宮崎県知事・東国原そのまんま東が「徴兵制があってしかるべきだ。若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなくてはいけないと思っている」と公の場で語ったと『朝日』(≪宮崎知事「徴兵制あってしかるべき」 懇談会で持論≫)に出ていた。(下線・太字、筆者)
古臭いカビの生えたガチガチ頭の保守党政治家さながらの発言だ。
記事によると発言場所は宮崎市の知事公舎。若手建設業者らとの懇談会の席上でのことらしい。そこで記者団が真意を問い質すと、次のように説明したと言う。
「若者が訓練や規則正しいルールにのっとった生活を送る時期があった方がいい」(同記事)
そして懇談会終了後の発言。
「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザードなどにつながっている気がする」
「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」(同記事)
記者の真意質問に対して記事は<発言を撤回せず>と説明しているから、上の釈明は「1年から2年くらい」一定の年齢に達した若者に兵役義務を課すことの必要性を前提とした自衛隊の集団訓練の効用を説いたものだろう。
釈明発言に関しては「中国新聞」のインターネット記事≪東国原知事の釈明要旨 「徴兵制」発言で≫(07年11月29日21時5分)が詳しく報道している。
<「徴兵制」発言に対する東国原英夫宮崎県知事の主な釈明要旨は次の通り。
「徴兵制を容認していない。発言の後に訂正したが、訂正の分は報道されなかったようだ。戦争に直結するものでは全然ない。社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化はどういうところで補うのか。学校教育が補えない中で、心身を鍛錬する場が必要ではないかと言いたかった。(発言は)例えが飛躍しすぎた。
この国の道徳観の崩壊を心配しての発言と解釈してほしい。例えば徴農制とかで一定期間、農業を体験するとか、介護、医療、災害復興の手伝いなどをある程度強制しないと今後の担い手不足、社会構造の変化に付いていけないと危惧(きぐ)している。どの程度か分からないが(農業体験などを)教育の現場で徹底していくことも視野に入れなければいけない。
人間関係の希薄さが今のこの国の状況。ここを打開しないと国のあり方がイメージできない。>
「徴兵制があってしかるべきだ」、「自衛隊などに入らなくてはいけない」から大分後退している。また「人間関係の希薄さ」と言うが、軍需商社山田洋行と守屋防衛省前事務官
のような〝濃密な人間関係〟も困るから、希薄な人間関係すべてが悪とは言えない。
ブログやHPで何度も言っていることだが、道徳教育や奉仕活動、集団訓練を声高に言い立てる人間が大きく勘違いしていることは、「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化」や「道徳観の崩壊」は今に始まった現象ではなく、如何なる時代にも存在した負の生態だということである。
江戸時代の年貢米徴収に関わる代官の武士(さむらい)とは名ばかりの人でなしで卑しい「規範意識の欠落」による年貢米徴収誤魔化し・賄賂の要求、要求に応じない百姓に対する下劣な厭がらせといった「社会のモラルハザード」や「道徳観の崩壊」は何度でも言っていることだが、大名も似たり寄ったりの姿を曝して自分のモノとしていた負の生態である。『日本の歴史⑱大名』(児玉幸多著・小学館)からざっと見てみる。
幕府領の河川改修や護岸工事等の普請(土木工事)の「お手伝い」(大名課役)を命ぜられた大名同士が普請場所のよいところを希望して権門家や勘定奉行へ手入れ(金品の提供)をし、難を免れようとする。当然「手入れ」(=カネの力)がハバを利かす。受ける側が「手入れ」の多寡を基準に手加減・手心を加えれば、出す方は多寡を競う必然の対応関係を生じせしめる。この関係は山田洋行と守屋専務の関係に置き換えることができる今に始まった現象ではないと言うことができる。
客観的的認識性を欠いている日本人は武士(さむら)というと常にいつどんなときでも武士道を全身に体現し、「規律を知る、凛とした」態度を持った人間だと思い込んでいるようだが、利害損得の生き物であることに変わりはない。
江戸時代の大名の家格は徳川家に対する親疎、官位の上下、石高等によって大体の相場が決定されるという。石高は米穀生産量を示す単位だが、単位面積当たりの平均生産量はそれ程変わらないだろうから、石高≒支配領地面積ということになる。支配領地の面積も権威・権力に深く関わっていたろう。
将軍拝謁のための江戸城への諸大名総登城時の詰所は家の格式などによって一定していて、それが大名の序列を表す基準にもなっていたと言うことだが、同じ家格の場合、朝廷から賜る正一位とか従一位、正二位、従二位とかの官位の上下が席次の基準となったそうだ。
元和(げんな)元年(1615)7月の「禁中并公家諸法度」(きんちゅうならびにくげしょはっと・家康が天皇及び公家を幕府の規律下に置くべく自らが制定、天皇を法規の対象とした掟))で「武家の官位は公家当官(とうかん・現在の職務)の外(ほか)たるべきこと」、いわば武家の官位は天皇が授与する官位とは別物であると明文化し、朝廷に対する忠節・功績とは関係なく幕府に対する忠節・功績に応じた報奨として与えるものだと規定、将軍の推挙に従って天皇が与える形式を取るようになったとのこと。
将軍の推挙によって与えられる官位だから、大名たちにとっては現実的且つ実質的な名誉を備え、自らも名誉なことだとしたのだろう。しかし自分から直接推挙を願い出ることができるわけではない。将軍推挙の仲介を取る老中に金品を贈って便宜を図った。老中共々大名たちは金品(=カネ)で官位を左右しようとしたのだ。
滑稽なのは総登城に於ける将軍拝謁時に将軍の姿が直接視線に入らない遥か背後の詰所を所定の控え所としていても、見えないながら官位を上げて一つでも将軍により近い上座を確保すべく大名たちは執心したという。他の大名との比較で将軍に少しでも近い場所に座ることを名誉としていたのである。当然、官位への執心は並大抵な熱の上げようではなかったろうし、執心の高さに応じて老中へのワイロは増えたのは想像に難くない。
『日本の歴史⑱大名』は次のように書いている。<老中は大名の間でも特別な地位と権力を持っていて、権門とか権家(けんか)と言えば多くは老中をさしたほどであるが、諸大名は種々の願い事のほか、顔を見せておくためにもその屋敷を訪問した。>
手ぶらで行く馬鹿な大名はいなかったろう。<官位のごときは有名無実のものであったが、将軍家の諸典礼にはその官位に応じた服装や乗り物を用いたので、その格式の差は一目瞭然であった。>
官位は目に見えない。服装や乗り物で官位を表現して、大名たちはそれをステータスにしていた。ベンツに乗って、お前らと違うぞと自らのステータスとして誇るようなものである。こういった虚栄心にしても昔も今も変わらない。
官位獲得は石高とが家格とか家系とか功績といった裏付けがあって求めるが、その上にカネの力がモノを言ったのであり、カネの力にモノを言わせた官位だったのである。
老中になるにはそれなりの由緒を持っていたはずである。それが金品・ワイロで人事にさじ加減を加える。
天明2~天明7年(1782~1787)の大飢饉の最後の年の天明7年に権門方(老中等)への諸家家来出入無用の御触があったが、効果はなかったと書き記している。ザル法でしかなかったことは現在の政治とカネの問題を髣髴させる。今に始まった「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化」や「道徳観の崩壊」ではないということである。
上級武士さえこのザマである。武士道など当てになったものではない。軍隊での集団訓練が「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化」を「補」い、「心身を鍛錬する場」となり得るとしたら、そのような集団訓練を受けた軍人は現在の自衛隊員も含めて、少なくとも大多数が品行方正の人間でなければならない。品行方正でない軍人・自衛隊員はごく少数の例外者としなければ、集団訓練効用の図式は崩壊する。
ましてや一般軍人を管理監督する立場の上官は一人残らず人格者でなければならないだろう。そうでなければ管理監督する資格を持たない人間に集団訓練の責任を担わすという滑稽な二律背反が起こる。
ところが大正3年(1914)ドイツのシーメンス会社が艦船発注者の日本海軍将校にリベートを送り、イギリスのビッカーズ商会日本代理店の三井物産重役が軍艦建造受注のために日本海軍高官に贈賄した疑いで検挙されたシーメンス事件(『日本史広辞典』山川出版社)は上に立つ資格のない軍人が軍高官、あるいは軍将校の地位を占め、一般軍人に範を垂れていた矛盾を示すもので、集団訓練の効用はたちまち怪しくなる。
日本海軍高官を守屋武昌と呼び替えることも可能である。ということも、今に始まった
「社会のモラルハザード、規範意識の欠落、希薄化」や「道徳観の崩壊」ではないということの証明ともなり得る光景だと言える。
軍隊の集団訓練の効用を体現していていいはずの陸軍大将であり、勲一等・男爵である第26代内閣総理大臣( 昭和2年(1927年)4月20日~ 昭和4年(1929年)7月2日)。田中義一は『日本就職史』(尾崎盛光著・文芸春秋)によると、<文学博士・三宅雄二郎は、田中内閣をこう批評している。
「彼に不幸にして、国家に幸にして、政界が少しずつ改まりかけていた。これを改まらぬとしたのは間違いであった。田中男爵は先輩に習って、議会のかけ引きを目的にして
政治は金なり、と考えたところがなかったか。不思議と軍人が金に重きを置く。彼の先輩山県元帥は、政党に金を与えるべく、権を与えてはならぬとした。自ら首相時代に、買収を敢えてし、一議案いくら、と相場をつけるに至った。>
二人の高級軍人田中義一とその先輩の山県有朋を重ねて金権政治家田中角栄と呼び替えることができる。いや、田中角栄に倍するスケールとしなければならないかもしれない。<伊藤博文の死後は元老の第一人者として首相選定の主導権を握り、政党勢力と緊張関係にあった。>(『日本史広辞典』)とあるとおり、「元老の第一人者」にまで登り詰めたのである。田中角栄の晩年とは比較にならない。
山県は明治5年の陸軍省準備金使い込みの山城屋和助事件に関わって官憲の追及を受けるが、山城屋和助の割腹自殺で事件そのものがウヤムヤになって追及を免れる幸運に見舞われている。長生きした悪党の一人だろう。
戦争中は多くの帝国軍人が自らが助かるために民間人を見殺しにし、自ら手をかけることもした。東国原そのまんま東の「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」という主張からしたら、「ある時期、規律を重んじる機関」である「軍隊」そのもので「教育」を受けたのだから、規律も正義も生かすことができていたはずだが、その真逆であった。
例え娑婆で規範意識をクスリにしていなかったとしても、国民皆兵による天皇制軍隊下で娑婆から離れて厳しい集団訓練を受けたはずなのだから、そこで「規範意識の欠落」を「補」い、「学校教育が補えない中で、心身の鍛錬の場」としたはずだが、その効果は何ら発揮できなかった。
結果として軍隊下の集団訓練は人間形成に何ら役に立たず、誰もが戦争を検証する責任を取らない無責任だけが露になった。元々日本民族優越意識の強がりとウヌボレと勢いで戦争した無責任集団でしかなかった。
なぜ規範意識形成に集団訓練が役に立たないのか。心身鍛錬に無能なのか。
日本人は元々上が下を従わせ、下が上に従う権威主義を行動様式としている。集団訓練は体力的な忍耐のみをカバーできさえすれば、あとは上に従って上の指示通りに動いていればやり過ごせる訓練だからである。そこに自律心が培養されなければ、規範意識も道徳観もその場限りの見せ掛け、表面的な装いで通用させることになる。
自律心は権威主義的行動様式を否定した磁場に成り立つ。両者は相反する人間関係の力学を取るからだ。真に必要な事項は自律心であるとすると、相反する価値要素である権威主義は阻害事項として排除しなければならなくなる。
集団訓練、あるいは集団生活と規範意識形成の無効用との関係を最も証明する出来事が少年院や刑務所出所者の再犯現象であろう。07年11月6日のasahi.com記事≪「再犯者」の犯罪、全件数の6割に 犯罪白書≫は次のように再犯について報道している。
<罪を犯した後で再び罪を重ねる「再犯者」による犯罪は犯罪件数の6割を占める――。法務省は6日に公表した今年の「犯罪白書」に、こんな分析結果を掲載した。「少数の者によって多数の犯罪が引き起こされている」と指摘。社会に出た後に仕事に就くための支援や、更生を見守る「保護観察」を充実させることで再犯を防ぐ必要があると訴えている。
罪の種類ごとの再犯率
ここ数年間、奈良の女児誘拐殺害事件や愛知県安城市の乳児殺害など再犯者による凶悪事件が相次ぎ、法務省は犯罪白書の特集テーマに「再犯者」を選んだ。
調査は同省の法務総合研究所が実施した。故意で罪を犯して48年から06年の間に刑が確定した100万人を無作為抽出して調査。このうち再犯者は29%だった。その一方、100万人による犯罪計168万件のうち58%が再犯者による犯罪で、初犯者に比べて数が少ない再犯者が半数以上の犯罪を起こしている実態が浮かび上がった。
2回の罪を重ねた再犯者による犯罪が最多の18%で、3回が10%、4回の7%と続く。10回以上の罪を重ねた人による犯罪も6%あった。
罪の種類別の再犯率は、初犯で窃盗を犯した人が再犯に至った割合が45%、覚せい剤取締法違反は42%、傷害・暴行は33%だった。年代別では、初犯時の年齢が65歳以上の人は16%が6カ月以内、31%が1年以内に再び罪を犯していることもわかった。どの年齢層よりも高い数値だった。
法総研は「覚せい剤や窃盗は何度も同じ罪を繰り返す傾向が強く、特別な指導が重要。特に窃盗は8割が無職で就業支援の必要性がある」「高齢者は就業が難しく、生活苦や居場所のなさから罪を重ねる場合が多い」と分析している。 >
社会復帰可能の更生を見たからこその出所のはずだが、更生が見せ掛けだということは「軍隊とは言わないが、ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」(上記『朝日』記事)としている、そのような機関であるはずの少年院や刑務所での集団訓練、「規律を重んじる」教育が収容施設内のみの更生でしかなかった。「1年か2年くらい」どころでなく、中には5年10年と長期にわたって集団生活を送ったであろうが、それさえも役に立っていない。
徴兵制だ、「訓練や規則正しいルールにのっとった生活」だ、規律を重んじる機関での教育だ、「心身を鍛錬する場」などと言わず、自律心をこそ最重要の価値観とすべきだろう。
参考までに『社会心理学小事典』(有斐閣)から【自律】の意味。
「autonomy 外部から支配を受けずに、自分から決めた規範に従って行動すること。権威や強制からの自由、自主独立、自己決定および自己管理を特徴とする。J.ピアジェによれば、子供は道徳の規範を、おとなからの拘束とみなす他律道徳の時期から、個人相互の協定で決められたとする自律道徳の時期へと発達を遂げる。自律道徳では、子どもは行為の拠り所をおとなの賞罰によらずに、相互に尊敬し合う対人関係に基づかせるため、自律的良心に従い、自分で判断して行動することとなる。[滝沢]」」
言っていることすべてが「外部からの支配を受ける」権威主義とは正反対の行動様式であり、やはり「外部からの支配を受ける」(=権威主義の支配を受ける)集団生活・集団訓練を無力としなければ獲得できない精神性の解説となっていて、何が必要かを自ずから語っている。