花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

今回の風邪か?インフルエンザか?

2016-03-24 22:30:18 | Weblog



猛烈に肩が凝ってくる。
鼻水、くしゃみ、のどの痛み、
摂氏36,8度の微熱。

イソジンガーグルで頻繁にうがいする。

サワシリン、ビタメジン、ショウカコウソ、も
いつもの風邪のように症状がとれてくれない。

喉のひりひりは、いつもなら、抗生剤が良く効いて
扁桃腺なども痛快に治った。

ところが今回の風邪と思しき喉のひりひりは、
気管支から、肺に向かって降りてゆく。

以前、肺炎の時もらった残りの
タリビッドを飲み始めた。

3日目になっても、効果が無い。

この薬が効かないなんて、、、

どうしたら良いか?

肩の痛みと、のどの痛み。。。

とりあえず、熱は出ないから、

瞬間風呂で肩をほぐし、

以前もらって残っていた、

「漢方の麦門冬」蕩を飲んでみた。

タリビッドが効いたのか?
麦門冬蕩が効いたのか?

東西の医学の相乗効果なのか?

其処は学者さんでないとわからないが、

鼻水には小青龍湯が、私の症状には

どんぴしゃりと効果が表れる。

若かりし頃は、家庭と両立するように
漢方薬局を開きたいと思ったものだった。

近くの、大先輩の経営する漢方薬局に

色々教えてもらいに行ったりもしていた。

その薬剤師の方は、かなりの「漢方のおたく」でありました。

木製の、丸薬を造る製剤器具や、
あまり自家製で注文に応じる薬剤師さんは少ないのではと
今でも思っているのは、

「ダイオウシャチュウガン」の
製剤技術を教えてもらった時でした。

このような処方をされるドクターも少ないと思いますが、
受けている薬局も少ないのではないかと思いながら。
薬研を使って、シャチュウヲスリツブシ、
さすがに、、秘伝の滅菌を施し、丸薬にしてゆくのですが

直径5ミリほどの大きさになりました。
ふと思い出したのは、医歯薬学会で上海の総合薬店で
ゼミに相当する説明を受講した帰りの事でした。

上海の大きな薬店では、入り口で医師が脈診をしてくれて、
処方箋をその場で書いてくれた時、
直径1,5センチ以上の大きな、、、大きすぎる丸薬を渡された。
さすがに、、、飲めなくて、しばらくは、飾り棚に置いておきました。
20個ぐらいで1000円でした。

ダイオウシャチュウガンを指導してくださった先生からは
荒木先生の「方術」とかの、臨床経験の本を
わけていただいた。

荒木先生は小岩一中に通っていたころ、
我が家の近所に住んでいらっしゃいました。

その話をすると、

一緒に読んで、討論してくださったり、

5年ほどは、夢中になり、
方術を、自分流に読みふけり、

桑白皮は、南向きの日航に宛てて育てるのが良いのか
東向きが良いのか?
之は、、日照時間のかんけいなのか?
手探りの研究読みに、はまり込んでいました。

春になると、
原野に漢方薬の草根木皮の採集に行ったりした。
北海道では、春は山菜のあずきな、
で、籠はいっぱいになったりしていた。
薬草が目立ち始めるのは、夏過ぎだった。

秋は、キノコを探したり、登山の傍ら、
自然の植生の探索に出かけたものでした。

「げんのしょうこ」や「ドクダメ(どくだみ)」を

畑で栽培して、収穫のお手伝いをしたり、
年齢を超えて、
漢方の製剤が繋ぐ知的な発想に惹かれていた。

この先生のような、
無医村からの注文んで
体に良い漢方生薬を発送して、
蕩液の造り方を、

懇切丁寧に書き送り、
労力を人生の楽しみにしている生活も

とてもいいものだと、
いつか、家事が暇になったら、

自分も、採算度外視で、
漢方薬局をしたいと思っていた。

第二の人生を手探りしていたころ

学会の募集の
日中友好大学交流の機会があったときに

北京、杭州、上海 西安、成都の
中医学院のゼミナールに参加したことが有った。

西洋医学と、コースが別になっており、
成都では、1千軒にもなる、
生薬市場にも行ってみた事があった。

こーいーまー?

断ってカメラで撮影させてもらった。
チベット高原から、かごいっぱいの
霊子などを持って来たと
褐色の汗を流しているチベットの店主から
手のひら大の霊子を5本買った。
当時、100円だった。

その写真は帰国してから、

北大と、北海道薬科大学の生薬学と
漢方学の教室を訪ね、

より細かな説明をしていただいたりして、
旅の収穫を、少しでも公に力のある先生方に
報告して、それについての
より深い、説明などしていただき、
京都大の教授の学会長の時
大きなパネルにして、成都の生薬市場の写真を
ポスターセッションに展示していただきました。

当時、北京の大学関連の先生方の鑑定で、
生薬に、グレードがつけられていたのが興味をそそり、
その資料のグレード表も、ポスターに張り付けておいた。

会場では、神戸大学の
若き日の北原三枝さんとどちらが美人?と
見とれるような、大学の教官と話す機会に恵まれ、
勢いで、朝まで生薬の話をした。

ケモタキソノミーの分類をどのように思うか?と
質問されたとき、
北大で聴講した、
小林先生の「天然物化学」のまとめ方の方が、

壁や突き当りを感じないで、受講できると言っておいた。

しばらく、カッコイイキャリアウーマンの
彼女の才色兼備に圧倒されていた。

その頃は、、、、思い起こせば、、、
かなり、、本気で、漢方や生薬に浸かっていた。

しかし、私の卒業した日大の生薬学は

「生薬科学」と言う、天然物化学が先端を行っており、
学生時代に、すでに植物の科学の面白さに目覚めていた。

当時の恩師が
生薬学会会長をされており、
日韓の国際学会に参加された、、
滝戸先生は
今は亡き、
上田(あげた)先生や、九大の
西岡先生らと信州の山を探索され
研究発表のフィールドワークがあると
母校の定期的な会誌で知り、、
公募のメンバーに応募して
私も、
8月の信州の生薬探索会に参加しました。
教室で、黒板を背に、教わる授業とは別格で、

ヤナギランの山から山に敷き詰められた花の絨毯に
思いっきり見とれて、立ち尽くしていると、
母校の恩師の滝戸先生が
「ヤナギランはね、、、アカバナ科だよ!」
と、教えてくれた。

花の魅力に惑わされている場合ではないと、、、
葉や花や、茎をルーペで観察をしたのでした。

水の流れる溝っこのそばで、
燕尾センノウの淦褐色の可愛い花を見つけた。
またまた、、、ペンを放り出して、

燕尾服着た恋の花を歌にしたり、
山の魔力は計り知れなかった。

植物に天与のパワーがみなぎる中で
説明を受けると、
生薬や、漢方薬の興味に、

目覚めたという瞬間が、何回もありますよね。
鑑真和尚の時代からの
歴史と情熱で保存されている正倉院の植物と
山の神様が育てている植物と人とのかかわりで
世界の平和があり続けてくれるなら

科学がどんなに進んでも、
山から籠を背負い
太陽の子供のような薬草を糧にしている民族が
永遠に、時間の隙間に取り残されないように
仕事の世界遺産があってもいいと思ったりしていました。

薬草や、香料や、染料にと下された
山の神様、、、ありがとう。
滝戸先生が、学会参加の記念品として
小石川の
東大植物園で売っている植物画の入った葉書を下さった。
フィールドワークに参加して
その葉書を持っている人は、
きっと、植物の虜になるかもしれません。

実に美しい葉書でした。

連想して、、、思い出すのは、、、
小磯良平さんの植物の画集です。
薬大の刈米先生との共著だったと記憶しています。

小磯良平さんは、芸術家でいらっしゃいますが、
植物画集を出されています。

60年前、私の父が戦後の疎開先で、
七か村、無医村地区の唯一の外科、~全科の
患者さんの押しかけてくる診療所の
医師だったのですが、

父の診療所の机の上に
「武田薬報」と書かれた
美しい植物画が表紙の雑誌が、毎週来ていました。

戦争で軍の命令で戦地に行った父の草色の奉公袋や
千人針の刺繍の字を観ていると、

戦地では、薬も包帯もなくなり
あたりの植物を火で処理して薬にしたと言っていた
父の話を思い出します。

今は北大の植物演習林もあると聞いていますが、
あのあたりから、多くの薬草が採取され、
村人が、耕してくれたレンタルの畑に
多くの薬草が、植えられていました。

当時は珍しかった、アメリカやヨーロッパの植物の種を
取り寄せては、
父は、見事な薬草園を楽しんでいた。

その表紙に描かれていた植物が
目の前の自然でであったがごとく描かれているのが
小磯画伯の、植物を観ている目の素晴らしい作品集でした。

父が亡くなって、私が薬剤師になって
病院薬局に勤務していたころだっただろうか?

子供のころ見た
懐かしい{ジギタリスの薬草}が
ページに入った画集の出版を、
新聞で見ました。
あの時の表紙の絵を
一冊の植物画集にまとめた本でした。

この本は万と言う値段ですが、
この本と出逢ってから、

私はイギリスの
チェルシー植物園の
薬草ゼミに参加することのできる縁が降ってきました。

其処では1400年代からの
ジギタリスの原種を株分けして保存栽培をしており、
実に!!!
黄色い原種のジギタリスの花が咲いておりました。

勿論、、スライドは撮ってきました。

このような運を運んできた本を

私は、探し探して

追いかけました。その本を探して、、、
大阪まで、、、。

大阪で手に入れたのでした。

医師の臨床漢方とは、
いささか方向が異なり、
薬剤師の漢方学は
生薬の研究と、

科学的解明の
生薬科学の
基礎から考えるものでした。

そして、
材料の生薬の品質を選ぶのが
学問的な裏付けが必要でした。

構成生薬を見ると薬効の流れが、
気に乗って、
各セクションの臓器や筋肉で
プロドラッグのように
形を変えながら、

宇宙の一部である人間と言う流れの中で
バランスを保ちながら
ホメヲスタシスの状態へと渦を巻いて
流れながら、
気が整えられてゆくのが

閉じた瞼のスクリーンに映るようでした。

木村雄四郎先生や、
木島先生は、
学会参加の時
ご自分の著作の御本に
サインをしてくださいました。

「北海道の薬草」と言う
御本を書かれた本間先生も

名寄の薬草園や、
ヒノキ製薬の薬草園で

栽培の指導をしてくださる学会を
サポートしておられ、

そこで、ゲンチアナの栽培に成功した
爺ちゃんが残された布製の本と、
学者さんでも先生でもなかった一人の爺ちゃんが
銅像になっているところへ案内してくださいました。

その本は、後日北大の生薬学の植物栽培の実践の大家だった
助手の先生に頼んで取り寄せてもらい
聴講生だった私の教科書として使わせてもらいました。

植物が繋ぐ地域と人々と山河や、海外の文化交流は
まさに、、、民間外交の歴史だと思ったものでした。

西安の塀の上の唐招提寺の原型を観た時も
タンポポの種になって、
世界中に拡がっている
自然界の力を感じたものでした。

自然を壊すのではなくて、
自然の中にお邪魔さしていただいて
自然の恵みを生業とする人々が、

仮に、、、
時間を止めて、生き続けたとしても
置き去りにならない、世界遺産ゾーンの社会が
成り立てば、、、

科学化する世界の脅威を感じる人は居なくなり、
地球上に、銀行を経由しない生きる居場所があれば

世界平和に、

人類愛、自然愛、地球愛の
一大観光地が出現するのではなかろうか?

植物園、、、などと言うスケールではなくて、、、

人間や動物、森羅万象、全てが自然体のままの、、
自然遺産、、、すなわち、、、世界遺産保護区が有れば、
イイね。

いずれにしても、私の時代の日大の生薬学は輝いていました。
後世に残る
師匠でした。
植物の分類で著名な牧野富太郎博士らと
同時代の、植物に造詣の深い先生でした。

日大の学生時代、
私はラッキーなことに、

温故知新の木村勇四郎先生と、
化学で生薬学を説明する滝戸先生と、

パスツール研究所にもいられたという
パリ大学で博士号を取得された女性の先生が
講座の教授でした。

女性のパリ帰りの教授は
フランス語で授業をされるので、

さっぱりわからない授業が、残念でした。

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何処にも出られず安静な毎日は
学生時代からの思い出を
走馬灯のように、頭の中で回り始めて
終わりなき思い出話になりました。

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風邪なのか、、インフルエンザウイルスなのか、

抗生剤の効果のないこの一週間、

生薬と、漢方薬に、最後の望みを搔けて
奇跡的にも、症状が、とれて、ラッキーでした。

西洋医学と、漢方薬のコラボレーションの
効果を、体感しました。

本来なら、かっての自分なら、
タリビッドが効力ないとわかったときは、
近くのかかりつけ医の所に駆け込んでいるはずですが、

若かりし日々の、漢方に夢中だったころを思い出し、

年寄りの自分には、麦門蕩も小青龍湯もがあるではないかと、
服用をしたのでした。


「科学の目」で生薬を研究する秀逸な授業が有った。

そして、「温故知新」と、授業の初めに
黒板に大きな文字を書かれてから講義をされた教授は
和漢薬の大御所の木村勇四郎先生でした。

恩師の教えは、いつまでも、引き継がれてゆくことを祈ります、