ここのところ、真夜中のTVが面白くって
朝まで起きて、早朝5時から家事にとりかかり、
PM.2時ごろから、昼食をとりながら
TVに、、、またまた貴重な残り少ない人生を
付き合ってます。
家事の内容ですか?
早朝に家じゅうのゴミを集めて
ゴミ箱を空にして、、、ついでにお隣の叔父さんが
ゴミを捨てる時間と重なると
「ついでだから、、、捨てておいてあげますよ~~~」と
一緒にゴミネット籠に入れておく。
月初めの町内会の資源ごみ
ダンボールを分解して
5個づつ重ねて紐をかける。
雨が続いたので草が抜きやすいので、
家の周りから、お隣さんの所まで
歩道なので、誰のものでもない区域が
草があるとゴミだまりになるので引っこ抜く、
我が家は母屋と離れになっている間に
石畳に沿って
草が
田植えのされた水田のように
石のすき間に規則正しく生えるので
雨の続いた時でないと引っこ抜けないのです。
二時間もすると90センチ
四方の大型ごみビニールが
2個3個といっぱいになるから、、、北海道は広い。
ここは、買った当時は「たけの子山」だった。
造成しているが坂の部分の段差は
タケノコの根を残したま盛土造成されているから、
竹が生えてくるのだ、
カラスの子が巣から落ちて片方の羽を損傷して
飛べなくて、餌がとれないとき、
我が家の門の前には
とべない子ガラスと
見守る親ガラスの集団が威嚇してきていた。
カラスは頭がいい。
子ガラスにだけ、パンのミミを一本だけ与えると、
親ガラスも、けたたましくなく。
親は無視して、地面をピョンピョン飛び歩くまで、
生命維持の最低の量のパンのミミを一本ちぎって与え続けた。
何日かすると、周りで騒いでいた親は来なくなった。
子供のカラスだけが、餌をやらなければならないという
不思議な、鳴き声で、餌をねだってきた。
門に飛び乗れるようになった時から
もう餌はやらなかった、
しかし、
野生に戻れたのか
我が家の界隈の大きなヒバの木にとまり
子ガラスの時のように
パンのミミをねだって鳴くが
私は、飛べるようになったカラスには
一切構わない。
知らん顔して歩くのだが、
電信柱にとまって、
鳴き声で話しかけてきているように聞こえる。
知らん顔して無視すると
鳴くのを辞めて、長い時間動かずに止まったままであった。
カラスが大嫌いな奥さんが近くに住んでいます。
羽根を怪我して飛べないからと、
言い訳しながら、パンのミミを小さき切った一本を与えていたら
「私、カラスが大嫌いなの、、、餌遣らないでください!!」
珍しく、女優さんのような美しい人なのですが
すごい迫力で本気で怒っていた。
私は、裏の離れの庭の隅に
見えないように、、、小さなパンも耳をちぎってひとかけら置いた。
カラスは、私についてきた。
カラスの姿が、裏の離れのハイマツの下のパンを待つといううちに
我が家の母屋の方にはカラスの姿は見えなくなった。
前の奥さんが、以前、
旦那さんに頼んだのか、
旦那さんが
箒でカラスを追い回したことが有った。
カラスは、仲間を連れてきて
旦那さんの、振り回す箒に向かって
威嚇してくるからすごい。
構わない方が、、、良いですよ、。。。
構うと、仲間連れてきて攻撃してきますよ、、、。
旦那さんは小さな子供を気遣って、
それでも、カラスと格闘していたが、、、
疲れたのか、、、ばかばかしくなったのか
カラスを無視し始めると
カラスは、どこかに行ってしまった。
あの、、、子ガラスだった一羽だけが、
屋根や、電柱のてっぺんで
私の動向をジーと観ているようだ。
早朝の草取りの間中、
物置の屋根や、車庫の屋根に止まって
餌はくれないと解っていながら
子ガラスの時に
餌をもらったときに鳴く甘えた泣き声を出すから
負けそうになる。
しかし、せっかく野生に帰ったのだから、
もう、、、餌は自分で探しなさいと、
カラスには餌はやらない。
カラスだって、甘えが出ると、
厳しい雪のの季節には生き延びることは無理であろう。
ふと、、、今は私の手を離れた子供たちの
幼いころを思い出していた。
子供のころ、、、
次男だからと、
甘えかした育児を反省する時がある。
もう、、、10年以上も里帰りはしないが、、、理由がある。
せっかくの貴重な正月に、
羽田を発ったまま、札幌上空を4時間も旋回して
再び、羽田に到着して以来、
「母さん、、、もう里帰りはしない。
飛行機が怖くなった、、、。」
「母さんの方から、冬を避けて、僕の病院の近くのKKRに来てくれ。」
タクシーで一日観光に案内するから、、、」
それ以来、毎年スーパー早割で
天気予報で雨の少ない季節に富士山を観に
楽しみに出かけることにしている。
息子は、、、医師をすること以外は不器用な方である。
絵も、上手い。
音楽も、バンドリーダーをつとめられる中学時代だった。
文章は、私の100倍は歯切れのよい魅力の表現で
大学の頃は100万人のアクセスがあるほど、
片手間にブログを作っていた。
世間では評価されている大学の分院で
ドクターヘリの飛んでくる救急に
自分は役立っているという充実感で
生き生きとして働いてはいるが、、、
結婚をしないという。
名門と言われる私立医科大学の
スーパに、裕福に育った友人たちの
夏休みの旅行への誘いが、海外旅行だった。
サラリマン勤務医の我が家からは
授業料を払いきらねばと、
親は緊縮財政に本腰で、節約していた時期であった。
「海外旅行の100万円は、出せない。」と
息子が、大学で親友を幅広く作るチャンスに
親は答えられないという、情けない臆病な時代が有った。
7年の大学時代に、
私がそうであったように、、、親が死んでしまったら
医科大学の中退なんて、万に一つもあってはならない。
7年間だけ有効期間で、月謝を保証する保険にも加入した。
今思うと、、、気が小さいと、不必要な保険にも
必死になって加入した自分の臆病風が、哀しく可笑しい。
卒業後、18年も生きていて、
あの時点では、子供が卒業する前の命を考えてしまった。
保険だけでは安心できず、
何にかかるかわからないという事を
今回の息子の骨折で思い知ったことが、、、後から考えると
過剰防衛の悪あがきにも覆えてくるから不思議です。
のど元過ぎると、、、人は相当なピンチ感も散財も、
心のバランスを保つ機能が立ち上がり
それなりに、平和ボケしてくるところがありますね。
私は、手っ取り早く仲間に慣れて働きやすい
調剤薬局の立ち上げグループとして
正職員として、働き始めて一年近くなるとき、
運動部に所属していた息子は
解剖学の緊張が終わり、
御遺体さまに「明日も、僕の為に御遺体をもってご指導ください。」
実はその日で、解剖学の御遺体との学問はあらかた御wリを迎えていたという
緊張感から、、、ふと、、、解放されていた。
深々と頭を下げた後、
部活の、格闘技の道場に行ったのでした。
そして、、、骨折。
店長になったばかりの私は、
骨折なので長期にわたる休暇は、入って一年では無理なので
断腸の思いで、退職して
息子に2か月寄り添って、同居して
主人から頼まれたとうりに、
脳に異常のある手の痺れや、
特殊な状態があったら報告するようにと
2か月半に渡り、息子と寝食を共にして、
今までと、異常な状態が起きないかと、
見守り報告をする役目を果たした。
あっという間に2か月は過ぎて、
異常なく、学校も、休むことなしに
車いすも体験して、
未来の医師は
患者体験という
他の学生のできない
ラッキーな受け身ではあったが、貴重な授業を体験した。
塞翁が馬であったと、今はゾーとしながらも
苦笑いが出てくる体験を親子で共有できた、、、変な絆である。
次男は子供の頃より
頭でっかちなところがあって、
自分の体力も
、親の財政的援助も無理だろう、、、と思うところに
挑戦するという、、、
未熟な冒険家の所が有った。
親が全力を尽くして、やっと応援団長をつとめられた感は
小学生になった段階で
世間様に生かしてもらえるように、、、
良い仕事が出来るように、
親としては、国家免許を身に付けさせて
大海に泳いでゆくのを見送るしかありません。
北海道から、、、親元から、、、
漕ぎ出していってしまったのですからね。
幸運の女神さまを信じて、息子を預けて、
私は歳をどんどんとって、、、
何も感じない時代に突入してゆき、、、
赤ちゃんが、ママのおっぱいを全力で吸いながら
コテン!、、、と眠ってしまうように
私は、、、全力で生きて行きながら、、、コテンと、、、
長い眠りにつくように、
人生は、天の恵みのおっぱいを全力で吸って、、、コテンと眠るのよね、、、きっと。
思い出ばかりが浮かんでは消える、、、消えては浮かぶ、、、。
母親はいつまでも、わが子と生きているのかもしれない、
大海原で、はるかに離れているのに
息子の船が揺れると、、、私の小さな舟も揺れるから、、、不思議。
小学生の時、「オーストラリアへの夏休み体験旅行」にも
一か月という長期のイベントに参加してきている。
留守中の親の、心配な落ち着かない心とは裏腹に
クジャクを追いかけたり、カンガルーと戯れたり
コアラを抱っこしてきたり
貴重な、、サンゴ礁を舟で探検出来たり、
オーストラリアの地図が、日本での地図と比べて
逆さまになっているので、
行き先々で地図をひっくり返して場所を探した経験が
學校に帰ってから役に立ったそうである。
世の中には正しいと思って観ている世界地図でさえ
オーストラリアの店で買った地図は
逆さまなんだよね、、、。
正しいことは、正しくないときもあるんだよ。
もうすぐ、、、46歳になる息子は
独身のまま、、、結婚の事は考えないという状況で
仕事一本に生きがいを求めて、
人生の、不得手な部分の義務と
仕事とを両立させながら、
つぶやいている。
医師になった本人は、自分の満足はともかく、
「ラッキーな環境に居たという自覚はあるが、
親はたまんなかっただろうね、、、こんな息子をもって、、、。」
僕なりによそ見をせずに頑張ったつもりが、
「医師をすることだけ」、、、「これしか出来ていない46歳の不器用さに
医師に成れていなかったことを考えると、、、
廻りはあまりにも、その道のプロなので、
ついて行けてなかったと思うよ、、、。
教養の時代に
体育部の学生と一年間同居したけれど、
「走っても、飛んでも、投げても、、泳いでも、スキーをやっても
全て、、、段違いなんだよね、、、」
置いてけぼりなのさ、、、孤独なんてものじゃなくて、、、
≪完全に敗北≫を感じたね。」
子育ては、若き、血気にはやっている後輩に任せて
シッカリ働いて、、、税金をはらって、
良い国民であれば、、、母さんは
「君は、、、医師になってよかった!」思いますよ。
「医師しか出来ない、、、という事は。。。医師が出来ているという事!」
イイじゃないの、一つできれば、それで社会に貢献でき☜
感謝を体で表現できているのですからね。」
忙しいのは、、、
臨床家の皆に言えることだから。
46歳の誕生日には、、、良いことが、、、有るといいね!。
今日は君だけが読んでくれればよいように、
日記を書きました。
健康に気を付けて、、、その日が充実してれば好日だよ。
もう、、、結婚の事は考えないで、
「自分流に、仕事から、幸せを感じて生きてくれればと祈っています。」
縁は不思議なものでね、、、
ママは75歳の後期高齢者になりましたが
まだ、シュウカツは始めていません。
毎日、大目に捨てることだけ心がけていますが
80歳までは、、、頑張って、呆けないように
北大のアカデミーで、非日常の一時間30分を体験することで
授業料の納入が
若き理科学者の研究材料費の応援に回ればと
有効に老後の、≒27000円の学会応援参加の自己研鑽という
欲張りな夢を楽しみながら
気が付くと、、、80歳になっていたらいいね。
そのようにして、ここから先は、子離れの時代です。
大自然が素晴らしい北国の山の見える札幌で
羊ケ丘の裾野の坂道の造成地を買ったのは
30代の頃でした。
今でも、、、至近距離を
熊ちゃんが、、、うろうろ、、、鹿ちゃんもきょとん!
夕闇迫ると、目の前の公園の下の坂道から
北キツネがトコトコ、ふさふさ、、、やってくる。
坂の上の大公園の植込みは
クマちゃんが隠れたら困るからかな?
ァ―という間に、、、伐採されて、見通しが良すぎる公園に変身!
東京都の真ん中に、
自然のままの緑地帯があり続けるのは、、、日本の宝であり
明治神宮も、皇居も、日本人の心そのままの文化が
自然と守られてきたという、、、
季節のよい日に
小中学生が、この森に入って自然を知るという
本来の足下にある学問とは、こういったTVの画面に
何気なく放映される、、、すごいレベルの高いことが
ハードルを感じさせないまま
小学生が、身体で、体感しながら自然のバランスの
絶妙な共生を学ぶという
東京はやっぱり、、、教育のてっぺんのレベルが
遊びながら、、、レジャー感覚で
皇居の杜に、、、どんぐりのように
落ちてるから
親子で、参加するだけで、世界平和のなせる
大自然の遺産が語ることは大きいと、、、
私は、24歳まで東京の住民だった。
息子も、文京区の自宅マンションから大学に通ったのに、
皇居の杜は、、、入れるところだとは気が付かなかった。
平成14年、転勤した息子には
東京の実家マンションは不要であり、
被災地復興に回っていくことを祈りながら
社会に全額おもどしして、
東京を離れました。
離れる前に、、、どうして、、、皇居の杜を歩いてこなかったのかと!
後悔しています。
息子は、、、いつか、いつの日か、、、
東京に帰ることが有れば、、、
皇居の杜を一緒に歩いて、
大都会東京都のど真ん中の杜を、、、歩いてみたいと思っています。
絶滅危惧種の動物や植物や、
北海道の「ぎんれいそう」によく似た
日光に見放されても、白く逞しく美しく咲いている
あの花を見つけに行きたいと思っています。
昭和10年から20年の間に生まれた私たち兄弟姉妹は
尤も戦後を感じる時代に生きた親の教育を受けて育ちました。
復興と、負ける者か、、と勝気が先立ち
自分流に生き延びた時代の教育は
ややもすると、勝ち負け、、、権力、、、勝気が生き延びる気力だった時代だけに
謙虚に「学ぶ」心が待てなくて、自己流のハチャメチャな声のでっかい奴らがイニシアチブをとっていた。
75歳になって、社会に影響なくなった段階で
意見を聞いてもらえるという人も多いと思える戦後の復活の社会を振り返っています。
北海道の学力一番の高校で、ある意味で大海を知らなかった息子は
自己主張も強く、言いたいことも言う方なので、
年上の姉さんの様に
温かく受け止めてくれて、
包んでくれて、
頭が良いのか悪いのか今一解らない???面白い発想の息子の視点を
一味加えて、一般に解る説明に出来るように、
当たり前の会話を楽しむことを気付く方向へ導いてくれる家庭を創って下さる女性を待っています。
大学に残っている臨床医は、社会には貢献していますが、
常識的な幸せを感じるセンサーが未開発なので、
家庭では普通のジャージでリラックスできる家庭を創ってくれる「主婦」が人生の目的の女性を待っています。
縁結びの神様にお願いして、明日が解らない後期高齢者の余生を、、、神様にお願いして
子離れの31年9月吉日とメモっておきます。
私は、いつの日かこの世との卒業の日の為に
ブログを観て下さった人に、私の笑顔の写真を掲載する日を約束します。