花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

型として習慣づけたい、、、歴史の恐怖は事実だから。

2020-05-22 07:07:47 | Weblog

感染症の拡大を、、、

島国と言う利点を駆使して、、、水際で食い止めてゆく事が

日本が日本として、

復活するための条件であることは、、、

国民の誰もが感じる何代であると思います。

 

東京の知事さんも、

大阪の知事さんも

ヒトとしては立派で、、、

スーパーに大阪を、

東京を考えて、全力を尽くされているのがわかります。

 

北海道の知事さんも、

札幌の市長さんも、

いち早く、打つ手は打ちました。

                        

しかし、島国の中の、、、

またまた島である北海道は

ロシアも近く、大陸も目の前です。

 

真夜中の遭難船も、

息絶え絶えの貧困層が病原菌とともに漂着して

海岸線から隔離病棟が必要な地形をしています。

 

沖ノ島も、対馬も、済州島も、、、

まるで国境がないかのような位置にあります。

 

今、、、アジアも世界も、国と国とが

コロナの前には、、、一体となり、、、ワンチームにならねば

延々と、、、

10年ごと、、、100年ごと、、、コロナは繰り返されてゆくでしょう。

 

    戦争の時の哀しい日本人の戦死は記憶に新しいでしょう!

    また、、、有ってはならない民族の虐待

    例えばナチスドイツの

              ユダヤ人の亡くなられた人は600万人に及びました。

    !!!!!!!!!

    しかし、、、、1347年から51年、、、

             ペストがヨーロッパを襲ったときの亡くなられた人は

    実に、、、!!!

             7500万人       ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,記録を観たことがあります。

 

    人為的なナチスドイツが

    ユダヤ人を虐待ならしめた、、、人間がなせる戦慄の事件よりも

    ペストは人々を、、、、、

         ナチスドイツの殺戮の死の、、、

                 実に10倍の人々を

                    病死に追いやっています。

 

第一次世界大戦で亡くなられた人々は、、、900万人と、

               何かの統計の論文で観たことがあります。

    ペストの7500万人の病死と比較すると

               第一次世界大戦で失われた人命は

                      ペストで病死した人命の

                          八分の一にも及ばないのですものね~~~~!

 

           これは万華鏡です、、、

                                   コロナではありません。

戦争の記憶が残っている昭和10年代生まれの、、、私たち、、、!!!

       人類の科学が生んだ原子爆弾!、、、

           第二次世界大戦の戦争犠牲者は、、、、、

                    5000万人ともいわれています。

                 ラバウルでの玉砕!

                    万歳岬から身を投げた日本女性の選んだ終戦、、、

 

             まだまだ、、、人間の間違った殺戮は、、、鬼か悪魔か!?

                 スターリンが、、、1200万人

                 蒙古の中国農民虐殺が3500万人、、、

 

人間のなせるわざとは思えない、、、ショックな殺戮も、、、

              感染症と比べると

                人類と感染症の歴史を振り返ると、、、

                   人間業ではかなわない人数の死体の山が記録されています。

               

 

                これは、、、 原因はいくつか考えられますよね。

                ペストが流行った1347年に重なる、、、

                民族が移動した出来事を歴史は知っています。

                その歴史の年代を考えてみると、、、

                      人類の移動が同時代に起きています。

                     蒙古帝国の侵略軍が

                     中国に攻め入って、

                      農民虐殺をしたのが、、、

                       1311年~40年!!!!!!!!!

                     この時の環境を考えてみると、、、

             モンゴール帝国の侵略戦争がユーラシア大陸の交易を独裁下に支配して

                   交易が故に、、、

                ヨーロッパと行き来する人類の移動が重なります。

                      

                 14世紀に大流行りしていたヨーロッパのペストが、、、

                    モンゴール帝国を経由して

                アジアに入ってきたという推測が成り立ちます。

 

 

                       1348年~53年

                       たった6年間で、、、

                  !!!2000万人とも3000万人ともいわれる死者が出ています。

 

                   換算すると、、、毎日10000万人弱の死亡者が

                      感染して死んでいたという、、、

                    旋律の感染のなせる歴史の証言!?

                    ペストは幸い、、、ワクチンは無くても、、、

               抗生剤が効くという事で、流行をストップさせていますが、、、

 

               文献を、日ごろ読んでいる関係上、、、、、、

 

                「納得して、、、家に居るように、、、!」という、

                ストレス回避の自宅籠城の作業です。

            私も薬剤師と、衛生検査技師と、衛生管理者の免許保持者である以上

           でたらめな事を書くわけにはゆきませんので

                「コロナ対策を、、、私的なスケールで

               パンデミックな統計の資料を基にして、考察してみました。

                      

                    *************

          「相棒」の杉下さんではないですが、、、、そうそう、、、もう一つ!!!👆

                   20世紀に入ってからの資料を視てみました。

                      

                 1918年のスペインインフルエンザの

                          パンデミックは

                        

                 5000万人が死んでいるという資料が有りました。

      

                     しかも20世紀だけで、、、

                  3回もインフルエンザの流行が起きている!

 

                    21世紀には、、、1回起きている!!!

 

                        これは、、、

                スペインの都市が大都市化への人口密度の過密が有ったのではないか???

 

                   交通網が発達して、陸続きのヨーロッパは

                   日本のような「水際作戦がとれない!」、、、

                      原因が「三密」だとは、、、

                      誰も考えなかった!?、、、

                   大都市志向は、経済が中心の発展を余儀なくされるでしょう!!!

                   そろばん勘定、、、パソコンの2進法の理論で

              大都市への変貌開発は

                     数学的には正しく合理的!!!

                           しかし、、、緻密さに欠ける!

                              経済理論を軸に統計学が「命」を見落としている。

                   ****************

                    パソコンの2進法の理論が、

                   西洋タンポポの遺伝子にも似て、

                  クローンの集積の大都市化が始まっていた。

 

また、、、インフルエンザウイルスは、、、

核酸(薬学大学ではRNA,,とか。。。DNA。。。で表しますが、、、)

核酸のうちでも、、、RNAと、これらのお取り巻き保護隊のタンパク質が

 

それぞれの組み合わせで、、、、、

 

抗原性が違ってくるという、、、、、

生命の科学であるが、、、

「生化学の昭和40年代の薬学の旧い教科書にも、、、すでに出ていた。」

解りやすく簡略に表現するなら

A型、   B型    C型、、、のタイプ分けをすると、、、

世界制覇のパンデミックを起こすタイプは、、、、

                A型であると書いてあった。

 

                B型は,、、主として、、、ヒトにも感染する。

                C型は、、、ヒトへの感染の証拠は、、、

                      当時の教科書の時代には、ないという。

 

             道新の主催した「北大アカデミックの講習会でも、、、、、、」

             糖タンパクが、、、感染防御免疫の標的抗原となると、、、聞いた。

 

                      HAと呼ばれる16種

                      NAと呼ばれる9種類

            A型にはこれらが組み合わさるので、、、すごい数になる!!!

 

                  解っているだけでも140種以上ある、、、。

                   

                  表現方法としては 

                        

                   ***A型の場合***

                    、、、、、、H1N1

                    、、、、、、H3N2

                        、、、、、、

                      

                     ***B型の場合*******

                    HAとNAの違いによる亜型は、、、

                       文献を探すことが、、、

                    私には難しすぎて、、、ワカラナイ!。

                         

                   ハッキリしていることは******C型には、、、

                   HAとか、、、NAの文献は、、、

                   私には見つけることが出来なかった。

 

                      あるんじゃラ、、、?無いんじゃラ?

 

                  大流行でもすれば、、、学者さんが、、、また、、、

                  今回に限り事情が事情なので

                      無料で、文献を公開します、、、なんて、、、

                                 やってくださるかもしれないから。

                                   その時は、、、

                                       呆けていない私であれば、、、

               主婦の趣味は、、、文献の閲覧で、時代の推測です。

                  世代交代の押し寄せる日々の中で

                  阿部首相は、

                  全力を尽くされていらっしゃいますが、

                  サポーターのオピニオンリーダーは、

                 このような世界のパンデミックのさなか時の

                 「政権の混乱」を避けてほしいと思いました。

        世界は混乱の中でも、阿部首相の知名度は確認しているとおおいますが、、、

           いつぞやのように、、、短期間の野党政権になったとき、、、

            50年間も、地道にCTや、画像診断の発展に人生をささげた

             国立がんセンターに、与党になったばかりの、、、政治の介入が有りました。

           終戦時の苦労を超えて、疎開地の南紀で

           戦争を知らない弟が誕生したとき

           にわかに疎開人口で3000人ほどに膨らんでいた疎開村は

           戦後の新しい男の子の誕生を、全員が喜んで、

           日本復活の団塊の世代として、、、今日の日本を牽引してきた世代である。

           父が疎開地で使っていたレントゲンは、

            未発達の時代の機種だけに、放射線が漏れて、、、

           父の手は、、、潰瘍が痛々しかった。

           山又山のなかにもB29の、、、ゴンゴンゴン、、、と。独特の音が

           戦後も、日本の空を巡回していた。

           日本復活の道は、、、新しい学問を受けさせて、

           アメリカに追いつき追い越す気迫が父を故郷の生まれ故郷の東京へと

           男の子三人の教育の為に、最後の力を振り絞って、、、東京の教育を受けさせてくれた。

           国立がんセンターが発足する時は、長男はまだ医師の卵の時代だった。

         「 臨床と、研究との両輪のタイアップで、

               未来に向かう理想の、、、がんセンターが出来る!!!」

     外科医で戦争中を医師としては不遇な設備で、天命に沿って戦った軍隊から帰った父は

     長男の内科医に、医師同士の熱っぽさで、、、がんセンターの誕生を話していたのが

      昨日のように、、、思い出される。

     父の話に啓蒙された兄は、がんセンターに通いながら、、、崎田先生や、黒崎先生のご指導で

     胃カメラの、指導医を許され、、、鴨川の大きな総合病院の指導医をしていました。

     10年以上も後から産まれた弟が、、、千葉大学の医学部に合格したときから、

     父と、兄貴と、、、弟の、がんセンターへの道が開かれていった。

     弟が医師になって間もなくの時、市川平三郎先生と運命の出会いが有った。

            弟は、、日本国内では「CTって何ですか?」と言われるほど、

          画像診断が日本に普及していない昭和の時代に

         東芝や、東北大学の後に教授になった人たちなど、、、

           多くのジャンルの知恵者や技術者、企画の人たちと円卓を囲んで

                   癌の早期発見に、

            CTや、ヘリカルCTや、仮想大腸境のような開発に

           死亡率の高い「がん」の早期発見による延命を目的にして

           日夜、あの頃のスタッフは、、、家に帰らずに、、、がんセンターの廊下で

           夜明かししながら、、、超人的な戦後の復興の医学の一翼を担っていたのを

           私は目の当たりにしながら、、、

              日本の団塊の世代のすごさは、、、

                忘れられない記憶である。

                 すべてのジャンルに置いて、、、

                   壊滅状態の日本を復活させていったのだった。

                  弟も、、、天命によって

           「がん回廊の朝に向かうスタッフ」に選んでいただいたようだッタ。

                

        戦後の復活を担って、団塊の世代の頑張りを医学の分野において果たしたのですが、

      その、、、頑張りの50年は北海道に嫁いで、天涯孤独の私の結婚生活の「太陽」でもあった。

         定年の時、、、自民党から、民主党に政権が代わりました。

議員さんが、、、政治家と言う権力者ではいらっしゃるのですが、

政治家の見識では正しいと信じたのでしょうが、、

50年目の甲子園を前に仕上げをと勤しんでいる球児にも似て、

仕事の集大成のまとめだけに、全部の時間を注いでいた矢先に

政治が介入してきた、、、と、、、

いつも、弟を見つめていた姉の目には映りました。

   、医師たちの現場や、

      「必然の死に至る病」との闘う兵士の現場医師の

          50年間の、がん細胞との

            し烈な戦いの戦場の経過を知らないがゆえに

     病気を緻密な視点で考えるという、、、専門家の基本の謙虚さが、、、

          素人にはかけていたのではなかろうか? 

     彼らも、、、日本の未来を、、、

           彼らなりに、、、考えたに違いないが、、、

                   医師への、風評からくる認識が強くて、

             現場の命がけの闘いが、、、

                     医療を受けた患者経験者にしか理解されないだけに

             、、、理解するには患者経験しかないと、、、思うのですよね。

 

 弟たちの、医師としての、超人的な頑張りの現場が

理解できなかったのではなかろうか?

50年間の、最後のデーターの集積が、、、

がんの早期発見のスタッフが 

政治の介入で、要職から去ってゆきました。

政治の介入が、集大成の50周年記念の時期を迎えたがんセンター

 

50周年の、人生で積み上げたデーターの分析を

後に続く後輩に残すべく編集の最中に

政治が、、、、介入してきたのが、、、

悪夢の、、、独立法人化、、、そして、、、再び国立へ逆戻りの

政権交代が短期間だっただけに、、、

そのクレパスに、、、消えたがんセンターのスタッフたち。

二番じゃだめなのですか?、、、で有名な野党が

政権をとったときでした。

大切な、現場にしかわからない必要不可欠の予算が削られて行った。

、はた目にも、こんなことがあって良斧かと疑いたくなるような

失意で、独立法人時代のがんセンターを振り返るのです。

カッコたる良い仕事をした評価もされた弟は、、、全てに寡黙で、、、静かだった。

医学の黎明期の画像診断の弟の所にも、、、急カーブを切ってはいってきました。

国立がんセンターの50周年記念は、

創生期のスタッフの大切な行事であったはずだと、、、

私的には思った。

日本に画像診断を定着させた弟たちの

集大成の論文をまとめ上げる

データー整理の50年分の、剣ヶ峰に居たと思います。

 

政権交代が、短期間で、

また、、、野党に逆戻りしたために、、、

尻切れトンボの、、、

ひっかきまわしの時代が、、

がんセンターの弟の50年間を振り返るという

起承転結の時代に起きてしまったのでした。

独立法人に成ったり、、、また、、、元の、、、国立に戻ったり、、、?????

    外野席で、弟の戦後の復活の一翼を担う姿を、

 孤独な北海道の主婦という、、、閉ざされた雪かき人生の中から、

、家族の消息が途絶えた北海道で

新聞やTVで紹介される弟の医学への貢献の記事を視乍ら、、、

自分も、力を戴いたような気になり、励みに、してきた私には

独立法人になり、、、東北の著名な権力者の手で、

がんセンターの院長は交代、、、

弟も、、、退職金が激減の中、、、

文句ひとつ言わないで

センターを後にしました。

悔しがる、、、外野の姉には、、、内情がわからないまま、、、

政治の介入が、、、あまりにも権力的で、

がんセンターの発展の経過とは不連続な人事異動が

 

                右左もワカラナイダロウ若者の手に

                    ゆだねられたのか、、、想像は果てしなく、、、悔しいものがある。

今回の、、、コロナの対策上、、、

高校球児から「甲子園への出場の機会が失われたこと」は、、、

                同情しても同情しきれない悔しさがある。」

毎日が、、、甲子園への夢が練習につながっていたダロウ、、、からね。

                  

 

政治の介入は、、、

現場の医師の専門的な知見をもとに

命の前には謙虚に考えて、

政治介入しないと、、、

コロンブスのように、

がんの早期発見の大陸を目指した弟たちの退職は

理解されない、政治主導で、、、

短期間の政権交代や、世界に認められないインスタントな権力者が政権を交代したり

革命的な、農地改革のような、、、テナント改革などが起きると

取り返すことのできない、、、

一般からは認識されにくい価値あるものが

日の目を見れないという、、、歴史すら変えてしまう出来事が起きないように

パンデミックの後の、政権交代劇が、、、

日本の、実力ある蓄積の専門性を壊さないような

造詣の深い議員さんに、、、味のある経済復興と、

グローバルな感覚の中で、

西洋タンポポに占領されたような、、、パソコン世界の

クローン人間の表面だけが輝くメッキ大国の日本にしないで欲しいと思いました。

四季のある日本!

独特の文化のある日本!

、、、日の丸の旗に見る、、、日の出ずる国!、、、日本は

深い造詣をもって、、、

専門性を尊重しながら、

政治が介入して、

サポートをしてください。

政治が医療現場を振り回すのではなくて

医師の税金は医療に使ってほしいと思いました。

世間は、現場の医師の事も、医師の家内の事も、、、間違った風評でとらえがちです。

政治がサポートして、バランスの良い国にしてほしいと思いました。

この次に、、、感染症が起きるような事を考えて、、、

医療崩壊が起きないように、、、

政治の介入は、

病気の歴史を知るべきです。

 

現場の知識は、ネットでは得られません。

教科書でも、、、役には立ちません!

医師や医療スタッフは現場が総てです。

ゴミ袋をガムテープで張り合わせた、感染防御スタイルで

走り回っている医療スタッフを視乍ら、、、胸からこみ上げる物が有りました。

医学部を卒業した著名な先生であっても、

ノーベル賞を御取りになった先生でも、、、

学者と、現場の医師や医療スタッフでは

大きく違うものが有ります。

山中先生は

現場医師に研究成果を医療に使ってもらう事を大切にしている

素晴らしい先生だと医も居ました。

 

現場の医師は、、、、本能と言えば良いのか、、、使命感しか見えないのか?

患者さんの病気が総てであるようです。

患者さんを一番に考えています。

患者さんの病状が先生として、臨床力が育ったようです。

コロナの収束が完了したら、、、政治主導の介入ではなくて、病人をどうするか❕、、の視点で、

医療の改革は現場の医師の話をよく聞いて、、、

医師の税金は、国を滅ぼさないためにも

医療体制に使ってほしいです。

医療配置と言う目線の高い知的な権力で行う前に

育児中の母親になったつもりで、、、現場を体験する気持ちで

命の重さを認識新たにして、医療体制を充実させてください。

 

 

 

 

 

私と、息子を呼んでくれたのに、、、

がんセンターで、、、50年間の人生をかけた、、、、集大成のデーター整理んぽ最中に

突然、、、政治の政権交代の余波は、弟の50周年記念誌の記事は、、、2年ほど前に来た

視たことのない先生が、中心で、50周年が記念誌として、HPを飾っていました。

私は、、、若いころ、、、弟が室長を勤務しているとき

赤んぼの頭ほどの腫瘍が出来ていたのに気が付かずにいたのです。

悪性なら、、、終末医療に準じようと、、、北海道からがんセンターの弟の所に検診に行きました。

弟は、画像診断は勿論ですが、、、病理の画像も見せてくれたのでした。

「お姉ちゃん、、、良かったね!、、、これはムチンと言って良性だよ!

この、腫瘍の中には、いくつもの壁られた部屋が有って、、、ムチンが給っているんだよ。」

ついでに、、、ペット診断と言う、、、予期せぬ腫瘍などが見つかるかもしれない検査と

大腸境の検査も、乳がんも、全て、検診すると、、オペを受けるにあたって

準備万端と言う事になると説明してくれました。

当時はペットは、、、安静な精神の環境で、成果が上がる検査だというので

大きな部屋で、、、アロファー波の音楽の流れる眠りそうな、、、まどろみの中で

petを使った診断を受けました。

そして、、、にっこりと笑った弟は、、、

「良性だから、今、この机から、義兄さんの病院のオペ室の予約を入れるから

飛行機で帰宅したら、、、その足でオペ室に行きなさい。

必ず完治するから、すぐに、、、破れないうちに取り出してもらいなさい!」

私は,、、もしも、悪性の物なら、、、

弟が青写真をもって走り回って貢献していた

柏のターミナルに入れてもらおうかと思っていました。

しかし、、、弟の太陽のような明るい診断結果のおかげで、

主人の病院で、オペを受ける決心がつきました。

16センチの傷跡、、、オペ後は4キロ減った体重、、、

自分では、、、どうせ悪性なら、、、同居しながら、ターミナルでと考えてりしていた孤独は

良性だと、、、わかったとたん、、、手術室に進んで行けました。

「お姉ちゃん!。。。外科医の奥さんの風上にも置けない、、、自己管理の悪さだね!」

弟にすっかり怒られた、、、がんセンターの思い出が甦ります。

ガン早期発見の黎明期のがんセンターは、

どなたも、、、家庭を振り返る肥満度無かった、、、

TV番組にも「がん回廊の激務の様子」が一時間番組で放映されていた。

医師の期待する画像がCTから送られてくるのが当たり前の若者の医師の時代になって、

CTそのものを「各科の医師に、、、撮らせてください、、、データーづくりの段階です。」

市川平三郎先生の御勧めでがんセンターに勤務し始めた当初は、、、

「CTって?、、、何ですかソレ?」、、、と。診療が終わるまで待たされて

帰宅時間がもったいなくて、、、がんセンターの廊下で、寝泊まりしながら

データーをつくることから頑張っていた、、、、戦後の復活の日本の医学の黎明期に

臨床と、研究の両輪で、男たちの夢に駆り立てた国立がんセンターの50年の実績は

後輩を育てる、教科書となり、画像のポイントを見極めるピットホールの医学書となり

私の息子も、、、「叔父さんは神様の域のDR.だと、、、医学部に進んで行った。」

「日本でがんで死ぬ人が多いのは、、、手術室に入ったときに、、、すでにステージが進んでいる!」

早期に発見すれば、、、助かるのだから、、、大きな手術の必要のない段階にがんを見つけて

社会の死んではいけない世代の人たちに、、、日本の戦後の復活を頑張ってもらいたい。

弟の口癖だったことは、、、

父の手術室に入った段階で患者さんは手遅れのがんのステージの人が多かった。

痛みの無い検査、早期発見、、、命を救うのは早期発見だと、生涯を画像診断に捧げて

がんセンターで50周年を迎えたはずですが、、、

政権交代のたった、、、短い期間の判断で、、、

独立法人になり、、、退職金は激減し、、、がんセンターに実績の無い先生方が

50周年のHPを飾り、、、いつの間にか、、、

がんセンターの黎明期のリーダーの先生、、、

千葉大学の市川平三郎先生のお顔も見えなくなって

旧いゆかりの深い長の先生が、、、

全国を行脚しておられ、、、

初診貫徹されているご様子に

政権が、、一時的に即席に介入人事で、現場が変わることで、、、

生涯の総まとめの機会を失った人が、、、

弟以外の先生方にも多いのではと、、、

その実績が、、、前後つなぎようのない新人によって

創生期の医師の夢を追って人生をがんの早期発見にかけていた弟たちの実績は

施設を、占拠しても、がん撲滅への歴史は、輝かしいCTの歴史として、先人の知恵の永遠なる夢を

レスぺクトできる体質にならないと、、、

ウエルカム医療博物館んで見つけたような

イギリスの歴史的なCTの保存から

日本の、、、何か足らない、、、権力闘争で、、、がんのCTの歴史が語れるのかと

弟たちの頑張りを見つめてきただけに権力の座とか、、、

政治の政権が、、、

現場の50年働き、

研究し続けた医師の専門的な価値の置き所が

無視されて、、、

政権で、表面を馴らすように介入されるのは

医学の夢追う人の偉大なる実績データーを、荒い目の網ですくって、、、

それなりに自分たちのデーターにしても、、、

似て非なるものになると思うのです。

やってることは、、、世代交代の、、、正しい政治、、、

がんセンターの予算は2番でもいいというフィーリング?

しかし、、、政治の介入を正しいと思ってされても、、、

医学の緻密さは、、、

医学の発展の生命線だから、、、

50年目に、研ぎ澄まされた名刀で、、、

[がんのデーターと言う兜]を切ろうとした,,,,syuutaiseino 起承転結の50年の弟に

政権は、介入することで、、、「待った!」をかけたまま、、、

スタッフの入れ替えが、、、人事異動のような感覚で、実行されて、

患者ではあった私ですが、

あの貴重な、、、

經驗の集積と、

分析された画像やファイルの見えない宝は

2度と買えない時間の貴重な、

「日本のCTの発達の医学的視点からの歴史の証人」だった記録だったのではなかったのか?

弟は寡黙なまま、次の人生に、愚痴ひとつなく移行していったが

私は「ウエルカム医療博物館」まで見てきました。「

世界の視点は何を大事にしてきたのか?」

私は、、、患者ですからオカ目の外野席かもしれませんが

、、、ブラックジャックの「ピノコ」と間違えられるかもしれませんね!

医師の家に育ち、医師の兄弟の戦後の医学の発展を感知しながら

外科医と言う、、、独特の、技術集団の

華やかに見えるが、

ひねもす、技術や糸しばりの基本に徹した昭和の時代から

ダビンチと言う機械による手術となって、

前立腺の悩みは半減したという時代になって

美人で、聡明な女性が、、、外科に入局するという時代になった。

がんセンターに話を戻せば、、、今は、、、創設期の千葉大の、市川先生の事も

今の在籍している若きスタッフは、、、知らない世代になっているとか?

現在は、愛知の先生方が頑張っておられるようですね。

医師が、、、専門性を、権力者や、政治家に解ってもらう事は

7年間の医学部の体得したものを、数時間で説明する命令に等しいと思うのです。

弟の患者だった私は、、、ハーバードでも、小さな体格の日本人は覚えてもらえずに

廊下をすれ違っても、挨拶する人もいなかった当初、

病院のドンにあたる医師が、新人紹介の席で、

「彼は、、、私の、、、肝。胆膵の先生です!」と紹介してくれてからは

ハーバード大学病院ですれ違う度に、、、挨拶をされて、、、照れ臭かったそうですが

アメリカの学会の時は、内科医の兄も、アメリカに行き、同じ会場で兄弟が逢えたというから

夢に活きて、夢を現実に出来夢追う人の人生は、、、一時的な政権交代で、、、

めちゃくちゃになったように見えても、、、本人は、人生の達成感がるから

愚痴ひとつ言わないで、、、次の職場に働いていますが、、、

ず~と、、、外野席から、応援して、、、そばに居るつもりで見続けた姉にとって、

弟は、、、世界一のGUN早期発見の黎明期のCT開発や、ヘリカル開発に

医学のみならず、、、多くのジャンルの学者さんや、技師さんたち、、、東芝や、

日本の医学の黎明期に円陣を組んだ学者だったのですよね!

束の間の政権交代で、ぐちゃぐちゃになった人は結構いました。

コロナの混乱から、、、政権交代だけは、、、緩やかに円陣を組んで

長い目で、、、長く収められるような政治を続けて葡ぢ位です。

阿部首相もお立場的にとやかく言われる役割だと思いますが、

オピニオンリーダーは、

専門家と円陣を組んで、

日本の緻密さを大切に、、

正しいが、、、緻密でない処理は、、、

二人と居ないCT開発の歴史の50年が

総集編のデーターの解析が

新人の他校の感覚で処理されてゆくのですから

政治的に

正しいことは緻密とは言い切れないから、、、

失った物にも気が付かないというのが

政権や、権力や、革命だから、、、

コロナショックで起きないとは限らないから、、、

慎重なうえにも慎重に、、、農地改革、、、テナント改革が

日本の歴史ある、、、失ってはいけない技術や、研究のデーターを守れると思うのです

混乱した文章です、、、責任は持てない感情論になりました。

これは日記帳です、

私の個人的な感情をとりあえずメモしましたが、、、削ると5分の一の文章になると思います。

今は、、、資料だと思って、、、深読みしないで,、、通り過ぎて行ってください。

 

 

 

 

    

 


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