三重県鈴鹿市白子(しろこ)漁港です。
ここはかって白子浦とよばれた江戸期のほうが繁栄していたようです。
江戸期、白子浦は紀州藩に組み入れられ、その保護のもとに藩米の積み出し港として、また江戸に大店を持つ伊勢商人たちの木綿などの積み出し港として大いに栄えました。
また、暴風雨で漂流してロシアで10年もの間すごし、女帝エカテリーナ2世に謁見してその支援により帰国した、沖船頭大黒屋光太夫の神昌丸の出帆した港としても知られています。
①大黒屋光太夫の漂流物語を文学にまで高めた「おろしゃ国酔夢譚」の著者、井上靖氏直筆の記念碑と記念モニュメントが建っている白子新港。
②この碑の最後は「神昌丸出航の日も、白子浦は今日と何一つ変わりなく、蒼穹の下に美しく波立ち騒ぐ、白い波濤の絨毯を大きく拡げていたであろうか」という文章で締めくくられている。
③白子港は今も昔もこの堀切川の河口部に作られている。
④堀切川に架かる新紅屋橋から港を見る。
⑤日が傾いてきた。
⑥1台漁船が入港してきた。
この船を最後に、船の出入りはなくなった。
⑦船の並ぶ向こうが堀切川と新紅屋橋。
⑧背後の堤防の上の海苔船が夕陽を受けて赤く輝き出した。
船の奥には十一夜の月。
⑨~⑳白子の港の夕景を「大黒屋光太夫」の著者、吉村昭氏はその中でこのように描写している。
「日がかたむき、空が茜色に染まった。海はおだやかで、魚が群れているらしく沖の方向の海面に海鳥がみだれ飛んでいるのが見えた。白子の町は夕照を浴び、家々から紫色の炊煙が立ちのぼっている。」
以下、スライドショー的にご覧ください。
次の港の夕景は、大黒屋光太夫の生誕地ゆかりの千代崎漁港をご紹介します。
ここはかって白子浦とよばれた江戸期のほうが繁栄していたようです。
江戸期、白子浦は紀州藩に組み入れられ、その保護のもとに藩米の積み出し港として、また江戸に大店を持つ伊勢商人たちの木綿などの積み出し港として大いに栄えました。
また、暴風雨で漂流してロシアで10年もの間すごし、女帝エカテリーナ2世に謁見してその支援により帰国した、沖船頭大黒屋光太夫の神昌丸の出帆した港としても知られています。
①大黒屋光太夫の漂流物語を文学にまで高めた「おろしゃ国酔夢譚」の著者、井上靖氏直筆の記念碑と記念モニュメントが建っている白子新港。
②この碑の最後は「神昌丸出航の日も、白子浦は今日と何一つ変わりなく、蒼穹の下に美しく波立ち騒ぐ、白い波濤の絨毯を大きく拡げていたであろうか」という文章で締めくくられている。
③白子港は今も昔もこの堀切川の河口部に作られている。
④堀切川に架かる新紅屋橋から港を見る。
⑤日が傾いてきた。
⑥1台漁船が入港してきた。
この船を最後に、船の出入りはなくなった。
⑦船の並ぶ向こうが堀切川と新紅屋橋。
⑧背後の堤防の上の海苔船が夕陽を受けて赤く輝き出した。
船の奥には十一夜の月。
⑨~⑳白子の港の夕景を「大黒屋光太夫」の著者、吉村昭氏はその中でこのように描写している。
「日がかたむき、空が茜色に染まった。海はおだやかで、魚が群れているらしく沖の方向の海面に海鳥がみだれ飛んでいるのが見えた。白子の町は夕照を浴び、家々から紫色の炊煙が立ちのぼっている。」
以下、スライドショー的にご覧ください。
次の港の夕景は、大黒屋光太夫の生誕地ゆかりの千代崎漁港をご紹介します。
港の夕景を気にいっていただき、ありがとうございます。
このような写真は「個人的」な写真のようで、一般的には評価されないようです。
また海の写真は、四季が感じられない、場所が限定されてくる、天気は晴れでないとだめ、動植物がいない、マクロ的な写真が写せないなどに加え、ここは伊勢志摩や熊野と違い平凡な伊勢湾です。
毎日のように車にカメラを積んで走っていても、ものになる写真はありません。
苦肉の策として夕景という特殊な状態に頼ったというわけですが・・。
絵はがきとまで評価していただきありがとうございます(^^)。
今後のこの路線で実績を積んだ段階で検討させていただきます(^^)。
私の本の間口は狭く「蠅の王」は知りません。
吉村昭はほぼ全作品を持っていますが。
港の夕景、とても素敵な写真です!
色彩に哀愁や郷愁を感じる、表情のある写真ですね。
絵葉書にしてみてはどうでしょうか(^O^)。(ご一考下さい^_^)
今日、ちょうど吉村昭の話しになり、大黒屋光太夫についても話していました。もう一度読み直して見ようと思います。
いせえびさんは文学にも精通してらっしゃるのですね。
難破、遭難モノが好きと話していたら、「蝿の王」という本を勧められました。いせえびさんはご存知でしょうか?
話しが逸れてしまいましたね(^.^)
これからもブログ楽しみにしています(^O^)
漁港の夕景に共感を寄せていただき、ありがとうございます。
私もずいぶん以前、漁港で夕まづめ、釣りを楽しみました。
ふと振り返れば、ものすごい夕焼けや夕映えの空です。
だんだん、暗くなるにつれ、町の明かりが目にしみ、胸に迫ってくるようなそんな感じですね。
郷愁を覚える情景ですね。
夜釣りの出航前の、ホームシックにかかったような気持ち、よく分かります!
明日の出航は気仙沼か大船渡でしょうが、ヒラメの大物か大漁を期待しています。
その釣果をまた、御ブログで拝見するのを楽しみにしています。
漁港の夕景はいいですね。
釣りを趣味とするボクにはしびれる写真です。
岩手県内陸に住むボクには、なかなか見る機会がないのですが、
夜釣りの時、出船前に見る光景です。
釣りを直前に、楽しい筈なのに、なぜか港の夕景はホームシックに掛かった気持ちになります。
それも港の風情なのでしょうね。
ボクは明日、漁港の朝焼けを見ながら出船して、ヒラメを狙ってきます。
ずーと以前、何気なく目にしており、長い間それを忘れていたのに、何かのきっかけでそれがよみがえってくる、この夕景のシリーズは海辺で育った私にとってそういう風景でもあります。
私は白子港で夕陽を見たのは、釣りをしていたころ以来、何十年ぶりです。
写しながら当時の風景の思い出とオーバーラップして、少し胸に迫る思いもしました。
これは昼間ではこういう感じは残念ながらしませんね(^^)。
やはり、夕闇迫る、火ともしころでないとジーンとこないものです。
タートルさんも同じような共通の思い出がおありのようで、うれしいですね。
次の千代崎港です。
ご期待に添えればいいのですが。
白子港は、あの大黒屋光太夫の10年にわたる長い苦難の旅の始まりの地ですね。
このことは三重県人なら知っている人が多いのですが、白子港の記念モニュメントは知らない人も多いです。
井上靖氏の格調高い直筆の文章は一見に値します。
吉村昭氏の「大黒屋光太夫」は新しく地元で発見された資料に基づき書かれたもので、これもお薦め本ですね。
次にも光太夫の生誕地の千代崎港をご紹介しますのでご覧ください。
白子漁港の夕景がいいですね。穏やかであった一日の何ともいえない安堵感が感じられます。それにしても、大黒屋光太夫の激動の人生がここから始まるとは。
吉村昭の「大黒屋光太夫」をもう一度読んでみようという気になりました。