民主党は政権獲得前は「機密費の使途限定」、「国会の非公開委員会でのチェック」等を項目とした官房機密費流用防止法案国会提出等の官房機密費透明化の動きを見せていたが、8月30日の総選挙に大勝、9月16日に鳩山内閣が発足、その鳩山由紀夫の側近中の側近だとかいう平野官房長官が内閣発足翌日9月17日の記者会見で、官房機密費について記者から問われると、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直に責任ある回答を行っていた。
このことだけを見ても、平野某の“責任”というものに対する姿勢の確かさ・正直さを窺うことができる。
ところが平野某は「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直に責任ある記者会見を行った9月17日から一週間後の9月24日付けで、そんなのがあるのか全く承知していない官房機密費を6000万円請求、さらにその20日後の10月14日付けで6000万円、合わせて1億2000万円を小切手で受け取っていたという。平野某はそのことを昨19日の記者会見で真っ正直に認めた。
10月14日付けで2度目に6000万円受け取った約20日後の11月5日の記者会見で、平野は河村建夫前官房長官から官房機密費の引き継ぎを受けたことを明かにしている。だが、既に2度機密費を受け取ったいたことは隠したままでいた。
さらに隠し続けて、昨19日の記者会見まで1カ月以上も正直に隠していた。
11月5日の記者会見のときも、今回と同様に、「報償費という性格上、少なくとも相手があることだし、オープンにしていくことは考えていない。私が責任をもって適切に判断しながら対処する。発表は差し控えたい」(asahi.com)と言っている。
では、平野某の「そんなのあるんですか。全く承知していません」の責任ある真っ正直さは何だったのか。答を見つけるとしたら唯一、空とぼけなければならない理由があったからだろう。これを言葉を変えていうと、知らない振りをする必要があった。隠さなければならなかった。ゴマかす必要があった。秘密にしておかねばならなかった。脱税した億という大金を誰にも知られないように床下に隠しておくみたいに。
いわばいつの時点か窺い知れないが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と言う以前から、官房機密費を秘密のベールに包んでおく意志を働かせていた。透明化する考えなど、さらさらなかった。極秘事項・極秘資金としておく腹積もりでいた。
これが平野某の官房機密費の扱いに抱いていた責任ある真っ正直な態度であった。
平野某の1億2千万円の官房機密費受け取りに関する記者会見の言葉を《“官房機密費 1億円余請求”》(NHK/09年11月19日 12時20分)が次のように伝えている。
「私の名前で、ことし9月と10月に官房機密費をあわせて1億2000万円を請求したことは事実だ。使いみちについては、必要があれば支出することになるが、私が責任を持って適切に判断している」
(使途公表に関して)「先方があることであり、適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがあるので、慎重に対応したい。総理大臣官邸や政府の運営を、1年を通じてしっかり見たうえで、公表すべきかどうかを含めて対応する。不透明だと言われるかもしれないが、シビアな判断を求められるという認識の下で対応したい」
一見もっともらしく正当性を持たせてはいるが、ではなぜ当初、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけなければならなかったのか。既に秘密裏に扱い、秘密裏に支出しようと決めていたが、まさに「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけたことが河村建夫前官房長官から官房機密費を受け継いだ事実と齟齬を来たし、いつ何時野党自民党からウソ偽りを口にしたと追及されかねない恐れがでてきたために、11月5日の記者会見で引継ぎがあったことを公表せざるを得なくなった。
自民党自身が直接的に追及しなくても、新聞・テレビにリークしてマスコミに追及させ、間接的に鳩山内閣の足を引っ張るという手もある。
そういった事態を避ける目的で引継ぎを記者会見で公表せざるを得なかったとすると、官房機密費の秘密保持の姿勢は終始一貫していたことだったと証明できる。
平野某は正当化理由に「適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがある」とも言っているが、「国益」という理由で秘密にしておくことが許されるなら、自民党政権時代の核搭載の米艦船寄航を認めた日米核密約――いわゆる核の持ち込みを国民に秘密にして許した政治上の密約行為も自民党政治家たちにとっては「国益」と考えてしたことだろうから、正当な政治行為と位置づけなければならなくなる。
だが、民主党政権は日米核密約を調査し、国民に公表する姿勢でいる。
このことを裏返すなら、「国益」という名のもとに秘密にしていいい理由はないことになる。秘密にしていいい理由はないからこそ、日米核密約の調査と公表を目指しているはずである。
特に国民の税金を秘密裏に使って成し遂げることができる「国益」など存在するのだろうか。存在させた場合、自民党政治の二の舞を演じることになるのではないだろうか。
百歩譲って存在したとしても、国民の目が届かない裏側での支出は「国益のためだ」と言われたとしても、「国益」に適っているかどうかの判断は偏に国民に任されるべきだが、国民に判断はできない「国益」という倒錯を踏むことになる。
このことは国民が役目としている政治に対する監視を自ら放棄し、政治家側に国益だと一方的に決定する権利を無条件に譲り渡すことでもある。
また部分的公表なら、差し障りのない支出のみの公表となって、その選択に関しても国民には窺い知ることのできない基準を政治家側に既得権として握らせることになる。
平野は「私が責任を持って適切に判断している」と言っているが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」などと大ウソをつく人間が言う「責任」だから、大いに信用はできるだろう。
自民党は赤字国債発行の責任なき放漫な財政運営を延々と続けてきながら、先の総選挙のマニフェストで「責任ある財政再建」を掲げ、麻生自身「大胆な財政出動を行うからには、財政に対する責任を明確にしなければなりません」などと「責任」を強調、その他「責任ある立場」だとか、「責任ある政府・与党」、選挙遊説ではどのツラを下げてと言いたくなるが、「最も訴えたいのは責任力です」、「国際社会の責任ある一員」、「責任政党の務め」、「責任政党の原点、矜持だ」等々、散々に「責任」なる言葉を使ってきた。
麻生の前の安倍は「政治は結果責任」を常々口にしていながら、5000万件の「宙に浮いた」年金記録を08年3月末までに「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたいと思います。私の内閣で解決する――」と前年の6月に力強く公約・宣言しておきながら、結果を出さず仕舞いで内閣を放り出す責任を見事に果たしている。
国民の多くが自民党や麻生が言うその“責任”を信用しなかった。信用できない“責任”となっていた。
最初に「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直にウソをついた平野の「責任」なる言葉も既に自民党や麻生、安倍が言う「責任」と同じ運命を歩み出しているに違いない。
このことだけを見ても、平野某の“責任”というものに対する姿勢の確かさ・正直さを窺うことができる。
ところが平野某は「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直に責任ある記者会見を行った9月17日から一週間後の9月24日付けで、そんなのがあるのか全く承知していない官房機密費を6000万円請求、さらにその20日後の10月14日付けで6000万円、合わせて1億2000万円を小切手で受け取っていたという。平野某はそのことを昨19日の記者会見で真っ正直に認めた。
10月14日付けで2度目に6000万円受け取った約20日後の11月5日の記者会見で、平野は河村建夫前官房長官から官房機密費の引き継ぎを受けたことを明かにしている。だが、既に2度機密費を受け取ったいたことは隠したままでいた。
さらに隠し続けて、昨19日の記者会見まで1カ月以上も正直に隠していた。
11月5日の記者会見のときも、今回と同様に、「報償費という性格上、少なくとも相手があることだし、オープンにしていくことは考えていない。私が責任をもって適切に判断しながら対処する。発表は差し控えたい」(asahi.com)と言っている。
では、平野某の「そんなのあるんですか。全く承知していません」の責任ある真っ正直さは何だったのか。答を見つけるとしたら唯一、空とぼけなければならない理由があったからだろう。これを言葉を変えていうと、知らない振りをする必要があった。隠さなければならなかった。ゴマかす必要があった。秘密にしておかねばならなかった。脱税した億という大金を誰にも知られないように床下に隠しておくみたいに。
いわばいつの時点か窺い知れないが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と言う以前から、官房機密費を秘密のベールに包んでおく意志を働かせていた。透明化する考えなど、さらさらなかった。極秘事項・極秘資金としておく腹積もりでいた。
これが平野某の官房機密費の扱いに抱いていた責任ある真っ正直な態度であった。
平野某の1億2千万円の官房機密費受け取りに関する記者会見の言葉を《“官房機密費 1億円余請求”》(NHK/09年11月19日 12時20分)が次のように伝えている。
「私の名前で、ことし9月と10月に官房機密費をあわせて1億2000万円を請求したことは事実だ。使いみちについては、必要があれば支出することになるが、私が責任を持って適切に判断している」
(使途公表に関して)「先方があることであり、適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがあるので、慎重に対応したい。総理大臣官邸や政府の運営を、1年を通じてしっかり見たうえで、公表すべきかどうかを含めて対応する。不透明だと言われるかもしれないが、シビアな判断を求められるという認識の下で対応したい」
一見もっともらしく正当性を持たせてはいるが、ではなぜ当初、「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけなければならなかったのか。既に秘密裏に扱い、秘密裏に支出しようと決めていたが、まさに「そんなのあるんですか。全く承知していません」と空とぼけたことが河村建夫前官房長官から官房機密費を受け継いだ事実と齟齬を来たし、いつ何時野党自民党からウソ偽りを口にしたと追及されかねない恐れがでてきたために、11月5日の記者会見で引継ぎがあったことを公表せざるを得なくなった。
自民党自身が直接的に追及しなくても、新聞・テレビにリークしてマスコミに追及させ、間接的に鳩山内閣の足を引っ張るという手もある。
そういった事態を避ける目的で引継ぎを記者会見で公表せざるを得なかったとすると、官房機密費の秘密保持の姿勢は終始一貫していたことだったと証明できる。
平野某は正当化理由に「適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがある」とも言っているが、「国益」という理由で秘密にしておくことが許されるなら、自民党政権時代の核搭載の米艦船寄航を認めた日米核密約――いわゆる核の持ち込みを国民に秘密にして許した政治上の密約行為も自民党政治家たちにとっては「国益」と考えてしたことだろうから、正当な政治行為と位置づけなければならなくなる。
だが、民主党政権は日米核密約を調査し、国民に公表する姿勢でいる。
このことを裏返すなら、「国益」という名のもとに秘密にしていいい理由はないことになる。秘密にしていいい理由はないからこそ、日米核密約の調査と公表を目指しているはずである。
特に国民の税金を秘密裏に使って成し遂げることができる「国益」など存在するのだろうか。存在させた場合、自民党政治の二の舞を演じることになるのではないだろうか。
百歩譲って存在したとしても、国民の目が届かない裏側での支出は「国益のためだ」と言われたとしても、「国益」に適っているかどうかの判断は偏に国民に任されるべきだが、国民に判断はできない「国益」という倒錯を踏むことになる。
このことは国民が役目としている政治に対する監視を自ら放棄し、政治家側に国益だと一方的に決定する権利を無条件に譲り渡すことでもある。
また部分的公表なら、差し障りのない支出のみの公表となって、その選択に関しても国民には窺い知ることのできない基準を政治家側に既得権として握らせることになる。
平野は「私が責任を持って適切に判断している」と言っているが、「そんなのあるんですか。全く承知していません」などと大ウソをつく人間が言う「責任」だから、大いに信用はできるだろう。
自民党は赤字国債発行の責任なき放漫な財政運営を延々と続けてきながら、先の総選挙のマニフェストで「責任ある財政再建」を掲げ、麻生自身「大胆な財政出動を行うからには、財政に対する責任を明確にしなければなりません」などと「責任」を強調、その他「責任ある立場」だとか、「責任ある政府・与党」、選挙遊説ではどのツラを下げてと言いたくなるが、「最も訴えたいのは責任力です」、「国際社会の責任ある一員」、「責任政党の務め」、「責任政党の原点、矜持だ」等々、散々に「責任」なる言葉を使ってきた。
麻生の前の安倍は「政治は結果責任」を常々口にしていながら、5000万件の「宙に浮いた」年金記録を08年3月末までに「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたいと思います。私の内閣で解決する――」と前年の6月に力強く公約・宣言しておきながら、結果を出さず仕舞いで内閣を放り出す責任を見事に果たしている。
国民の多くが自民党や麻生が言うその“責任”を信用しなかった。信用できない“責任”となっていた。
最初に「そんなのあるんですか。全く承知していません」と真っ正直にウソをついた平野の「責任」なる言葉も既に自民党や麻生、安倍が言う「責任」と同じ運命を歩み出しているに違いない。