80才になっても 計算も出来たし 服装もラメ入りセーターにスカートなど
ブラもガードルもしてる お洒落なダリアば~ちゃんでした。
私の娘たちを すごく可愛がってくれて 娘達も懐いてました。
今から30年以上前は認知症という言葉もなかった時代です。
ボケたかしら?と皆様は言ってた時代です。
ある日 祖母から電話が へそくりが無くなった
きっと ロクでもない父 純二が盗んだんだと言うので
純二ならありえるわ~と思い問いただしたら 俺なんて取ってないと
割とマジキレで言ったので かあさんもしかしたら どこかに置き忘れたかもよ
祖母の事を亡くなるまで母さんと呼んでましたので
数日後 あったよ、見つかったと電話が来たので一安心
もう80才過ぎてるし 物忘れがあっても仕方がないと思いましたが
そこからが怒涛のように 近所のOさんがお金を取った
叔父がお金を取った 物取られ妄想が激しくなり
毎回 祖母の家を家宅捜索するはめに・・・リビングにもう1部屋ある
小さいなアパートでしたが 物が多いので隠す場所はどにもでもあり
1番多かったのはベットの下や敷布団の下 腹巻の中と言うのもあった
通帳も印鑑もないと言い出して ヘソクリと通帳に印鑑も探す羽目に
家族総出で TV台の下やTVの裏 砂糖壺の中 洋服のポケット
絨毯の下 毎回 探すのに1~2時間はかかりました。
最後は玄関に置いてある灯油のポリタンクとポリタンクの間に隠していて
これは なかなか見つけれませんでした。
さすがに 毎週それをやられ(8カ月です) 私も仕事してましたから
いろいろ悩み 神戸の叔母とも相談して(祖母の一人娘)
その頃 神戸の叔母にも毎晩電話してお金が無くなったと
延々と同じ話を繰り返し 叔母は精神的に参ってました。
ヘソクリは神戸へ送金して 通帳と印鑑は私が預かりました。
もちろん 祖母の了解をえまして お前が持ってるなら
安心だと 言われ もう~~探し回る必要がないと安心しましたが
それから また大変な騒動に・・・・私はまだ30代で
認知症の事 全く理解してませんでした。 次回に続く・・・
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