花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

なる様にしかならない、、、と諦めない、、、

2017-06-04 12:59:26 | Weblog

タコが、自分の足を喰い始めたら、、、最後にはどうなるの?

世界には、、、今、、、いくつの国がありますか?

2階建ての瓦屋根が、

粋な黒塀、見越しの松に囲まれた集落の集落が

日本だったような錯覚に陥る。

50年前の札幌は、駅前に「五番館」

やがて、、、三越が進出。

北海道は、アイヌさんの土地だったとか。

和人が、アイヌさんとまじりあって、

白老には先住民の様子がわかる観光のバスが止まる。

札幌の藻岩山も。我が家からは見えなくなった。

あちこちに、タワーマンションが建ち始めて

地下の歩道がにぎ合う。

 

いつしか、北海道は、

日本のどこにもある風景に変わっていった。

 

クラーク先生が

学生たちと別れたという羊が丘あたり。

50年前の私が、知っていたのは「羊が丘」だけだった。

ボーイズ ビ アンビシャス。

北海道の特徴は、かなりのインテリでないと

英語を話さないという事に、不思議を覚えた50年前。

今では、倶知安あたりのスキー場の周りには

外人が年間166万人、、、来訪すると、、、道新に書いてあった。

主人は「英会話」を、しようとはしない。

大学院で、博士号をとっているから、

ややこしい難解な英文はすらりと訳せる。

しかし、、、外人に逢うと、

ナイス  ユウ ミイト ユウ、、、、( × × )、、、だけ。

書いてもらうと、書き返すことはできるが、、、

聞き取れない様子である。

ニュースシャワーなど始まると、

トイレに入ったまま、、、

自室に戻り、、、日本語のTV番組を観始める。

それでいて、運よく、、、

アメリカはいろんなところに行っている。

青い帽子の手術着で、アメリカ人医師の執刀の相方をさせてもらっている。

英語は、、、どうやって話したの?

「医学英語だけは、日本語なみに、不便はしないよと答えた。

無給医時代の我らの時代は「ドイツ語がメインだったんだよ!」

本当かしらね?

多くの医師が訪問するドイツだけには行きたいと思い

ドイツ語を聞き取れて、話せるようにと、努力したと、自分で言う。

そういうからには、ドイツ行きを計画すれば、

私は主人のドイツ語で、楽々な旅をできるはず。

医学研修のつもりで、

森鴎外などの歩いたドイツの旅を計画した。

なんせ、、、ドイツ語を勉強したとのたまう主人を

信じるも、信じないも、、、現地に行けばわかる事!

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待望のドイツについて、自信があるのか、

すたすたと、一人で早足で、どんどん行ってしまう。

帰り道に困ると思い、角が来るたびにデジカメして

ドイツで買ったお気に入りの

チロリアンハットの主人を、はるかかなたに撮影しながら

迷子にならないようにだけ、注意を払った。

どこかの建物に入り

舞い戻ってきた主人は、困ったように言う。

「トラベルチケットを現金化できないし、、まいった!」

「ドイツ語が通じないんだよ、、、」

「ドイツ語は得言って言っていたじゃないの!?」

「・・・・・・しょんぼり顔(--!」

デパートを見つけた。旅行に来て初めて、ならんで歩き

二人でエスカレーターに乗った。

4階まで行くと、トラベルチケットを現金化してくれるコーナーが有った。

私は、英会話が苦手という主人に、

「中学生の英語でいいから、

チェインジ!と言ってごらんなさいよ、、、これも旅の醍醐味でしょう!」

プッシュした。

何と、、、ドイツでも、、、英語が通じたのでした。

へたくそなドイツ語より、

へたくそな英語の方が通じるのでした。

二人で歩くように配慮するようになった主人と

通りにある「レストランに入った。」

丸々と太った50歳ぐらいの女性店主が、ニコニコと、

コーナー椅子に案内してくれた。

英語なのか?ドイツ語なのか?

へたくそなチャンポン語でも、

店主の太っちょおばさんは上機嫌で

指でさしたメニュウのランチや果物を運んできた。

若い時に「日本に行った事がある」と言った。

主人は、、、やおら、、、、フルエントリーに

ドイツ語を、、、抑揚つけて、長々と、上機嫌で言い出した。

しばらくして、夫人は、破顔一笑して「拍手!拍手!」、、、

すごいな~~~~と、思うでしょう?

何のことはない、丸暗記していた「ローレライ」の歌詞を

ペラペラと言っただけだった。

すっかり仲良しのようになって、

店主の女性も、上機嫌で、何かを盛んに言ってきた。

「日本に行った事がある」!この一言がわかれば、

何語でもいいのだ、、、手振りや身振りで、、、話も歌も

通じることが体験できた。

人と人は、心が呼び合えば、言ってることは通じることがうれしい。

すっかり、自信をつけた主人は、

再び、マイペースで、あちらこちらにいってしまうので、

再びデジカメしながら、迷子にだけはならないように

シャッターをきりながら、主人を見失わない程度の間隔で

ドイツの街の通り全体とチロリアンハットの後姿のリュックを

仕事の一巻だと覚悟して、撮影を続けた。

ともかく、、、帰り道は、デジカメを逆回しして、角々を確認しながら

ホテルに到着。

長き50年にわたる夫婦というセットにはなってきたが、、、

「やじきた道中」のように

二人で並んでとった写真は、ほとんどない。

この次に、もう一度「ドイツに行きたい」と言っても、、、

英語は通じないかもしれませんね。

うっかり、、、英語で話しかけても、、、

「ドイツ ファースト」、、、

Deutsch erst!

一言しか、、、聞き取れないかもしれません。

世界中の末永い、、、平等に向かって、永遠の緑の地球という

万民の財産を 守り続けることが、

日本に託された、

「戦争や、争いの汚染物質で地球を汚さない工夫」の

世界平和への政治が、地球も、日本も、守れるのとは違いますか?

世界中を、わが身の限界まで走り回って下さった

陛下と、美智子様、皇室の方々のご努力を

政治家の皆さんも、いまだに存在すらわからない、金屏風を造られた

大きい人たちは、戦争が、地球を壊す時代に入ったことを、

科学的にも、全世界に認識を深めて、

科学を、戦争兵器に用いないという、、、自然への回帰にも似た進展を

心から祈りながら、

70歳時代の山寺への階段を、一歩 一歩登ってゆきます。

古池や、、、蛙 とびこむ 水の音。

幸せや、最高の贅沢は、、、自然との共生共存かもしれませんね。

羊が丘のふもとの、発展しようのない片隅に

雪掻きを最小限にしたコンクリートの住宅が

終の棲家になっている、、、穏やかな地球の片隅で、

地球   ファーストにしてほしいと、、、願っています。