なぎのあとさき

日記です。

ヨコスカ五月晴れ

2021年05月11日 | 日々のこと

大潮に合わせて、ひとり横須賀へ。
京急が止まってたのでJRで。京急より1時間近く長くかかる。
でもJRの横須賀駅を降りてすぐの景色はザ・ヨコスカ。たまに見たくなる。今の季節は軍艦や潜水艦をバラごしに見れる。


ヴェルニー公園、喫煙所も健在


このオレンジバラがとりわけ見事だった。
もっと歩いても良かったけど、荷物が多いので汐入駅まで。

パパが新たな病のため少し元気がなかった。痛みのある症状なので見ていてつらいものがあるが、今は貴重な一緒にいられる時間を明るく楽しくすごすこと。

パパは見た目が良いので油断してたけど、昨年から老いを感じることが度々ある、耳が遠かったり、疲れるのが早かったり、ほかにも老化現象が出てきて体が重そうだ、78相応といえば相応なのか。
が、一緒にいるとき動揺したり心配したりするよりも、私が楽しく美味しく笑ってる方がパパにとっていい。
ということを殿たちから学んでいる。
対猫と同じ、けして悲観はしないこと。今を大切に生きること。

次の日、パパは朝から私の持っていったチビッコ苗の植え替えをし、潮干狩りにも一緒に行った。
ママは、1人が調子が悪いと全部やらなきゃいけないから疲れる、とぼやいてたけど、元気いっぱいに潮干狩りに没頭し、私の数倍の貝を見つけていた。
ママは、いつまでできるのかしら、これも思い出になるのかしら、寂しいわねえ、とつぶやいていた。

が、先のことを想い描く必要は全くない。ただ、初夏の太陽と海と美味しいおにぎり、可愛いアサリたちを全身で受け止めて、よく晴れた5月の1日を楽しめばそれでいい、

行きの電車で読んでいた「Kの次第を読んでる」より
○ある時間がある時間の準備となることが受け付けられない。
私はだいたい未来が嫌いだ。未来は人を抑圧する。与えられた時間は突然途切れる。

太陽を受けとめまくって首裏と背中がヒリヒリするほど日に焼けた。

野生化してるアリストロメリアを摘んで一度家に戻ってから、ママと二人で山へ。今日はパパ元気になったみたい、とママ。


ポピー満開


スダジイ


久しぶりに会ったグレーちゃん
触らせてはくれない


シロクロちゃん、二人ともご健在で嬉しい


海では、ママは上のベンチに横になって休んでる間、ゆっくり満喫、行きの電車で聴いてた虹を繰り返し歌いながら。風が強かった。

♪繰り返すこともたまにある
ぼんやりとただ意味なく
遠くて近いつかめない
どんな色かわからない
ゆっくり消える虹見てて
とりこじかけになる

石垣もちと豚おこわをお土産にもらって帰った。

帰りの電車で、「夜明けまでの‥」を読んだ、この時に読めて良かった。
水の紋様のところを読んでいて涙が出るときに涙腺が痛かった、去年は暮れまでちょくちょく泣いてたけど、今年入ってほとんど泣いたおぼえがない。

○一切の過ぎ去りゆく事物があたかもひとつの無のように、取るにたらないもの、ささいなものと映らないならば、その人は神を見いだすことはできない

○あなたが神を、ひとつの光として、あるいはひとつの有として、あるいはひとつの善として、つかむなら、それは神それ自身ではない

○あなたがな何かあるものを見るならば、あるいは何かあるものがあなたの認識の内へ入ってくるならば、それは決して神ではない
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