父の兄弟で唯一神戸の叔母だけが 女の子で 祖母は溺愛してました。
とても仲のいい親子だったと思います。北海道と神戸で離れてましたが
私にとっては 歳の離れた姉妹みたいな関係でした。
よくケンカもしたけど 手紙や電話で交流もありました。
祖母が認知症になったときにも 相談しましたし
それが・・・まさか・・40代の若さで食道がんに侵されるとは
夢にも思ってませんでした。
病気が解る数カ月前 叔母から電話があり食べ物が引っかかる
飲み込みにくいと聞かされたので すぐ病院へいくように
食道がんだったら 大変だからと言いましたが
まさか叔母がなるなんて想像もしてませんでした。
その後入院したとは聞いてましたが手術して悪い所は
全部取れたと聞いてたので 安心してました。
痩せて なんでも洋服が着れるようになり 嬉しいわと叔母
叔父と趣味の旅行にも頻繁に行ってました。
写真が沢山送られてきました。
1年後 調子が悪い夏バテかしら?叔母から連絡があり
一応病院へ行った方がいいよ~再入院 ガンは全身に転移してました。
叔父から 持っても後10日だと言われました。
逢いたがってるので 付き添ってもらえますかと電話が
仕事してましたが友人に頼み 子供たちは舅や姑に頼み
やっかいなコブ付きで(フーテンの寅父純二)私だけ行くと
言ったのに 飛行機代からホテル代まで全部私に払わせ
ついてきやがった(何の役にも立たなかったぜ)
私が行った時は 意識があり すごく喜んでくれました。
ずっといてくれるのと言われたので もちろんと答え
叔母夫婦には子供がいませんでした。
暑い時期でした。36度あったのを覚えてます。
暑くて病院の水道の水を飲む 噴き出したのを覚えてます。
超マズい・・・父にコンビニへ水を買いに行かせました。
それからは 叔父と私と二人って付き添ってました。
叔父はニャンコがいるので時々自宅へ帰り いろいろ準備を
医師の言う事は当たるんですね。後三日ですと言われ
早朝 叔父と叔父の弟さん 私と3人で話してたら
叔母が大きく息を吸い込んだと思ったら心電図がフラットに
慌てて看護師をさんを呼ぶ私 ロビーで寝てた父も起こす
そこからはバタバタで 神戸の丘の上にあるハリストス正教会で
葬儀をおこないました。泣いてたのは私一人でしたね。
いくらでも泣けました。涙が枯れる事はありませんでした。
死化粧も 私が 私のお化粧品で綺麗にしました。
ウクライナ人と日本のハーフでしたので 綺麗な顔でした
まだ48才でした。一緒に旅行行こうねとか計画してたのに
私のよき相談相手でもあり 姉のような存在だった神戸の叔母
10日間だけでも付き添えて 最後まで看取れて本当に良かったです。
でもね~若すぎましたよね 数年前に叔母の兄にあたる
叔父も46才の若さで白血病で亡くしてるので 私がWショックでした。
一番頼りになる叔父と叔母を亡くし 祖母にはなんて伝えよう
入院してましたので(認知症もあり)すぐには伝えませんでした。
溺愛してた一人娘でしたので・・・半年後に言いましたが
そうか・・・と言っただけで無反応 認知症でよかったと
思いましたよ、これが 頭がしっかりしてたら
半狂乱になってたでしょうから 数年後 祖母も食道がんで天国へ
父も70才で心筋梗塞で天国へ そして親戚は身内は誰もいなくなりました。
気楽は 気楽ですが 寂しいです。時々無性に皆に逢いたくなります。
ねえねえ 私が作ったお墓気に入ってる? 皆の名前も掘ったけど
あれでよかった 洋風のお墓にしたけど 入口に置いた
天使の像もいいでしょう ネットで検索して楽天から買ったんだよ
隣に次女のお墓もあるから宜しくね~~
そろそろお墓参りに行こうかなぁ~来月に行こう
連休どこも行かないから うん そうしよう
なんと3Mの両面テープでくっつけたんですよ(5~600円の)
親族誰も1円も残してくれなかったので かなり値切り倒したまして(苦笑)
小さなお墓ですが 愛情は沢山こもってます。右が父と祖父母に叔父達
左が次女のお墓です。左側の天使像が倒れ壊れたので
眠ってる天使像に取り替えました。
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