<写真:浄土宗総本山・知恩院>
浄土宗=法然 浄土真宗・真宗=親鸞 時宗=一遍 日蓮宗=日蓮
法然(1133~1212年)は南無阿弥陀仏を唱えることによって、誰もが極楽往生できるという教えを浄土信仰の中心にしました。末法思想が盛んになった平安末期、浄土宗として作り直しました。京都の比叡山延暦寺で『往生要集』(源信著)により浄土信仰を学びます。「南無阿弥陀仏」を唱えるだけという平易な教えは急速に普及し、民衆はもちろん、後白河法皇や関白などの知識層、武士にも広がりました。総本山は知恩院(京都)で、増上寺(東京・芝)、善光寺(長野)などが全国的にも有名な寺として知られています。
親鸞(1173~1262年)は法然の弟子で、真宗・一向宗・門徒宗とも呼ばれる「浄土真宗」を起こしました。第3代覚如のときに本願寺の次号を掲げて教団として独立、第8代蓮如の時代に勢力を伸ばし浄土真宗は一部門徒が武装し各地で一向一揆を起こします。第11代顕如は大阪の石山本願寺にあって織田信長と「石山合戦」のすえに和解し、京に本願寺を移すことになる(現在の西本願寺)。しかし顕如の死後、慶長7年1607年顕如の長子・教如の真宗大谷派(東本願寺)と末子准如の本願寺派(西本願寺)に分かれました。真宗の巨大化を嫌った徳川家康が教如の後押しをし、豊臣秀吉が後継者に指名した准如と袂を分かったとも言われています。
浄土真宗のもう一派時宗は一遍(1239~1289年)が開祖し、念仏宗とも呼ばれる。念仏権化のため全国を行脚し、「遊行上人」とも言われます。一遍の思想は熊野に代表される神祇との結びつき強く、「賦算」「踊り念仏」を布教手段とする独特のものでした。
日蓮(1222~1282年)は比叡山で12年修学したが、末法に対処するには「法華経」によるしかないと考えていた。時の実力者北条時頼に「立正安国論」をわたして正法であることを訴えた。他宗に対し激論を望んだが黙殺され、数多くの受難を乗り越えて現在の山梨県身延山久遠寺で日蓮宗の宗祖となる。
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