最近自分史を少しずつ整理しています。私は1980-1986年まで香港に住んでいました。当時造船所に勤務しており、初めての海外駐在でした。当初は単身赴任でした。初めての海外で緊張していたのを覚えています。飛行機を降りて香港の熱風を感じた時は外国に来たと思いました。
香港に着いた当初は広東語が判らず、不安もありホテルから遠くへは出掛けられずにいました。
ホテルはスージーウオンの世界で有名はワンチャイという繁華街にありました。暫くすると香港の生活にも慣れました。6ヵ月後には家族も香港に来て6年間の楽しい生活を送りました。
住まいは銅鎖湾(causeway bay)の山手のコンドミニアムの16階でした。窓からは香港の海の様子が見えるHarbou Viewでした。年齢も36才と若く、元気一杯で毎日の仕事が楽しくて仕方ありませんでした。海外勤務を希望していたので、水を得た魚のようなものでした。
私が好きな場所は九龍側からStar Ferryという大きなボートで香港島に向かう時、日本では味わえない旅情を感じました。当時は現在と違い英国の植民地で、Colonial Styleの建築物が多くありました。映画の慕情の舞台となったRepulse Bay Hotel(現在はショッピング・センタ-になっていますが)もあり、それは優雅なものでした。
香港の後インドネシア、タイと駐在しましたが、香港滞在中に中国人との商売のやり方を勉強し、その後の仕事に約に立ちました。その意味で香港は私の第2の故郷、始発駅みたいなものです。
現在は退職し、のんびりした生活を送っておりますが、香港時代の生活を思い起こし、第二の人生を頑張ろうと思っています。あの当時のようには行きませんが、気持ちを若く持ち、何事にも挑戦していきたい。まずは英会話ですね。
無理だといわれると無性に頑張った香港時代を思い出して頑張りたいと思います。
香港に着いた当初は広東語が判らず、不安もありホテルから遠くへは出掛けられずにいました。
ホテルはスージーウオンの世界で有名はワンチャイという繁華街にありました。暫くすると香港の生活にも慣れました。6ヵ月後には家族も香港に来て6年間の楽しい生活を送りました。
住まいは銅鎖湾(causeway bay)の山手のコンドミニアムの16階でした。窓からは香港の海の様子が見えるHarbou Viewでした。年齢も36才と若く、元気一杯で毎日の仕事が楽しくて仕方ありませんでした。海外勤務を希望していたので、水を得た魚のようなものでした。
私が好きな場所は九龍側からStar Ferryという大きなボートで香港島に向かう時、日本では味わえない旅情を感じました。当時は現在と違い英国の植民地で、Colonial Styleの建築物が多くありました。映画の慕情の舞台となったRepulse Bay Hotel(現在はショッピング・センタ-になっていますが)もあり、それは優雅なものでした。
香港の後インドネシア、タイと駐在しましたが、香港滞在中に中国人との商売のやり方を勉強し、その後の仕事に約に立ちました。その意味で香港は私の第2の故郷、始発駅みたいなものです。
現在は退職し、のんびりした生活を送っておりますが、香港時代の生活を思い起こし、第二の人生を頑張ろうと思っています。あの当時のようには行きませんが、気持ちを若く持ち、何事にも挑戦していきたい。まずは英会話ですね。
無理だといわれると無性に頑張った香港時代を思い出して頑張りたいと思います。