加藤陽子は、日本の支配者層に、とても優しい。憐れみの情を彼らにもって、日清戦争から日中戦争・日米戦争(大東亜戦争)までを振り返る。だから、『それでも戦争を選んだ「日本人」のディープストーリー』を彼女は書いている。私はすべての日本人が戦争を選んだわけでないと思うので、日本人に「…」をつけるのが適切だと思う。

第5章で、つぎの2つの問いに加藤陽子が答える。

(1)日本とアメリカには圧倒的力の差があることがわかっていたのに、どうして日本はアメリカとの戦争に踏み切ったのか。
(2)日本軍は、戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか。

(1)に対しては、2つの答えがある、と彼女は言う。第1は、日本が中国や韓国など弱い者いじめばかりやってきて心苦しかったが、強いアメリカに喧嘩を売ると決めて、気持ちがすっとしたという情動である。第2はアメリカの底力を甘く見たということである。

英文学者の伊藤整は、1941年12月8日の日本の真珠湾奇襲攻撃に、「今日は人々みな喜色ありて明るい。昨日とはまるで違う」と歓喜した。このことを、日本をこよなく愛した研究者ドナルド・キーンは、理解しがたいものとして、『日本人の戦争―作家の日記を読む』(文藝春秋)に書く。伊藤整の英文学理解はなんだったのかと問う。すなわち、キーンからみれば、伊藤は近代的自我を持ち合わせていない。国家と自己の区別がない。

加藤陽子は知的日本人の気持ちを次のように理解する。これまで、日本人が黄色人種でありながら、同じ黄色人種を殺戮してきたが、これからは白色人種と戦い、今までの罪のつぐないをするのだ、と。

バカ言うな。韓国人や中国人をこれまで殺戮してきたことが誤りで、まず、それを即刻やめるべきと、知的日本人は言うべきである。強いアメリカと戦ったからといって、罪のつぐないにはならない。

もちろん、加藤陽子は、戦後、東大総長になった南原繁が、日米開戦に驚き嘆いたことを紹介している。彼は、同じ日米開戦日の日記につぎの短歌を書きこんだ。

 〈人間の 常識を超え 学識を超えて おこれり日本 世界と戦ふ〉

無教会派の南原繁が、戦争中、新約聖書の『ヨハネの黙示録』を毎日読んで、天皇とそのとりまきへの怒りをおさめていたと、私はネットで読んだ記憶がある。『ヨハネの黙示録』はローマ帝国(大日本帝国)を神とイエス・キリストが裁く幻視の物語である。

だから、一部の「日本人」のディープストーリーに過ぎない。

第2は、日本とアメリカの国力差を当時の日本の支配層は理解していたが、日本の軍部には、長期にわたってアメリカとの戦争を準備してきたという自負があり、準備された戦力+奇襲攻撃+精神力(大和魂)で7割から8割でアメリカに緒戦で勝てると思ったという。ところが、持久戦になって、アメリカの兵器生産能力にすざましいものがあり、兵力の格差はどんどん広がった。

さて、(2)の戦争の終結のシナリオに対しては、加藤陽子はつぎのように答える。

〈相手国の国民に戦争継続を嫌だと思わせる、このような方法によって戦争終結に持ち込めると考えていた。冷静な判断というよりは希望的観測だった〉

具体的には、1941年10月に東条英機が部下につくらせた「対米英欄蒋戦争終末促進に関する腹案」は次のようなものだった。(蒋とは蒋介石の率いる中国のこと。)

〈このときすでに戦争していたドイツとソ連の間を日本が仲介して独ソ和平を実現させ、ソ連との戦争を中止したドイツの戦力をイギリス戦に集中させることで、まずはイギリスを屈服させることができる、イギリスが屈服すれば、アメリカの継戦への意欲が薄れるだろうから、戦争は終わる〉

何段階の仮定にもとづくシナリオだから、実現性は非常に薄い。したがって、緒戦でアメリカに勝てても持久戦になり、アメリカの兵器生産潜在能力の前にジリ貧にならざるをえない。

日本がヒトラー総統を説き伏せるほどのロジックを持ち合わせているとは思えない。ドイツの戦力をイギリス戦に集中しても、イギリスを屈服させることができるとは限らない。1941年には、ドイツ空軍はイギリス空軍に大敗しており、制空権を失っている。アメリカの国民は真珠湾奇襲攻撃に対する怒りを共有している。

戦前の日本の支配層は物事を論理的に考えられず、情動と希望的憶測に流される欠点をもっていた。その弱点は、「尊王攘夷」、すなわち、たよりにならない天皇を奉り、欧米と戦うのだという、大義によって増幅されたと私は思う。

幕末の内乱を生き延び、ドイツに留学もした元老の山県有朋は非常に冷静に力のバランスを考え、戦争にのめり込まないが、日清・日露戦争の神話で育った次世代(軍部と官僚)は、現実的な思考ができず、日本国内の下剋上(昭和維新)とヒトラーのカリスマ性に酔いしれていたのだと思う。

加藤陽子は「自虐史観」を語っているのではなく、劣等感にとりつかれた「日本人」のディープストーリーを優しく代弁しているのだ。

[補足]
ディープストーリー(deep story)とは、当事者だけが心の奥深くで真実と思いこんでいる物語、すなわち、妄想のことである。A.R.ホックシールドが、『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』 (岩波書店)で、ティーパーティーやトランプの支持者たちのディープストーリーを、加藤陽子のように、優しい目で描いている。

☆関連ブログ

どうして戦前の陸軍が国民の心をつかんだか、加藤陽子

2021-01-17 23:01:03 | 歴史を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)に、1930年の産業別就業人口のうち、農業が46.8%だという数字がでてくる。これは、陸軍がどうして国民の心をつかんだかを説明する4章に出てくる。

1930年の日本人口は6,445万人であるから、大ざっぱに言えば、農民が3千万人いたことになる。2010年の日本人口は12,806万人で、農業従事者が260万人である。すると、日本の人口は2倍になり、農業従事者は10分の1になったのである。これは、農業の生産性が飛躍的に伸びたことを示すのではないか。

私は農業の経験がまったくない。しかし、農業従事者がマイノリティになって、自民党にコケにされているのではないか、と思う。

自民党や農林水産省は、儲かる農業のために、農業の大規模化を唱えるが、その意味がわからない。もしそれで生産性があがるなら、農業人口はさらに縮小し、政治的にはマイノリティになる。ますます、政治から無視される。

きのう、元農林水産相の吉川貴盛が大手鶏卵業者から現金500万円の賄賂を受け取ったとして、起訴された。業者が賄賂を贈った理由は、ストレスを減らす環境で家畜を飼育する「アニマルウェルフェア(動物福祉)」に基づく国際基準案が国内業者に不利にならないように、また、政府系の日本政策金融公庫から養鶏業界への融資条件の緩和するように、であるという。

私は、この要望が鶏卵業からすればあたりまえのように思える。いまの自民党は、マイノリティの鶏卵業者は票にならないから動かない。賄賂をもらって自民党政権はやっと動く。そのうちに、自民党は賄賂をもらっても動かなくなるのではないか、と危惧する。

さて、加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で、なぜ、戦前の陸軍が国民の心をつかんだかを次のように説明する。

〈 1929年から始まった世界恐慌をきっかけとした恐慌は日本にも波及し、その最も過酷な影響は農村に出たのです。そうしたとき、政友会も民政党も、農民の負債、借金に冷淡なのです。〉 
〈このようなときに、「農山漁村の疲弊の救済はもっとも重要な政策」と断言してくれる集団が軍部だったのです。〉

この軍部とは、永田鉄山、東條英機を中心とする陸軍統制派のことである。永田鉄山は皇道派の中佐によって執務中に切り殺されたという。東条英機は、陸軍の暴走を抑えることができると昭和天皇に望まれて、1941年に総理大臣になった人で、その年の12月8日に米国に日本は戦争をしかける。東条は真珠湾奇襲攻撃計画を開戦の1週間前に知ったと、ウィキペデイアにある。

私は、農業の経験が一度もない都市に生まれ都市に住み続けている者だが、政治家が、票にならないからといって、マイノリティの農業従事者を切り捨てていくことには同意できない。自民党政権の主張、農業の大規模化、外国人低賃金労働者の導入、いずれにも賛成できない。

特別措置法と感染症法の厳罰化でなく、解雇された人たちを給付で救え

2021-01-15 22:39:05 | 新型コロナウイルス


きょう、TBSテレビの『ひるおび!』を見てびっくりした。来週提出される特別措置法と感染症法の菅政権の改正案は、自分たちの無策をごまかすために、国民を厳罰に処すと脅かし、医療従事者を強制的に新型コロナ介護にあたらすものだからだ。しかも、これを世論が支持しているという。

菅政権が、自分たちの非をさしおいて、国民が悪い、医療従事者が悪い、といって、人権を無視した法改正をして良いものか。罰すべきは、菅義偉ではないか。刑務所に放り込むべきではないか。私はそう思う。

感染症法の改正案では、感染者が、宿泊療養などの要請に応じない場合は、入院勧告をし、それに反した場合には「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を科すという。また、保健所の調査を拒否したり虚偽の申告を行ったりした場合には「半年以下の懲役または50万円以下の罰金」を科すという。

非常に個人に重い刑罰ではないか。
新型コロナで死にかけている患者に本気でこの刑罰を科すつもりなのか。
無症状の感染者を見いだす努力をいま政府が行っているのか。保健所や厚労省は、PCR検査がひっ迫しているから、濃厚感染者の可能性があっても無症状であれば検査しないと言っている。

日本ではなぜPCR検査能力が増えないのか。せっかく、ノーベル賞受賞者を出した島津製作所が全自動のPCR検査機器を発売したのに。

また、感染症法改正案では、新型コロナウイルス感染者の病床を確保するため、病院に患者の受け入れを勧告できるようにし、拒否された場合には病院名を公表できるという。

病院が患者を受け入れる体制が整っているか、行政の誰が判断するのか。すでに、公立も民間も大病院は新型コロナ感染者を大量に受け入れている。受け入れベッド数を増やすだけが対策ではない。新型コロナ患者のベッドを増やすということは、いまベッドにいる患者を追い出すことになる。

いまベッドにいる患者は治療方法も確立しており、救える患者である。それを追い出して殺す権利が行政にあるのか。

ベッド数が足りないのは、国が払う医療費を削減するために、長年にわたってベッド数削減を政府が医療機関に要求してきたからだ。余裕のある医療体制を政府が選ばなかったのだから、無理矢理に患者たちを小規模病院に押し込むのではなく、ベッド数が足りないなら、中国がやったように、国の責任で大規模な医療施設を緊急につくり、ベッド数を確保すべきである。東京都や神奈川県では屋根付きイベント会場が多数あるから、そこに、ベッドを持ちこめば、ベッド数は確保できる。しかし、医療従事者の数は容易に増やせない。

すると、医療崩壊を防ぐには、新型コロナ患者の数をふやさないのが基本ではないか。飲食店の時短ではなく、ヒトとヒトの接触を、必須のものをのぞき、徹底的に避けるよう要請することではないか。それが、緊急事態宣言の目的ではないか。

しかも、首都圏だけでなく、全国的に感染拡大が広がっている現在、全国的に、緊急事態を宣言すべきではないか。

菅義偉は、経済と感染対策とを両立させると言う。しかし、現実は、いつも、経済を優先させようとして、感染対策が後手になっている。冷静になって考えると、菅義偉のやっていることは、新型コロナによる悪影響への対策ではなく、選挙対策の経済対策をやっているのだ。しかも、感染対策と矛盾する経済対策、GoToキャンペーンをやった。本当にやるべきは、新型コロナ感染流行のために解雇された人々の困窮を救うことではないか。

きのうの夜、テレビで、証券会社のアナリストたちが集まって、新型コロナ感染拡大のなか、株価がなぜ上がるのかを議論していた。

最大の要因は政府が作ったカネ余り状態である。しかし、もう一つの要因は、投資家たちは新型コロナ感染拡大の経済への影響を心配していないからだという。

日本の経済(GNP)の1割の接客業は新型コロナの影響を受けている。しかし、9割はこれまでの水準を保てていると彼らは言う。問題は、その1割が雇用人口の4割を占めていることだ。すなわち、経済の問題ではなく、政治の問題である。

菅義偉は、自分の政治基盤である、GNPの1割を担う小事業主を救おうとしている。しかし、その下に、日本の雇用人口の4割がおり、すでに、そのかなりは解雇されている。全国に感染が拡大しているので、解雇された人たちは今後急激に増大するだろう。彼らを救うのが政府の責任である。非正規の被雇用者が多いから、失業保険で救えない人たちも多いだろう。給付で救うべきだろう。

いまは、特別措置法改正や感染症改正に時間を割く時ではない。
政府は感染症対策の基本に本腰をいれ、一方で、早急に生活困窮者の実態を調査し、適切な手段で彼らに迅速に給付すべきである。