道路欲しいなら民主党を応援してからと自民の開かれた党大会のハコモノ思想

2009-11-28 10:37:48 | Weblog
 26日の「asahi.com」記事――《道路ほしいなら「民主応援を」副幹事長、陳情の知事らに》

 全国高速道路建設協議会(会長・横内正明山梨県知事)の知事たちが25日に民主党幹事長室に道路建設の陳情に訪問。応対に出たのが民主党吉田治副幹事長。「asahi.com」記事には出ていないが、ほかに生方幸夫、阿久津幸彦の両副幹事長も応対側に加わっていたことが「山形新聞」インターネット記事で知ることができる。

 吉田治副幹事長は地元で要望を受けた際、次のように発言して応対したことを知事たちに紹介したそうだ。

 「それを言うんだったら民主党を応援してから言ってこい」

 この発言から誰もが窺うことができるのは陳情者は選挙で対立候補を応援していた。だが、対立候補が当選・落選に関係なく、民主党が政権を握ったために陳情相手を仕方なく民主党に変えなければならなかった。対して吉田治副幹事長は応援もしていないのに陳情に来るな、来るなら、応援してから来いと応対したということだろう。

 陳情にはそういった経緯が必要だと暗に示したということである。

 ここには見返り要求の意志の介在がある。見返り要求の論理に立った発言の体裁となっている。

 地元でそういう応対をしたことを紹介した上で、見返り要求の論理に則って次の発言へとつなげたのだろう。

 「政府与党はどこか、皆さんもよく理解して欲しい」

 「皆さん方はこれだけのお願いをしてこられた。私どもが受け止めてしっかりやることは、皆さん方も私たちに地域で、どうしっかりして下さるのかということだ」 ――

 「政府与党は民主党なのだから、自民党支持はやめて、民主党支持に変えなさい」と翻訳するとそういうことになる。

 出席した知事の反応。

 「びっくりした。自民党時代はあんなこと言われなかった」――

 「自民党時代はあんなこと言われなかった」のは極々当たり前のことで、そんなことを言うようでは客観的認識能力ゼロの頭の悪さだと言われても仕方がない。

 自民党政権時代は道路建設を頼む方と頼まれる方が歴史の積み重ねを受けて殆んどが政治的・経済的に強固な不義密通の切っても切れない懇(ねんご)ろな関係にまで達していた。勿論、その悪質な相互性は道路陳情とその見返りの選挙の票や政治献金を構造としていた。

 いわばお願いする(陳情する)こと自体が見返りの選挙の票や政治献金を暗黙裡に背景としていたから、陳情を受ける側から言うと見返りの選挙の票や政治献金が自動的に約束されていたから、ことさら口に出して応援しろと言わなくても阿吽の呼吸で事が進んだ。

 だが、民主党政権となってからは歴史がまだ浅いために陳情と陳情に対する見返りの選挙の票や政治献金を構造とした陳情する側と陳情を受ける側の相互性が確立していないために、「民主党を応援してから言ってこい」という発言となった。

 つまりは陳情には見返りの選挙の票、政治献金等を構造とした相互性の歴史(=相互利益構造の歴史)をこれから築いていこうというサインなのだろう。

 いずれにしても吉田治副幹事長自身は気づいていないとしても、限りなく自民党体質に近づこうとする意志を働かせていると言える。

 日本の将来のためには結構毛だらけ、猫灰だらけではないか。

 自民党が来年1月の党大会を一般の党員が参加する討論会の開催や党本部を党員に開放することを検討して、「開かれた党大会」とし、党再生の一環とする方針だと25日の「NHK」インターネット記事――《自民 開かれた党大会を目指す》が伝えている。

 野党になったことだから、党大会の趣向を変えるべきだという意見が出て、党大会での一般党員参加の討論会の開催や党本部を党員に開放といった方針に出たということらしい。

 自民党は安倍政権も福田政権も麻生政権も自民党は開かれた党だと機会あるごとに喧伝し、それを旗印としてきた。開かれた政党だとすることで、民主党は開かれていない政党だと背中合わせに対比させた、あるいは匂わせた喧伝であり、旗印だった。ある意味追い詰められていたからだろう。

 2008年8月にまだ自民党幹事長だった麻生太郎が江田五月参議院議長を表敬訪問、「ドイツはナチスに『一度やらせてみよう』ということで政権を与えてしまった」(msn産経)と、「一度やらせてみよう」で民主党に政権を任せたなら、ナチスドイツみたいになりかねないという文脈の発言を披露したのも、自民党は開かれた政党、民主党は開かれていない政党だとする延長線上の発言だったに違いない。

 「msn産経」は江田五月参院議長の応答を伝えている。

 「国民はどっちがナチスと思っているのか分かりませんよ」

 前原誠司の途中辞任を受けた2006年4月代表選で民主党代表に選出された小沢一郎が9月の民主党代表選で無投票で再選されたときは、代表選挙を行わないのは密室で決定で、開かれていない証拠だと自民党は騒いだが、自民党にしても2000年4月、総理大臣だった小淵恵三が脳梗塞で入院、後継候補を森喜朗としたのは森喜朗本人を含めた青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香のいわゆる5人組の密室の談合による決定だと言われているが、自民党両院議員総会にかけたものの総裁選挙は行っていないのだから、「開かれた党」は口幅ったい言い分でしかない。

 “密室談合”と言うことなら、独裁政治そのもので、江田五月が言っているようにどっちがナチスか分からなくなる。

 党大会という舞台で討論会を開いて一般党員に好きに喋らせる。党本部という舞台を開放して一般党員にす好きに動き回らせる。だが実際に自由自在な言動が展開される保証があるのだろうか。お釈迦様の手のひらの中だけの自由を与えられた孫悟空のように派閥領袖や派閥幹部といった党の有力者の暗黙の圧力を受けて、彼らの意向の範囲内の自由自在に限定されるなら、党大会での討論会も党本部の開放も実質的な中身を伴わない単なるハコモノの措置でしかない。

 外側の形式だけを立派に見せるハコモノということだろう。

 河野太郎は9月の自民党総裁選で森喜朗ら派閥の領袖の引退を迫った。従来どおりに陰に控えさせて裏で政治を操るのを許したなら、自由民主党は生まれ変わることはできないと信念したからだ。

 「この国の将来を考え、新しい党のリーダーを選ぼうとしている。にもかかわらず、私利私欲、自分の既得権を温存するために動いている人間が党内にいるのははなはだ遺憾だ。

 全く新しい政党を一からつくり直す。キーワードは二つ。一つはリーダーシップの世代交代だ。いつまでも古い政治のやり方を引きずっている人間が党を牛耳っていることに対する怒りが衆院選の結果だ。もう一つは党をむしばんできた派閥政治からの脱却だ。プライベートな人間の集まりが党人事、候補者選定に介入した。党の公式機関でない人の集まりが関与することはないことを明確にしたい」(時事ドットコム

 「腐ったリンゴを樽(たる)に戻せば樽の中は全部腐る」(asahi.com

 有力派閥が力を持ち、有力派閥の領袖、あるいは陰の領袖や派閥幹部が本質のところで人事を支配し、政治を決定する権威主義的な派閥力学の排除を実質的な中身としてこそ、いわばエセお釈迦様たちを排除してこそ、あるいは「腐ったリンゴを樽」の外に捨ててこそ、党員は勿論、党所属の議員も自由自在な言動を獲ち得て、開かれた党大会とすることも開かれた政党とすることも可能となって、これまではハコモノでしかなかった“開かれた政党”がハコモノから脱却可能となるということではないだろうか。

 参考引用 
 《道路ほしいなら「民主応援を」副幹事長、陳情の知事らに》(asahi.com/2009年11月26日5時45分)

 「政府与党はどこか、皆さんもよく理解して欲しい」
 民主党幹事長室に25日、陳情に訪れた全国高速道路建設協議会(会長・横内正明山梨県知事)の知事らに、吉田治副幹事長が見返りに民主党議員への選挙協力を求めた。

 吉田氏は地元で要望を受けた際、「それを言うんだったら民主党を応援してから言ってこい」と発言したことを紹介。さらに口々に道路建設を要求する知事らに対して「皆さん方はこれだけのお願いをしてこられた。私どもが受け止めてしっかりやることは、皆さん方も私たちに地域で、どうしっかりして下さるのかということだ」と述べた。

 出席した知事の一人は「びっくりした。自民党時代はあんなこと言われなかった」。

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