11月の半ばを過ぎた。晴れが多くて20℃を越える日もある。紅葉はゆっくり進んでる。
これは14日の九品仏。
境内のカエデはまだ青かった。
高い木の上のほうにいる鳥が、夕映えで七色に光っていて、よく見たらホンセイインコだった。
その後自由が丘に行って買い物券で何か買おうとしたけど、何も欲しい物がなかった。
台風の塩害がなかった今年は、紅葉がきれい。ケヤキはゆっくり黄色から赤になっている。
クスノキは新緑のような淡い緑から、黄色、赤まで一本の木が色とりどり。
ブタクサは終わったので、猫草を3鉢つくった。モンちゃんは草が大好き。
草を食べても吐かないモンちゃんは、ンチが草でつながってキレが悪くて、トイレの外に一つ落としてしまった。「たいへんだ!やっちまった!」とトイレの下のシートをざっざっで細かくちぎり、落としたンチの上にざっざっと乗せて隠してあった。きれい好き。毛繕いもよくしてるもんね。
モンチみたいに一ヶ所を集中して舐めるのでびちゃびちゃになってたりする。
女の子はみんな毛繕いよくしてたけど、男の子でこんなきれい好きもいるんだね。
なのでモンちゃんの毛皮ってほとんど無臭。完全にではないけど。太陽とか風とか洗濯物とか、色んな匂いがくっついてる。
先週は毎日のようにモンちゃんと庭で日向ぼっこした。モンちゃんは1人だと外でぐっすりは寝ないけど、私が側にいるといつまでも寝てる。
テレワーク中は膝に乗ってくる。体重8.5であしぶみ状態、背中の肉と前足は膝に乗り切らずはみ出してるし、頭もスペースなくて起こしたままでラクそうに見えないけど、膝に乗っている。
モンちゃんが落ちないよう、膝を広くするため開き気味にして、爪先を立てて巨体を支え、脚の筋肉をプルプルさせながら仕事。
せまくてもへーきだ!
はやくしごとおわらにゃいかなー
エノコロは終わったけど、ススキの若い穂を持って帰ると飛び付いてビュンビュン遊ぶ。荷造りヒモもよく遊ぶ。
夜もちょこちょこ外に出ては、すぐファーン!と鳴いて戻ってくる。
私がススキやカリカリを手に持つと、るるるるるとうなる声がかわいい。
河原は中洲の葦が光ってきれい。
ビーとはサシで向き合ってたくて保留にしてた横尾さんの猫の画集をやっと買った。絵も日記もやたらといい。タマは女の子だけど殿に似てる。
ちょっと休んでたビーの絵をまた描いた。一度描くのをやめると写真や動画を見る気になれなくなっていた。
この絵は、モンちゃんが追いかけてじいーっと見てた。
絵を描いた夜は夢に出てきた。覚えてないけどビーが当たり前にいた。
今週はモンチのこともよく考えてた。
モンチの旅立ちは、殿ビーとは比べ物にならない辛さだったけど、そこに暗さは全くなかった。
地上にいることが奇跡だったモンチは祝福された天使の猫。一緒にいられたことは目の眩む光栄で、眩しい光は今も私を照らしている。
今年はコロナ益で空が澄んでいた。虹が何度も出た。今年旅立った猫たちは迷うことなく天に上り、待ってた猫たちもすぐに見つけて迎えに行って、賑やかになった虹の橋でみんな幸せにしていることだろう。
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11月15日の海は、まだわりとぬるかった。
濁っていてよく見えなかったけど、魚影が少なくて、親方曰く、磯が焼けて海藻が全然なくなって、食うものがないから魚もいなくなった、と、親方は海中を見てきたかのように話していた。
ボディボードも楽しいけど、やっぱり素で泳ぐのが一番楽だし全身に浮力を感じて気持ちいい。
私たちのほかにもまだ一人、毎回潜りに来てる人がいる。
毎年見るけど名前の分からなかった花を調べて、アツバキミガヨランという名前だった。
ここのススキの若い穂はモンちゃんのお土産。
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「消え去ったアルベルチーヌ」読了。
後半は、母と二人でヴェネツィア旅行へ。
印象的だったのは、なんといっても旅の終り、運河のテラスに語り手が一人残されるシーン。
ホテルの宿泊者リストに「ピュトビュス男爵ご一行」の文字を見つけ、小間使い目当てに母に「ぼくは出発しない」とごねた語り手は、母が駅に向かった後、運河のテラスで夕日を見ていると、この土地に一人でいることの不安にかられ出す。ドリニーのプールというセーヌ川に浮かぶプールを暗い海の入り口のように感じた幼い日の記憶がよみがえる。その間ずっと聞こえている「ソレ・ミオ」の歌声が、緊張感をあおる。
耐えきれずに駅へ駆けつけ、無事にママとパリへ帰る。
帰りの電車は、二つのビックリ結婚報告でで母と盛り上がる。
母は会話のはしばしに、祖母を出す。
語り手の祖母への仕打ちはひどかったけど、愛情あふれる優しい娘がいた。
その後、カラマーゾフを中巻の途中まで一気に読んだ。
前に読んだのは30年近く前。細かいことは忘れてるけど、読んでると思い出す。ロシア的です!リアリズムですよ!
序盤で好きなのは、指を怪我した後でホラフコワ夫人宅に寄り、リーズと話すところ。ドストエフスキーの描く女性はほんと魅力的。いい小説でも女性は見た目ばっかりで中身が薄いことが多いけど、カテリーナもグルーシェンカもリーズも濃いー。
○すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一か所に触れれば、世界の他の端までひびくからである。もし人がほんのわずかでも現在の自分より美しくなれば、小鳥たちも、子どもも、周囲のあらゆる生き物も、心が軽やかになるに違いない。
夢に長老が出てきて、目覚めた後で星空のもとアリョーシャが大地にひれふすシーンは美しい。