猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナ流行下のもう一人の自立、愛すべき男の子

2021-01-14 22:48:55 | 愛すべき子どもたち


昨年からの新型コロナの流行の中で、もう1つ、うれしい話がある。前回、話した女の子と同じく、昨年、成人式を迎えた男の子である。

昨年の冬の終わり、春のはじまりに、私にもう私に会いに来る意味がないといった。私は、淋しさとともに、とてもうれしい気持ちになった。私が不要となり始めたのだ。自立のときが来たのだ。それでも、彼はまだ私に会いに来ている。まだ私を必要としているようだが、心が確実に強くなって自立は間近だ。

彼の家は、私の教室から1時間半の府中市にある。電車を2回乗りかえてやってくる。彼と出会ったのは、2015年の秋、高校1年のとき、不登校ということで、母とともに私の所にきた。そのときは、教室の近くに住んでいた。中学2年から不登校になり、同時にうつと診断されて、薬を継続的に飲んでいた。

私と一緒に学習を進めることで、とても元気になったように見えた。学校に通えるかもしれないと思った。朝キチンと起きることができれば、すべてうまくいく、と思った。というのは、私との学習の時間にいつも1時間以上は遅れる子だった。

この子は哲学や心理学の話をするのが好きだった。本を読むことはできなかったが、ネットから知識を得ているとのことだった。父がたくさんの本をもっており、父を尊敬して、背伸びをしているように見えた。

彼が自己分析にこだわるのが気になり、外に関心を向け、母親との会話を増やすため、彼の前でそっと母親の代弁をすることにした。

すべてがうまくいくように見えていたのに、高校3年になる春に事件が起きた。母と父が離婚したのである。母と子は府中の実家に住むことになった。自分が父の不倫を疑って母に告げたからだ、と彼は言う。しかし、夫婦だから、子よりも母のほうが先に気づいているはずだ。子どもが悩むことはない、と思う。しかし、子どもが傷つくのはやむを得ない。子どもは父も母も愛しているからだ。

彼は高校3年の沖縄への修学旅行に参加した。戻ってから孤独に耐えていたと言った。無理をしたのだ。心が強迫的になっている。さらに、この時点で、彼は、うつ病の薬を飲むのをやめた。離脱症状が始まった。高校3年の秋は最悪の状態になった。

彼は、精神科病院を府中市内に替え、再び薬を飲み始めた。私は、高校を留年することを母に勧めたが、学校側は無理やり卒業させた。

卒業後も強迫的な状態が続いたが、ふたたび、1時間半をかけて、彼は、私の所に来てくれるようになった。その中で、2年後に、私にもう私に会いに来る意味がないと言った。

母も父もその子を見捨てず、ずいぶん辛抱した、と私は感謝している。

離婚した父は、彼が電話をかければ、話をしてくれるし、会ってもくれる。母は昼間、働きに出るようになったが、夜、以前よりも、彼は母と話すようになった。

昨年から彼はメンタルヘルスケアに通うようになった。そこで、話し友だちを見つけたのは、数ヵ月前の最近のことである。昨年、精神科病院も変えた。今度の主治医は相談にのってくれるとのことである。医師を信用して素直に話せるようになったからだ。2週間に一度通うようになった。心が一段と成長したのだ。

私はNPOで文芸誌を出している。季刊である。10月には、彼は自慢のペン字で書いた『摩訶般若波羅蜜多心経』をはじめて投稿してくれた。今月は、ラヴェルの曲の解説を投稿してくれるという。

また、昨年の暮れ、母と父のいさかいを仲裁しようとした。母や父の心の不安に気づき、心配してのことだ。

本当に彼の自立は間近だ。しかし、急がなくても良い。確実に歩んでいけばよい。

新型コロナ流行下に自立した愛すべき女の子

2021-01-13 23:22:16 | 愛すべき子どもたち


昨年からの新型コロナの感染拡大の中で、うれしい話がある。NPOで私が中学2年の終わりから担当した子がグループホームにはいって一人暮らしを始めたのである。去年、成人式を迎えたばかりで、早いと言えば早いのだが、自分の意志で一人暮らしを始めた。

その子を担当したいと思うようになったのは、その子が中学で書いた1つの作文を見てである。つぎの書き出しで始まる『半熟ゆでたまご』というタイトルの作文であった。

〈私達は、人とつるむ事が好きです。一人でいることがとても寂しく感じます。友達の中にいると安心するので、自分のポジションが一番下で、いじめにあったとしても、そのグループの中からは抜けられないのです。〉

そのあと、昔からあった「ジャイアン・スネ夫・のび太の関係のような」単純な暴力から、「携帯やパソコンを使うようになったため」の言葉による暴力までを説明する。とても、論理的である。

〈ネット上では「死ね」「キモイ」「消えろ」などの書き込みが目立ちます。相手の顔が見えないから、そういう言葉を書き込んでしまえるのです。普通、友達を目の前にして「死ね」と言えるでしょうか? 匿名だからとか、顔が見えないコミュニケーションだからといって、何でもして良いわけではないのです。〉

〈この文を読んでいる人の中にも「一人ぼっちは絶対に嫌。友達と一緒にいる方が楽しい」と考え、グループの中で過ごしている人がいると思います。でも、それは狭い世界です。その友達だけがすべてではないし、教室だけがすべてでもありません。学校の中にも色々な居場所があります。学校の外にはさらに広い世界があります。〉

〈もし「このグループは違和感がある」と感じたら、それはチャンスだと思います。周りに目を向けてみて下さい。一人ぼっちの友達や、グループ内でいじめられている友達が周りにいる事に気づくかも知れません。そんな子に会ったら、まず「おはよう」と声を掛けてみて下さい。小さい一歩ですが、きっとあなたの人生は、大きく変わるはずです。〉

〈また、いじめが深刻化したせいで、最近いじめを取り締まる法律もできましたが、いくら法律を定めても『陰でやる人達』は必ず出てきます。そんな人を見つけたら、「それ、少しおかしくない?」と声を上げてみて下さい。勇気がいることですが、その一言であなただけでなく、あなたの周りの人の未来が変わっていくと思います。すべては『あなたの一歩』にかかっているのです。〉

〈私たちは 堅い殻に包まれた か弱い半熟のゆで卵です。優しくむかないと くずれてしまいます。だからといって、ずっと殻の中にこもっているのはどうでしょうか? 少しずつ、少しずつで良いので殻をむいていきましょう。 『本当の自分』を出して『新しい一歩』を踏み出すことが出来れば、世界が変わって見えるはずです。〉

私は、いまでもこの作文を読んで、13か14歳の女の子がこれほど知的にものごとを考えられるのか、驚く。

この子は、幻聴が聞こえるということで、精神科医療の対象になり、普通級から支援級に移され、それから、高校は特別支援学校に進んだ。

不思議なことに、特別支援学校では高校卒業の資格が得られない。特別支援学校は職業訓練校で、文部科学省が定めた高等教育が受けられず、大学への道が閉ざされる。特別支援学校には障害者手帳をとらないと入学できない。

その子は美大に行きたかったようだ。

特別支援学校で、その子は笑わない子になった。一度、指導中に、「泣いてもよいですか」と言われて、びっくりした。聞けば、翌日、バス清掃のリーダーを務めなければならないからであった。

特別支援学校では障害児として就職するための訓練を毎日しているのである。

当時、NPOで私は何を教えてよいかわからず、小説を書かしてみた。日本の普通の小説家のようには、情景を描けない。しかし、登場人物間の会話が生き生きしている。争いがあるが、いじめがない、人間の群像が描けていた。

論理的であるだけでなく、鋭い感受性を秘めている子だった。

母親はその子を育てるのに非常に熱心であった。しかし、私が次第に気づいたのだが、母親は周りの助言者に振り回され、自分の目でその子をみることができない。母と子の衝突が始まった。私から見れば、たいした衝突でないが、母子ともに大騒ぎする。

その子は家を飛び出して突然夜にNPOの教室にやってくるのである。雨の夜のこともあった。いまから考えれば、その子が来るところがあって良かった。

その子は、特別支援学校を卒業して、特例子会社に務めた。仕事は、毎日毎日、洗濯した事務服をたたむのだが、不器用で速くたためず、叱られていたようだ。反抗的だと思われて配置転換になって、また、うつ症状を発した。それでも、半年でおちつき、安心していたら、新型コロナ下の去年の夏、また、特例子会社に行けなくなった。3か月の病気休暇を取って、毎日、NPOに話をしに来るようになった。

私の所にも毎週一回来た。私は何をして良いかわからず、エッセイを毎回書いてもらった。だんだん、ポジティブなことを書くようになった。彼女の思いは、障害者としてのレッテルを通してでなく、一人の人間として、自分を見てほしいということだった。そして、絵や文がうまくなりたいとのことだった。

やりたい何かがあることは素晴らしい。
私は、きっと彼女の願いがかなえられると信じている。

去年の12月に、彼女は家を出て、グループホームにはいった。これからは母子が衝突することもない。彼女は化粧もせずカジュアルな服を着こなす素敵な女性になっていた。特例子会社の務めに復帰したので、もう会うこともないと思うと、寂しい気持ちもする。

[補遺]
彼女は社会福祉法人すてっぷと特別支援学校の尽力でグループホームの入ることができた。感謝します。

[関連ブログ]

加藤陽子の「歴史は科学だ、歴史は進歩する」は変である

2021-01-12 22:50:26 | 歴史を考える

加藤陽子は、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)で、歴史学者E. H. Carr(カー)が「歴史は科学だ」「歴史は進歩する」という主張したと書く。彼がどういう意図でどういったか私は知らないが、納得できない。加藤によれば1961年にカーがそう言ったそうである。

彼はイギリス人だから英語で言ったのだろうから、英語で理解しないといけないのだが、加藤は原文も出典を明らかにしていない。

しかし、「歴史は科学だ」「歴史は進歩する」という言葉はそれ自体として変である。

最初の主張の「歴史」という言葉を「歴史学」だとすると、「歴史学」は「科学」であるという主張が妥当であるかは、「科学」の定義の問題に帰結する。しかし、加藤陽子の言っているのは、「歴史」は「科学」の対象となりうるである。

だから、言葉として変なのである。「惑星の動きは科学である」とは決して言わずに、「惑星の動きは科学で扱える」というのがふつうである。「科学」は人間の抽象的行為を指すのが普通の用法である。

加藤はつぎのように書いている。

〈歴史は科学ではないと主張する代表的な論者は、良く2つの点を指摘する。1つは、歴史は主として特殊なものを扱い、科学は一般的なものを扱う、だから歴史は科学じゃないんだというもの。2つめの、歴史はなんの教訓も与えない。〉(pp71-72)

〈(カー先生は)こう反論する。歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしら影響を与えていると。〉(p74)

批判者の「特殊」か「一般」という問題の立て方が奇妙である。これは、「歴史」を考察することで有用な「法則」というものを導くことできるか、ということだと思う。批判者もカーも頭がおかしいのか、加藤が論理的な思考ができないのか、のいずれかだと思う。

もちろん、私は、人間の脳が論理的思考に不向きにできていると思っているので、このことで加藤を責めるつもりはない。

さて、「教訓」とか「人間の個性」とか「影響」とか言われると、私は言葉に詰まってしまう。たしかにそうだろうが、有用な「法則」とまでは言えない。人間の行動というもの、人間集団の行動というものをある程度まで説明できるかもしれないが、それを研究している人たちのなかの合意をどうやって形成できるのだろうか。

「科学」とは、研究している人たちの合意を形成できる手段を有している。また、だれかの主張が間違っていることを示す手段をもっている。

フリードリヒ・ニーチェは『善悪の彼岸』で次のように言っている。

Sie hat Augen und Finger für sich, sie hat den Augenschein und die Handgreiflichkeit für sich: das wirkt auf ein Zeitalter mit plebejischem Grundgeschmack bezaubernd, überredend, überzeugend, - es folgt ja instinktiv dem Wahrheits-Kanon des ewig volksthümlichen Sensualismus.

「物理学はそれなりに眼と指とをもち、それなりに明白さと平易さとをもっている。このことは的な根本趣味をもつ時代に対して魅惑的に、説得的に作用する。― それは全くのところ本能的に、永遠に大衆的な感覚論の真理基準に従っている。」(木場深定訳)

“Sie”は“Physik”を指しており、ニーチェは自然科学を「物理学」と呼んでおり、カントと同じ用法である。「目と指」は「観察と実験」のことである。

ニーチェは別に自然科学を賛美しているのではなく、下賤なものだとけなしているのだ。
ニーチェは哲学や心理学(人間論)を賛美している。

それでも、加藤やカーが「歴史が科学だ」といっても意味がない。歴史を対象とした「科学的方法」が合意されているわけではない。「歴史学」を「科学(science)」よりも「学術(Wissenschaft)」といった方が適切だろう。広い意味での人類の知的遺産である。どうしても、科学と言いたいのなら、研究者間の合意形成にどんな方法論を使っているかを述べるべきである。

「歴史は進歩する」という主張も「進歩」という概念に同意できない。ここでの「歴史」は「歴史としてみた人間社会」という意味である。

加藤は次のように書く。

〈カーは「経済や社会の平等といったようなものを実現する社会は、やっぱり進歩していると見なさなければいけない」と述べたわけです。〉

社会が進歩するというのは、ダーウィンの進化論の影響だと思う。現在の進化論は、「進歩」という概念を否定し、「多様化」という考えで解釈する。私は「進歩」するという考えには同意できない。社会は、昔より多様化し複雑化する。しかし、それが良いということで歴史をくくれない。カーのいう「経済や社会の平等」は少しも実現する方向に進まない。
もしかしたら、新型コロナ下での成人式で騒ぐ若者よりも、80年前の青年将校のほうが真剣に「経済や社会の平等」を考えていたかもしれない。

ところで、カーはソビエト連邦の歴史に詳しい人らしい。加藤によれば、カーが、歴史上の事件が、他の歴史上の事件に影響を与える例として、レーニンの後継者として誰を選ぶかという問題をあげたという。

レーニンは1917年のロシア革命を率いた人である。レーニンが亡くなるとき、革命の多数派は、ナポレオンがフランス革命をおかしな方向に引っ張っていったのは、ナポレオンがカリスマ的戦争の天才であったからだと考えたという。それで、レーニンの後継者を選ぶとき、軍事的なカリスマ性をもっていたトロツキーではなく、国内に向けた統治をきっちりやりそうなスターリンを後継者として選んでしまったという。

これは、判断の誤りを導いた「影響」にすぎない。どこに「科学」があるのか。

個人の天才性にたよるのではなく、集団の知恵をうまく生かす政治体制を追求すべきだったのではないか。もっとも、こう考えることは、スターリンの功罪を知ったうえでの「教訓」なのかもしれない。

「歴史は科学だ」は日本語としても変だし、「有用な法則」を導くことができていない。「歴史は学術」で、だいじなのは、人類の知的遺産として、何が起きたのかを証拠とともに記述し、人間たちがどう考えてそれを引き起こしたかを証拠とともに記述することである。

きょうは井上陽水のアルバムを聞き、加藤陽子の本を読む

2021-01-11 22:38:32 | 脳とニューロンとコンピュータ


きょうは、井上陽水のアルバム『氷の世界』を、加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読みながら、聞く。

今日の夕方、新型コロナの解説する晴恵おばさんを見て、そういえば、井上陽水が『晴恵おばさん』という歌を歌っていたというのを思い出し、20年以上も前のCDアルバムを引っ張り出し、それ以上に古いステレオにかけた。

しばらく前にみたときは、晴恵おばさんは、痩せて、そのうえ、目の上を茶色に塗っていたので、幽霊か病人のように見えた。きょうは、眼鏡をつけていて、いつもの晴恵おばさんだ。

井上陽水の歌は『晴恵おばさん』でなかった。
  ☆   ☆   ☆
 風は冷たい北風
 早くおばさんの家で
 子猫を膝にのせ、いつもののおばさんの
 昔話を聞きたいな
 小春おばさん会いに行くよ
 明日必ず会いに行くよ
  ☆   ☆   ☆
『小春おばさん』だった。

井上陽水の歌詞は斬新だな、思ってアルバムを聞き続けた。
  ☆   ☆   ☆
まっ白い掃除機をながめては飽きもせず
かと言って触れもせず、そんなふうに君のまわりで
僕の1日が過ぎてゆく
  ☆   ☆   ☆
あとで歌詞をみたら、「掃除機」でなく、「陶磁器」であった。私がNPOで中学から担当している知的障害の子は、新幹線などの乗り物よりも、掃除機などの家庭用品に興味をもつ。「掃除機」をテーマとする童話がほしいと思っていたから、そう聞こえたのだろう。

加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、最初のうちは連想ゲームをやっているように、話しがつぎからつぎへと飛ぶ。人間の歴史や人間の脳とは、論理的なものではないからだろう。面白いが、頭が混乱してくる。後半の4章、5章で話がようやく集約してくる。

私は、人間の脳は、コンピューターと違い、論理的にものを考えることが苦手にできていると思う。囲碁とか将棋のAIソフトは、論理的に勝ちを探すステップと統計的に判断するステップと切り替える戦略をとっている。人間の脳は自分の経験をもとに統計的に判断するようにできている。外からの刺激で、脳の中を興奮が四方八方に広がり、記憶の断片を活性化することで、結果的に多数決を行い、統計的な判断を下す。人間は連想によって判断するとも言える。

考えるのは人間だけでなく、カラスでもアライグマでも考える。考えるとは試行錯誤をすることである。試行錯誤の結果 得た筋道は手続きとして記憶される。これが論理と見なされる。誤解されるといった方がよいかもしれない。

加藤陽子によれば、1941年9月6日の御前会議で、日本が米国に開戦すべき理由として、1614年の大阪冬の陣の和平交渉をひきあいにだし、日米交渉を妥結すると、より戦争で勝てない状況に追い込まれると、軍令部総長が天皇に説明した。

1941年11月15日に、海軍が真珠湾攻撃を含んだ作戦計画を天皇に説明するに、1560年の織田信長の奇襲攻撃、桶狭間の戦いを例に引いた。

これらの戦争の記憶(伝承)が、現在行おうという戦争の論理的裏付けになると思えない。人間の統計的判断を逆に狂わす要因になる。

加藤陽子を菅義偉はなぜ憎むのか、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2021-01-10 22:26:23 | 戦争を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)は、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)より、ずっと読みやすい。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、日清戦争から書きはじめているのに対して、『戦争まで』は満州事変から書きはじめ、1941年の日米戦争に話を絞っているからだ。すなわち、『戦争まで』は『それでも……』を読んでいることを無意識に前提にしているからだ。

加藤陽子の『戦争まで』で、私が理解に苦しんだ言葉は つぎである。

〈戦争とは、相手方の権力の正当性原理である憲法を攻撃目標とする。戦争は、主権や社会契約に対する攻撃であり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとるものだ〉

この意味が本当に私はわからなかった。彼女は、ここでの「憲法」とは「具体的な憲法の条文ではなく、社会を成り立たせている基本的秩序、憲法原理」と説明を付け加えているが、それでも、わからなかった。

(もっとも、これは、加藤のことばなのか、憲法学者の長谷部恭男のことばなのか、ジャン=ジャック・ルソーのことばなのか、今もわかっていないが。)

『それでも……』を読むと、「戦争とは……」の文は、日本が無条件降伏をするまでアメリカが戦争をつづけたことに対する理屈になっている。そして、明示的には言っていないが、戦後、アメリカが東京裁判で「戦犯」を裁く理屈にもなっている。

これは、イギリスとアメリカが徹底的にドイツを破壊し、ヒットラーを自殺に追い込み、ナチスを裁いたことと通じる。

すなわち、「大空襲」「広島・長崎」「東京裁判」「日本国憲法」はセットになっていると、加藤陽子が考えているようだ。

右翼もそう考えている。だから、彼らは、靖国神社を参拝し、日本国憲法の改正を唱える。

加藤陽子がこの「戦争の本質」をわかっていて、改憲に賛成しないから、右翼から「裏切り者」と見なされたのだ。だから、菅義偉が、彼女を日本学術会議会員に任命しなかったのだ。

さて、戦後、アメリカが変えた「日本の憲法原理」は「国体」であると、加藤陽子が言っている。大日本帝国憲法の第1条「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規によりこれを行う」が「国体」であると彼女はいう。

自民党に巣食う改憲論は、戦争ができる国にすること、国のトップが絶対的権力を行使できるようにすることであるから、戦前の「国体」に戻ることではなく、ナチスのような体制を日本に築くことのようである。したがって、戦前の革新右翼が自民党の中で生き続けたのだと私は考える。また、こう考えると、安倍晋三や菅義偉が「統制経済」を好む理由がわかる。

だから、アメリカやイギリス風の個人主義にもとづく国のあり方を良しとする加藤陽子がゆるせない存在なのだろう。

そう考えると、「叩き上げ」の菅義偉の「学術会議任命拒否問題」があやふやにされることは、日本の民主主義にとって決して良いことではない。