新国立競技場建設白紙撤回、安倍晋三の下村博文に対する最終的な責任の取らせ方・下村博文の最終的な取り方

2015-10-11 09:50:33 | Weblog

 
 文科相の下村博文は新国立競技場建設白紙撤回問題で責任を取って辞意を表明、9月24日(2015年)夜、安倍晋三に辞任の意向を伝えたが、安倍晋三は近く行う内閣改造までの留任を指示、下村博文はその指示に従って辞任を撤回した。

 安倍晋三は10月7日(2015年)、内閣を改造、第3次安倍改造内閣を発足させた。そして下村博文に指示した通りに文科相を下村博文から元プロレスラーの馳浩に交代させた。

 新国立競技場整備計画白紙撤回の経緯を検証した文部科学省の第三者委員会はその「報告書」で責任の所在について次のように述べている。

 〈責任の所在について

 まず、本検証の結果判明したこととして本委員会として強調しておかなければならないことは、JSCの担当者をはじめ、本プロジェクトに関わった多くの関係者がそれぞれの立場において真摯にその仕事に取り組んできたということである。確かに本プロジェクトの推進過程は、必ずしもスムーズではなく、多くの問題があったことは否定できず、多くの国民がそれに疑念の目を向けたとしても致し方ない状況にあったといえる。

 しかし、我が国最大規模のスタジアムを、独創的なザハ・ハディド氏のデザインで、都心の狭い敷地に、2019 年ラグビーワールドカップに間に合うように建設することができたかという点のみを捉えると、2015 年7月の時点で、コストは当初の想定よりも大きくなっていたが、関係者の努力によって実現の目途が見えてきた状況であったということができる。そのような状況で本プロジェクトが白紙撤回された。本委員会としては、それら関係者の真摯な努力にもかかわらず、個別の関係者に責任を求めることは適切ではないと考える。

 他方で、本プロジェクトが紆余曲折し、コストが当初の想定よりも大きくなったことにより、国民の支持を得られなくなり、白紙撤回の決定をされるに到った問題の原因は、上記のように大変な難工事に対して、それに対応できる適切な体制を作らずに従来からの集団意思決定システムを維持し、この難工事を従来の組織の拡大だけで対応しようとし、さらに、十分な情報発信の体制を構築しなかったことにより国民への説明を十分に果たさなかったことにある。

 このような中で、敢えて責任の所在を求めるとすると、その責任の一面は、結果として、本プロジェクトの難度に求められる適切な組織体制を整備することができなかったJSC、ひいてはその組織の長たる理事長にあると言わざるを得ない。

 また、このような責任の所在は、本プロジェクトに関して、オリンピック・パラリンピック競技大会に関することを所掌し、JSCの主務官庁でもあり、かつ、本プロジェクトについては、随時JSCから報告・相談を受け、指示・支援・関係官庁等との調整を行っていた文部科学省についても同様に解するべきであろう。

 即ち、その組織の長たる文部科学大臣及び事務方の最上位たる事務次官は、上記のような問題が生じないように、関係部局の責任を明確にし、本プロジェクトに対応することができる組織体制を整備すべきであった。〉・・・・・・・

 JSC及び文科省、そしてそれぞれの組織のトップは新国立競技場整備計画に対応可能な組織体制を整備する能力を欠いていた。下村博文に関して言うと、自身が新国立競技場整備計画でなすべき務めとして負っていた組織管理・運営の責任を欠いていた。その結果の整備計画の迷走であり、白紙撤回を招いた。

 と言うことは、安倍晋三からしたら、下村博文から馳浩への交代は下村博文の責任を文科相交代という形で示したということになるが、下村博文からしたら、新国立競技場建設白紙撤回問題で責任を負う形の人事異動ということになる。

 但し文科相の役目から離れたからと言って、責任がなくなるわけではない。文科相としての新国立競技場建設に関わる責任不履行は白紙撤回を受けた計画の仕切り直しに持間や手間、そしてカネ(=経費)を新たに必要とするだけではなく、責任不履行の事実は事実として残さなければ、一つの組織の管理・運営に関わるトップの責任の教訓とすることもできなくなる。

 では、いつまで責任を引き受けなければならないのだろうか。

 例え完成したとしても、計画見直しによって建設された新国立競技場という歴史を後々まで負わなければならなくなるが、いつまでもと言うわけにはいかない。少なくとも見直した整備計画による新国立競技場完成までは下村博文もJSCの河野一郎理事長も自らの責任を噛みしめなけけばならないはずだ。

 完成によって責任に一区切りをつけることができる。

 逆説するなら、それだけ責任は重かったはずだ。政府が白紙撤回した当初計画でデザインや設計等で結んだ契約が約59億円にも上り、ほぼ支払い済みで白紙撤回により大部分が無駄な支出となる見通しだということだし、白紙撤回で新たに必要とするカネ(=経費)は約100億円相当に上ると伝えているマスコミもある。

 これらのカネは国民の税金か、宝くじ等国営賭博からの出費で、やはり元手は国民のカネである。ムダに遣っていい理由はどこにもない。

 下村博文は6カ月分の給与と賞与の自主返納を責任履行の一つとしていたが、そんなことでは追いつかない59億円+100億円であるはずだ。新国立競技場建設の迷走で見せた日本を代表する省である文科省の組織管理・運営の未熟さは日本人の能力という問題で把えられて世界に知らしめたマイナス面もあったことも考慮しなければならない。

 いわば日本の評判を貶めた責任も罪に加えなければならない。

 これらの責任を総合すると、少なくとも新国立競技場が完成するまでは自身の責任を噛みしめなければならない立場にあり、完成まで謹慎の意味で無役に徹するだけの責任意識を見せるべきだが、自民党は10月10日、総裁特別補佐と特命担当の副幹事長に充てる方針を固めた。

 自民党総裁は安倍晋三であり、最終的人事決定権は安倍晋三にある。

 当然、この自民党の総裁特別補佐と特命担当副幹事長の役目は文科相交代を埋め合わせる人事と見なければならない。

 これでは安倍晋三が下村博文に責任を取らせたと言うことができるのだろうか。下村博文は責任を取ったと言うことができるのだろうか。

 もしこれが安倍晋三の下村博文に対する最終的な責任の取らせ方であり、下村博文の最終的な責任の取り方だとしたら、両人共に責任の重大さを何ら自覚していない、逆にそれぞれの責任を、安倍晋三は任命責任を、下村博文は文科省トップとしての役目不履行の責任をゼロにする責任放棄に向かうことになる。

 これ程国民をバカにした責任体制はないはずだ。

 但し安倍晋三にしても下村博文にしても、新国立競技場完成まで無役でいなければならない程の責任はないと考えているなら、それぞれが負うべき責任に対して自身を律する意志が強固か、強固ではないかの責任感の問題となって、後者ということなら、首相である前に、あるいは大臣である前に議員となる資格さえもないと見る国民も存在するはずである。

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安倍晋三はプーチンとの首脳会談で四島返還協議進展に向けたリーダーシップを何ら発揮できなかった

2015-10-10 09:18:02 | 政治


 10月8日、ロシアのモスクワで北方領土問題と平和条約締結問題を話し合う日露外務次官級協議が開催された。各マスコミ報道を見ると、日本側はその時間の多くを領土問題に割いたと説明しているが、日露双方共に領有権に関わる法的・歴史的な根拠を主張し合い、平行線を辿ったようだ。

 いわば日本側は「北方四島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土である」と主張し、ロシア側は「第2次世界大戦の結果、ロシアの領土になった」と従来の主張を譲らなかった。

 但し日本側の歴史的に日本の固有の領土とする主張は歴史の歪曲、あるいは偽造そのものであろう。北方四島は歴史的にアイヌ民族固有の領土であったにも関わらず、日本が武力で専有し、日本の領土とした。返還されるべき相手はアイヌ民族である。

 第2次世界大戦以前の状態に戻すべきで、第2次対戦の結果を無関係とすることができる。

 日露外務次官級協議そのものは平和条約締結交渉前進の口実の元、継続開催が決まった。日本側が平和条約締結の前提に北方四島返還を置いていて、その前提に立ち、ロシア側が第2次大戦の結果を領有権主張の前提に置いている以上、条約締結に至るはずはないのだが、日本側は元も子も失うことを恐れて、ロシア側は日本側から経済的利益を得るために設けた「双方に受け入れ可能な解決策」の模索とか、「静かな雰囲気の中での交渉」といった言葉で吊って、双方共に中断するわけにはいかない継続交渉と言うことなのだろう。

 誰もが見ていることだが、そもそもからして日露外務次官級協議の結末は9月21日のモスクワを訪れての岸田外相とラブロフ・ロシア外相の会談が結果を予見させていたことである。

 ラブロフ外相は会談の中で、「日本が戦後の歴史の現実を受け入れて初めて、問題を前に進めることができる」と述べたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 「戦後の歴史の現実」とは勿論、記事が解説しているように「第2次大戦の結果」というやつである。

 ラブロフ外相に、いわば日本は戦後の歴史の現実を受入れよ、でなければ、問題は前に進めることはできないと最後通告のような形で言われていながら、昨年の1月以来1年8カ月に亘って中断していた日露外務次官級協議での平和条約交渉を、日露双方共に中断するわけにはいかず10月8日にロシアで再開することで合意したのである。

 そして日露外相会談に於いてロシア側が示した意思どおりの日露外務次官級協議で終わった。

 このような経緯から窺うことができることは、以前の交渉に於いてもそうだが、ロシア側が領有権の正当性としている第2次世界大戦の結果云々よりも実効支配している現実が握らせていることになっているロシア側の主導権のみが目立つという事実である。

 いわば返還に応じるも応じないもロシア側の態度一つにかかっている。

 裏を返すと、議論を進める上で日本側は主導権を握ることができず、失った従属的状況にある。

 ロシアが北方四島の開発を進め、軍隊をも駐留させているのは実効支配をより強固とし、領有を事実化するためだろう。

 9月21日の日露外相会談と10月8日の日露外務次官級協議の間の9月28日、共に国連総会出席のためにニューヨークに訪れていた安倍晋三とロシアのプーチンとの間で日露首脳会談が行われている。

 当然、安倍晋三はプーチンとの会談で日露外相会談の結果を受けて、ロシア側の主導権に対抗できる、日本側がカードとし得る何らかの有効な策を講じることができるよう、プーチンに働きかけるだけのリーダーシップ(=指導者としての能力)を発揮しなければならなかった。

 例えば領土返還交渉に何ら進展がなければ、今後の経済協力や経済進出、技術協力の後退もあり得る、あるいはロシアに進出している日本の企業のロシアからの撤退もあり得るといった警告の提示である。

 ロシアは現在、ウクライナ併合問題で欧米から経済・金融制裁を受けて、経済的困窮状態にある。プーチンの一時期89%もあった支持率も僅かながら下がっている。欧米の対ロシア経済・金融制裁に日本も加わっているが、ほんの申し訳程度の義理づき合いといった程度に過ぎない。

 日本が領土返還交渉のために経済をカードとした場合、経済悪化状況にあるロシアにとっては不都合な事実となるはずである。

 安倍晋三は10月8日の日露外務次官級協議開催4日前の10月4日、京都で開催の科学技術に関する国際会議に出席するため来日していたロシアの副首相と京都のホテルで会談している。

 マスコミは安倍晋三が副首相に対して「協議の進展を期待している」と述べたと伝えている。

 要するに協議進展を期待する希望を口にした。但し希望を口にするについては進展に対する何らかの成算がなければならない。

 成算もなしに単なる希望だけを伝えたとしたら、一国の指導者としてのリーダーシップが疑われることになる。会談も発言も形式的なものに過ぎなかったことになる。

 プーチンとの首脳会談で安倍晋三が協議進展への成算を僅かながらでも得ることのできる何らかのリーダーシップを発揮した上で副首相に対して協議進展を期待する希望を口にしたという経緯を取ったというなら、自らが担うべきリーダーシップを些かも裏切ってはいないことになる。

 ところが10月8日の日露外務次官級協議はご覧の通りの従来と変わらない結末となった。

 安倍晋三はプーチンとの首脳会談で協議進展に向けたリーダーシップを何も発揮できず、副首相に対して何ら成算もなしに協議進展を期待する希望を述べたことになる。

 プーチンは会談で平和交渉の継続では合意を示したものの、領土については何も言及はなかったと、「毎日jp」記事が伝えている。  

 と言うことは、安倍晋三は領土返還問題で何か匂わせる発言をしたが、プーチンはその発言に応じなかったか、あるいは安倍晋三が直接的な言葉で触れたものの、プーチンに無視されたか、いずれかということになる。

 どちらであったとしても、安倍晋三がプーチンとの首脳会談で領土返還に向けた交渉進展にリーダーシップを何も発揮していなかったことに変わりはない。

 安倍晋三のリーダーシップ不在がロシアに主導権を握らせていることに手をこまねく事態を招き、そういった状況のまま、外相会談が行われ、日露首脳会談が行われ、日露外務次官級協議が行われていた。

 すべてがこのような構造の話し合いでありながら、領土問題を含めた平和条約締結交渉の継続に合意し、再び同じ構造の話し合いに突き進もうとしている。

 何もかも安倍晋三のリーダーシップ不在がその原因をつくっている。

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河野太郎の再開したブログ記事は内閣に取り込まれることを確信犯とした、安倍内閣の飼猫になるという宣言

2015-10-09 09:13:54 | Weblog


 昨日のブログで河野太郎が入閣に当たり、今後国会や記者会見で口にする発言との整合性を問われる場面が生じないよう、自身の公式サイトの各コーナーを閉じたことをネットの新聞記事を頼りに取り上げたが、要は河野太郎が今までブログで発信してきた発言・主張が閣僚として発信する発言・主張と異なることになることを前以て承知していたことになる。

 異なることを気づきも考えもしていなかったなら、何も過去の発言・主張を隠すことはないし、隠す必要も生じない。

 そして過去の発言・主張と閣僚としての発言・主張が異なることを前以て承知していたということは内閣に取り込まれる状況になることに備えていたことになる。

 つまり内閣に取り込まれることを確信犯としていた。

 公式サイトの一つのコーナー、「ごまめの歯ぎしり」は10月8日、再開されている。だが、過去の記事についてはアクセス出来ない状態になっている。

 内閣に取り込まれることを確信犯としていたことはこのニューアル最初の記事にも現れている。全文を引用してみる。

〈2015年10月7日に宮中で天皇陛下から官記を賜り、国務大臣に認証されました。
 また同日、官邸で安倍総理から第75代国家公安委員会委員長、行政改革担当、国家公務員制度担当、内閣府特命担当大臣(防災、規制改革、消費者及び食品安全)を拝命しました。

 この他に、特定秘密の検証・監察、死因究明、公正取引委員会、公益法人制度など、あわせて11の指示をうけました。

 これまでは、与党とはいえ政府の外から自らの主張を訴えるだけでしたが、国務大臣として、政府の中で自らの主張を訴えることができるようになりました。

 政府の中で、しっかりと主張すべきことを訴えてまいります。

 私のすべての主張がそのまま政府の政策になるわけではありませんが、一つ一つ、実現に向けて努力をしてまいります。

 また、憲法68条3項に「内閣は、行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う」とあるように、国務大臣として政府の一員になる以上、政府の外に向かっては、政府の政策を擁護し、訴えていくことになります。

 その意味もあり、河野太郎の情報発信の窓口の一つであるホームページをリニューアルいたします。

 メルマガのバックナンバーやフェイスブック、ツィッターその他については、そのままにしておきますので、ご参照ください。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、しっかりとがんばります。

 ご期待ください。〉(以上)――

 〈これまでは、与党とはいえ政府の外から自らの主張を訴えるだけでしたが、国務大臣として、政府の中で自らの主張を訴えることができるようになりました。

 政府の中で、しっかりと主張すべきことを訴えてまいります。

 私のすべての主張がそのまま政府の政策になるわけではありませんが、一つ一つ、実現に向けて努力をしてまいります。〉は単なる前置きに過ぎない。

 〈憲法68条3項に「内閣は、行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う」とあるように、国務大臣として政府の一員になる以上、政府の外に向かっては、政府の政策を擁護し、訴えていくことになります。〉が、河野太郎が言わんとした本題である。

 国家公安委員会委員長、行政改革担当、国家公務員制度担当等々の自身に与えられた役目に関しては〈政府の中で〉、つまり内々で〈しっかりと主張すべきことを訴え〉るが、内閣の一員である以上、その主張は〈政府の政策を擁護し、訴えていく〉――言い替えると、政府の方針に外れない、その範囲内にとどまるとしていることになる。

 例を挙げると、一つの省で大きなムダ遣いが発生していることを発見した。行政改革担当相としてそのムダ遣いを徹底的に追及すると、最終責任者である主務大臣に責任が及び、引いては任命責任者たる総理大臣に責任が波及しないとも限らないといった規模・性格のムダ遣いであった場合、内閣を擁護するためにそのムダ遣いを内々で処理するということもあるということでろう。

 内閣の存立を擁護することが政府の政策を擁護することでもあり、両者は一体のものである。

 河野太郎が内閣に取り込まれることを確信犯としていなければ、新しく国務大臣に就いたに過ぎない段階で自身が言いたいと欲している主張を抑えて、内閣の一員として内閣の方針に従うことを本題とする記事を書くことはしないだろう。

 確信犯としているからこそ、ブログから今までの記事を閲覧できなくした。

 自身が言いたいと欲している主張を抑えて、内閣の方針に従うことが入閣の条件だったのかもしれない。

 例え条件であったとしても、自身の発言・主張を抑えてまで内閣に取り込まれることにするかどうかの最終決定権は河野太郎自身にあった。

 ブログ記事を一言で片付けると、安倍内閣の飼猫になるという宣言でもあるはずだ。

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第3次安倍改造内閣行革担当河野太郎は決して国民を騙しているとは思っていない信念を曲げない大臣である

2015-10-08 09:10:33 | 政治


 第3次安倍改造内閣の閣僚が昨日10月7日(2015年)発表され、安倍晋三の夕方6時からの記者会見で閣僚それぞれが簡単に紹介された。

 信念の人、河野太郎が初入閣している。どんな紹介のされ方なのか見てみる。

 安倍晋三「河野大臣は、大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主であります。閣内でも改革断行の総元締として、これまでの経験をいかしてあらゆる改革を一気に加速してもらいたいと期待しています」――

 「大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主」とは信念の人そのものであることの言い替えでなければならない。

 ではなぜ、そのように今時稀有な信念の固い人物を今まで閣僚に用いなかったのだろうか。第2次安倍内閣発足早々に大臣に用いていいはずだが、今になって用いたことに奇異な感じさえする。

 ブログ上には記載されていないが、河野太郎の公式サイトを紹介する検索サイトは、「国民(みんな)のために力を合わせる政治を」名となっていて、アクセスするとタイトル個所に、「貫くべき信念があります」と書き入れてある。
 
 自分から信念の人であることを名乗っている。大体が「国民」という漢字を「みんな」と読ませる辺り、大衆目線を感じさせる。「河野太郎は国民の味方です」と言っているのと同然である。

 国民の味方が格差拡大のアベノミクス経済政策を推し進める安倍晋三の内閣に入閣するのは些か矛盾を感じるが、その点は目を瞑ろう。少しはブレーキ役を任ずるのかもしれない。

 ところが、河野太郎が“信念の人”であることを嘲笑うが如き記事を見つけた。飛んでもないことである。《入閣の河野太郎氏「脱原発」どうする ブログの公開中断》asahi.com/2015年10月7日23時55分)

 主なところを拾ってみる。

 〈河野氏はこれまで安倍政権の原発推進の方針に異議を唱えてきたが、7日の初閣議後の記者会見では持論を封印。〉

 〈原発再稼働を批判してきたブログは同日夜現在で「メンテナンス中」として、閲覧できない状態になっている。〉 

 〈河野氏は自身のブログ「ごまめの歯ぎしり」で、安倍政権の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)再稼働について「核のゴミには目をつぶり、やみくもに再稼働しようというのは無責任です」と批判してきた。

 7日の記者会見で持論と政権方針との整合性を問われると「2012年の総裁選の時に、当時の安倍晋三候補は長期的には原子力への依存度を下げるとはっきりおっしゃっていた。ベクトルとしては同じ方向を向いている」と説明した。〉

 河野太郎(ブログを閲覧できなくしたことについて)「今までは外から言っているだけだった。今度は政府内の議論でしっかりと言うべきところは言っていく」――

 結局のところ、記事の殆どを紹介してしまった。

 先ず公式サイトだが、トップページにはアクセスできるが、「ごまめの歯ぎしり」などの各コーナーはクリックしても「メンテナンス中」となっていて、記事が読めなくなっている。

 河野太郎は段階的脱原発を原発政策として掲げているから、「ベクトルとしては同じ方向を向いている」としても矛盾はないが、2012年当時は2011年3月11日の東日本大震災を受けた福島第1原発事故から日が浅く、国民の間で現在以上に脱原発ムードが高まっていた。安倍晋三のことだから、党員票獲得の選挙戦術と言うこともある。特に最近の停止中の原発再稼働推進の姿勢やベトナム、トルコ、UEAに対する原発輸出積極姿勢を見ると、選挙戦術の疑いが濃厚である。

 尤も河野太郎は日本からトルコとアラブ首長国連邦(UAE)への原発輸出をそれぞれ可能にする「原子力協定承認案」の衆院での採決に賛成しているから、安倍晋三の段階的脱原発がニセモノ臭くても、案外河野太郎もニセモノ臭く、ニセモノ臭さいという点で「ベクトルとしては同じ方向を向いている」と言うことで、何ら矛盾はないのかもしれない。

 いや、脱原発の信念を持ちながら、「原子力協定承認案」の採決では自身の信念を曲げたということなのだろうか。

 つまり、信念というものに対してときには曲げることもあり得るという柔軟性を与えているとしたら、例えばウソを悪としていながら、人間、ウソをつくこともあると必要悪のウソを認めているように必要悪の信念の変節を認めている考えているとしたら、公式サイトを閉じたことは今後国会や記者会見で口にする発言との整合性を問われる場面が生じないよう、前以て「今までは外から言ってい」た発言と発言に込めた信念を隠す意図からの措置――必要悪の信念の変節と解釈できないこともない。

 但し必要悪からだと自覚していたとしても、信念を一本貫くことから程遠いことだけは確かである。貫く固い意志を持っていたなら、公式サイトの各コーナーを閉じることはしなかったはずだ。 
 
 河野太郎は自身のツイッターに9月20日、〈ブログ更新:使わない船に年間12億円。 http://bit.ly/1LGaU2J 〉と投稿、29件のリツイートと24件のお気に入りを獲得している。

 アドレスにアクセスしてみると、「ごまめの歯ぎしり」に書き入れた一文であるらしく、当然、「メンテナンス中」で覗くことができない。

 ところが、河野太郎は同じ9月20日付け、同じ題名で「The Huffington Post」投稿していて、記事が残っている。
 
 内容は文科省の概算要求の中に「国立研究開発法人日本原子力研究開発機構運営費交付金に必要な経費」が入っていて、福井県敦賀市明神町にある廃炉中の原発「ふげん」の使用済み核燃料の輸送に当たる輸送船の維持管理に必要な予算として原燃輸送株式会社を支払先とする12億3200万円が組み込まれている。

 その予算で核燃料輸送船「開栄丸」を47億円で建造。この47億円は原燃輸送株式会社が負担。その90%を日本原子力研究開発機構が15年年賦で支払い、残りの10%はその後の10年年賦での支払いとなっていて、金利と固定資産税を加えると、合計60億円の負担になる。さらに毎年9億円の維持費がかかって、原燃輸送に支払う。

 しめて年間12億3200万円が税金からの負担になる。

 「開栄丸」は日本原子力研究開発機構が使用しない間は電力会社が使うことになっていた。ところが日本原子力研究開発機構が利用したのは2006年10月と2007年5月と2007年6月の3回のみ、それぞれ5.2トンの使用済み核燃料を「ふげん」から東海研究所に輸送しただけで、その間の電力会社が利用したのはただの1回。計4回しか使われていない。

 「ふげん」にはまだ70トンの使用済み核燃料が残っていて、フランスに持って行って処理する話が有力となっているが、「開栄丸」は使用済み核燃料を海外に輸送するために必要な防護措置がないために海外には輸送できない。

 つまり「使わない船に年間12億円」のムダを出しているというわけである。

 確かに河野太郎が書いたこの記事はThe Huffington Postに残ることになるが(永遠にかいつまでかは分からないが)、自身の公式サイトについてい言うと、「無駄遣い撲滅プロジェクト」自民党行政改革推進本部長として河野太郎が知り得た情報の国民に対する説明責任を一旦は果たす信念を示したが、その説明責任を自ら遮断してしまう信念の変節を自ら演じ、説明責任とは逆の情報の隠蔽に走ったことになる。

 国民に対する説明責任の自分の意志からの遮断は必要悪の信念の変節であるとすることは決してできないはずだ。

 The Huffington Postの記事も抹消したいと願ったのかもしれないが、一旦他紙に投稿した以上、自分の意志から抹消も遮断もできない。

 河野太郎は父親が発表した「河野談話」に対する姿勢はどうするのだろうと思っていると、記者会見で案の定問い質されている。

 記者「父の河野洋平氏が官房長官時代(平成5年)に発表した、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話についてどのようにお考えか」

 河野太郎「個人としての見解を申し上げるのは適当ではない。政府として村山談話、河野談話を継承すると首相が申されているので、その通りであって付け加えることも引くこともない」(産経ニュース) 

 要するに個人的な見解は別にして内閣の一員として内閣の方針に従うというわけである。

 安倍内閣の方針とは、安倍晋三個人は、他の閣僚も何人かは「村山談話」が示している歴史認識も「河野談話」が示している歴史認識も真っ向から否定、逆の歴史認識に立っているが、内閣としては受け継ぐという見せかけの形式を取っている。

 だが、河野太郎が「個人としての見解を申し上げるのは適当ではない」と個人的見解を隠している以上、「村山談話」と「河野談話」の歴史認識は認めるが、内閣の一員として安倍内閣の見せかけの方針に合わせますと、必要悪と認識しているのかどうか分からないが、やはり信念の人らしく、信念の変節を見せていることになる。

 国会で追及されることになったとしても、一議員として外で発言してきたことと今後の内閣の中での発言とは別だと言ったり、個人的見解と政府方針を区別することで逃げ切ることになるだろう。

 高市早苗も2014年10月3日の衆院予算委員会で自身の歴史認識を安倍内閣の方針に合わせる信念の変節を必要悪としてか、平気で犯している。

 辻元清美「『正論』にかつてこういうことをお書きになっています。村山談話を指して、この不見識な見解をこのまま放置するならば、犯罪国家の国民として子孫を縛り続けることになる」

 高市早苗「現在私は内閣の一員でございます。一政治家としての信念、思想、これまでの主張はございますけれども、内閣のメンバーが、国民の代表であります国会に対しまして、みんながばらばら、めいめいに好きなことを言い出しては、それは内閣として機能しないと考えております。私は、内閣の方針に従わせていただきます。それが国民の皆様への責任だと思っております」

 安倍晋三にしてこの高市早苗ありで、信念の変節とは思わせない見事な言い抜けを行っている。

 河野太郎にしても高市早苗にしても、それぞれが自分は信念の人だと信じ続けることになるだろう。自身の信念に反する国会答弁やその他の発言はすべて見せかけだとすることによって。

 決して国民を騙しているとは毛程も思っていないはずだ。安倍晋三がそうであるように。

 思っていたとしたら、河野太郎も高市早苗もあのような発言はできない。


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日本はノーベル賞受賞者を多く輩出していながら、なぜ戦略構築や組織運営能力が求める創造力が劣るのか

2015-10-07 09:49:27 | 政治


 ここで言う組織運営能力とは、組織設立の目的に添って効率よく組織を動かすために共同で戦略を立て、組織設立の目的を果たす能力を言う。

 つまり組織のリーダーだけではなく、組織の少なくとも各部署・各部門の責任者全てが組織運営能力を備えていなければならない。リーダーだけが組織運営能力を備えていても、それに応える人材がいなければ、組織は満足に動かないし、リーダーが優れた戦略を立てることができたとしても、周囲それぞれがその戦略を体系化できていなければ、戦略は生きてこないことになる。

 当然。組織運営能力を欠くということ、あるいは機能させることができないということは出発点とすべきそもそもの戦略を欠いていることになる。

 戦略とは、「長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法」を言う。

 また戦略は、組織の性格に応じて世界を相手にする組織なら、世界全体の状況を、あるいは日本一国で済むことなら、日本全体の状況を見渡して、その全体的な状況の中から組織設立の目的遂行に必要なありとあらゆる情報・知識を抽出して、自分たちの情報・知識に高め、活用する創造性を必要とすることになる。

 今年もノーベル賞受賞者発表の10月を迎えて、10月5日、6日と早々と日本人2人のノーベル賞受賞者決まった。日本人のノーベル賞受賞は24人目で、アジアでは圧倒的な数を誇り、日本人の頭脳の優秀さを証明した。

 もし日本人が全体的に頭脳優秀な人種であるなら、組織運営能力に関しても優秀でなければならない。組織運営に関わる戦略構築能力も優れているということになる。

 これらの能力は歴史的に後天的な日本人性としてあるものではなく、歴史的に伝統的なものであるはずだ。

 だが、旧日本軍は米国が初戦の劣勢から態勢を建て直して以後、軍隊と言う組織を状況に応じて臨機応変に動かし、米軍を圧倒する運営能力を最後まで欠いていたことはつとに有名である。最後まで欠いていたということは戦術ばかりか、戦略を欠いていたことの証明に他ならない。

 いわば戦略が初戦にのみ通じたということは、目的行為の準備・計画・運用の方法である戦略が長期的・全体的展望に立っていなかったということになるばかりか、勝機のないことが科学的な統計で裏付けられていながら、精神論で開戦したのだから、当然だが、途中で日本軍の戦略が通じないことに気づかなかったということでもり、気づいて戦略を立て直すこともしなかったことに他ならない。

 いわば組織運営能力に関しても戦略に関しても、全てに亘ってこれらに必要とする創造力を欠いていた。

 最近では新国立競技場整備計画に関わる日本スポーツ振興センター(JSC)とJSCを所管して共に計画を進めていかなければならない立場にあった文科省の整備計画を担った部署の組織運営能力の欠如=戦略の欠如から、整備計画が二転三転して最終的に計画の白紙撤回を招いた迷走を挙げることができる。

 新国立競技場整備計画経緯検証委員会は検証報告書で権限と責任の曖昧、それ故の当事者意識の欠如を指摘、権限と責任が曖昧だから、文科省とJSCとの間の情報共有と相互連携が満足に機能せず、しかも文科省はJSCに対する監督を怠ることになったと指摘している相互関連性に行きつくことになったのだろう。

 権限を持つべき者に権限を与えずに、では自分たちがその権限を十全に発揮したかというと、そうではなく、報告書は〈すべての重要な決定は、文部科学省、財務省、JSC及び有識者会議のなかで、「止むを得ない」という「空気」を醸成することで行われていた。〉と、他人任せ、リーダー不在、責任回避の馴れ合い状況を呈していたことを結論の趣旨としている。

 このような状況は組織設立の目的を果たす戦略を欠き、それゆえに組織運営能力を満足に機能させることができなかったお粗末さの説明でもあるはずだ。

 いわば、繰返しになるが、戦略に関しても組織運営に関しても全てに亘ってこれらに必要とする創造力を欠如させていた。

 この欠陥性は新国立競技場整備計画に関わる日本スポーツ振興センター(JSC)と文科省だけの問題ではないはずだ。だけの問題だとすると、新国立競技場整備計画に関わった日本人だけに起こった問題となって矛盾が生じる。多かれ少なかれ、日本の組織が抱えている問題点だとすることによって整合性を取ることができる。

 ネット上には日本人に欠けている能力として統率力(=リーダーシップ)や創造力や表現力等々が挙げられている。

 全ては戦略を生み出す能力として必要であり、組織運営能力につながっていく。

 では、なぜこうも多くのノーベル賞受賞者を輩出している優秀な頭脳の日本人でありながら、戦略や組織運営能力を生み出す想像力を欠くことになっているのだろうか。

 この矛盾をどう解いたらいいのだろうか。

 それはノーベル医学生理学賞を受賞した大村智氏の研究を見てみれば分かる。

 微生物が様々な無限とも言える薬効を持っていることは知られていた。大村氏は先ず国内外を歩き回って様々な土地の様々な土を採取、その中に存在する微生物を大量に集め、今回受賞理由「寄生虫病に対する新しい治療法の発見」の治療薬である抗生物質「エバーメクチン」を生み出す基の放線菌を発見したという。

 これは無から有を創り出す創造力というよりも、微生物が様々な無限とも言える薬効を持つという元となる知識、あるいは原型があり、そのような知識・原型に基づいた応用――どちらかと言うと、同じく元となる原型や知識が存在していて、それらを応用して改良を加えていくモノづくりの工程に似て、その範疇に入る能力ということではないだろうか。

 日本人がエンジンで動く自動車を発明したわけではない。フランス人が蒸気で走る自動車を発明し、それがガソリン車へと発展していったということだが、日本人はそれらの元となる原型・知識をお手本に自らも自動車を生産し、改良していって、今では世界で冠たる自動車生産国となることができた。

 このモノづくりの能力である。

 今回ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章東京大学宇宙線研究所所長の受賞理由となった、質量がないと考えられてきた「ニュートリノ」に質量があることを発見したことも、ニュートリノの存在という元となる知識・原型を応用したのもので、モノづくりの能力に似ている。

 ネット上で見つけたのだが、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈氏が「日本人は欧米に比べて創造性に長けているとは言い切れないが、工夫・考案(contrivance)の才では抜群の力を発揮する。これを創造性が欠除しているなどと言えば問違った評価になろう」と言っている。だが、ここで言っている「工夫・考案」は元となる原型・知識を必要とする。決して無から有を創り出す創造力のことではなく、元となる原型・知識を前提とした創造性である以上、モノづくりの能力の範疇に入る「創造性」と言うことになる。

 モノづくりの能力に於ける工夫・考案を核とした創造力と組織運営のための戦略構築能力と組織運営能力が必要とする創造力は似て非なるものである。

 アジアに於いてはノーベル賞受賞者を多く排出していながら、後者の能力に於いて欠けていると言われる根拠がここにあるのだはないだろうか。

 このことはグローバル人材(世界的規模で活躍できる人材)不足が言われていることとは無縁ではないはずだ。

 大和佐智子人材センター公共体ソリューションチームマネジャー「『グローバル人材』の重要性が指摘されていますが、実はそれは今に始まったことではありません。例えば2006年には、当時の小泉純一郎首相が設置した経済財政諮問会議が『グローバル戦略』を纏め、人材の国際競争力の強化を掲げています。

 それから9年も経っているにもかかわらず、グローバル人材の必要性を訴える声は減少するどころか、高まる一方です」(日経ビジネス/2015年4月9日(木)) 

 世界的規模で活躍するには世界に氾濫する様々な情報・知識から自身に必要な知識・情報を抽出して自身に独自な知識・情報に翻訳、その上にそれを逆に世界に通用させる戦略を構築できる創造力と、その戦略に基づいた、組織運営能力に当たる達成力と、達成のための創造力を欠かすことができないはずだ。

 勿論、組織で動いているなら、組織運営能力そのものとなる。

 断っておくが、勿論私には逆立ちしたって真似はできない。

 グローバル人材がなかなか育たない、あるいはなかなか育てることができないという日本人の能力からも、日本人ノーベル賞受賞者排出に見る日本人の頭脳の優秀さと比較した戦略構築や組織運営能力が求める創造力の欠如を窺うことができることになる。

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バングラデシュ邦人殺害は安倍晋三の中東政策スピーチが遠因の「イスラム国」指令の忠実な実行と援護射撃

2015-10-06 09:19:39 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」


     小沢一郎代表が10月2日に発表した「政権交代こそ野党連携の最大の目的」と題する
     談話について、多くのメディアが報じています。その中でも『日刊ゲンダイ』と『日刊スポーツ』がかな
     り詳しく報道していますので、ご参考までにご紹介します。

      《10月4日 野党の“青二才”に業煮やし 小沢一郎氏が「檄文」に込めた決意》日刊ゲンダイ)    

      《10月3日 小沢代表、野党に号令 政権交代へ「オリーブの木」》日刊スポーツ)    

      《10月2日 小沢一郎氏、参院選は野党各党の統一名簿で戦うべき》日刊スポーツ)    

 10月3日、バングラデシュで在留邦人が何者かによって射殺された。犯人は後に過激派組織「イスラム国」のバングラデシュ支部を名乗る犯行声明をインターネット上に公開している。

 今年9月下旬に首都ダッカでイタリア人援助関係者が射殺された事件で犯行声明を出したのと同じグループ名だという。

 今回の犯行声明の内容は次のようになっていたらしい。

 「日本は米軍主導の対『イスラム国』有志連合の一員であり、日本人の不信心者を銃で殺害した。十字軍(有志国)連合への攻撃は今後も続ける。イスラム教徒の土地に彼らの居場所はない」(毎日jp

 犯行グループが「イスラム国」のバングラデシュ支部を名乗っていることに対してハシナ・バングラデシュ首相は「国内でISの存在は確認されていない」と「イスラム国」の支部であることに否定的な見方をし、国内のイスラム勢力の関与を疑っていると伝えている記事もある。

 事実そのとおりだとしても、バングラディシュの宗教構成はイスラム教89.7%、ヒンドゥー教が9.2%、その他1%。国民総所得はベトナムを超える2700億ドルにのぼり、香港・シンガポールに近い水準にあるとネット上に記載されているが、1億6千万人前後の人口に対して2010年の農村貧困率35.2%、都市部21.3%と言うことなら、貧富の格差が大きいことの何よりの証明であって、そこに豊かな者の貧しい者に対する蔑みと貧しい者の豊かな者に対する憎しみが生じやすく、過激派が育つ土壌は十分に肥沃であると見なければならない。

 それが外のイスラム過激派と連携を持たない国内の勢力に限った過激派であっても、精神的な連携は持つことができる。あるいはそもそもの出発点が傾倒するという精神的連携から真似る形で過激派を形成していったという経緯を取った可能性は否定できない。

 例え「イスラム国」に対する精神的な連携に過ぎなくても、あるいはヤクザ組織で言うと、盃を交わされて弟分の地位を与えられた関係に似た支部という形の実際的な連携の関係にあったとしても、どちらであっても、「イスラム国」は元々インターネットなどを通じ、世界のイスラム教徒に対して自分たちの戦いに戦闘員として参加するよう呼びかけたり、中東やアフリカの国々のみならず、欧米各国在住のイスラム教徒に対してもそこでの欧米諸国の市民を殺害するように呼びかけていたのであり、その呼びかけを「イスラム国」の指令と受け止めて、その指令を自らが忠実に実行することを自らの使命とし、また忠実に実行することが「イスラム国」に対する同じく忠実な援護射撃になると信じて、外国人殺害の行動に走ったとしても、イスラム過激派を名乗る以上、当然の行動と言うことになる。

 複数のバングラデシュ人が「イスラム国」が拠点を置く中東のシリアに外国人戦闘員として渡ったと見られていると伝えている記事もあるが、これも戦闘員参加への呼びかけに応じた行動と見ることができる。

 そしてバングラデシュのイスラム過激派に日本人が標的となったそもそもの遠因は安倍晋三の2015年1月17日のエジプトのカイロで行った中東政策スピーチだと、誰もが挙げるはずである。

 安倍晋三「中東の安定を、私たちがどんな気持ちで大切に思い、そのため力を尽くしたいと念じているか、意欲をお汲み取りください。

 2年前、私の政府はこの考えに立って、中東全体に向けた22億ドルの支援を約束し、これまでにすべて、実行に移しました。本日この場で皆様にご報告できることは、私にとって大きな喜びです。

 ・・・・・・・・・・・

 イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと戦う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」――

 「イスラム国」に宣戦布告をするかのようなこの発言が「イスラム国」(ISIL)を刺激し、中東スピーチから3日後の2015年1月20日、インターネット上に人質2邦人の姿を写した動画を掲載、身代金要求の声明を掲載した。

 「日本の総理大臣へ。日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した。だから、この日本人の男の解放には1億ドルかかる。それから、日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。よって、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる」

 だが、安倍晋三は身代金要求に応じなかったために最終的には2邦人共に殺害されることになった。

 そして日本時間の2月1日、「イスラム国」が再びネット上に投稿した動画は2人のうち、残された1人の殺害された姿を映し出し、黒尽くめのテロリストが次のような英文の声明を読み上げ、マスコミは日本語に訳して報じた。 

  「日本政府はおろかな同盟国や、邪悪な有志連合と同じように『イスラム国』の力と権威を理解できなかった。我々の軍はお前たちの血に飢えている。安倍総理大臣よ、勝てない戦争に参加した向こう見ずな決断によってこのナイフは後藤健二を殺すだけでなく今後もあなたの国民はどこにいても殺されることになる。日本の悪夢が始まる」――

 これが「イスラム国」に精神的に連携する、あるいは実際に連携関係を取っている中東やアフリカに限らない欧米各国のイスラム過激派にいわば指令という形を取って伝えられて、バングラデシュでは忠実に実行に移されて、その行為を「イスラム国」に対する忠実な援護射撃とした。

 と言うことは、安倍晋三の中東政策スピーチでの不用意な言葉のいくつかが海外在留日本人の生命を危険に曝したと言うことができる。

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米軍のアフガン国際医療NGO「国境なき医師団」病院への誤爆が教える訓練は絶対ではないことの教訓

2015-10-05 09:35:09 | 政治

 10月3日(2015年)午前2時頃、アフガニスタン北部の都市にある国際医療NGO「国境なき医師団」の病院が米空軍の誤爆を受けて多数の死者を出した。マスコミは死者を最初16人と伝え、次に19人、現在22人に増えている。

 同医師団の話しとして、〈米軍には病院の正確な位置を事前に知らせてあり、攻撃を受けた直後にも通報したが、その後も30分以上、空爆はやまなかった。〉と「asahi.com」記事は伝えている。  

 病院の位置を前以て把握しているはずだが、なぜ誤爆したのだろうか。病院が爆撃の標的とされていることを通報しながら、なぜ爆撃を30分以上も続けたのだろうか。

 素人の推測となるが、アメリカ映画などでは一定地域への爆撃指示が出ると、上官がその地域の標的とする建物や橋をはっきりと目で捉えることができる壁に掛けた大きな地図か、あるいは現在では大型のモニター画面に写した地図を前にして爆撃する場所や施設を指示、同時に爆撃絶対不可の施設として病院や学校等の場所を示して注意を促すといったことをしているから、当然、パイロットも爆撃手も「国境なき医師団」の病院の場所を把握していたはずだ

 だが、誤って空爆してしまった。

 しかも病院側が空爆を受けていることを通報しながら、30分以上、爆撃は続いた。

 これも素人の推測に過ぎないが、自分たちの爆撃の正確さの能力を過信していたのではないのだろうか。病院の場所を把握していたが、ギリギリのところまで空爆する。

 ときに自身の能力の正確さを過信すると、より高度な正確さに自ら挑戦して、その能力を証明し、誇りたい欲求に駆られる。多分以前にも挑戦して、証明してきたのかもしれない。

 大型バイクやスポーツ車に乗っている人間が自身の運転の技術に自信があると、かなりスピードを落とさなければ回り切ることはできない急なカーブをセンターラインギリギに沿って50キロの速度で回り切ることができた場合、次は55キロ、60キロの速度での挑戦の誘惑に駆られることがあるに違いない。

 だが、ある限度を越えると、センタータインに沿って回り切ることができずに対向車線に飛び出し、対向車と衝突するか、あるいは反対車線を斜めに突っ切って建物に突っ込んだりする。

 警察は単なるスピードの出し過ぎの事故で片付ける。

 「国境なき医師団」の病院誤爆の原因は推測間違いかもしれないが。人間が陥りやすい心理である。

 病院側が誤爆の通報をしてから30分も空爆が続いたのは、自分たちの爆撃の正確さの能力を過信していたために誤爆を信じなかったということもある。自己の能力を絶対とすると、絶対としている能力に対する間違いの指摘には、当然、拒絶反応を働かし、間違いを正当化する口実をつくり出したりする。

 安倍晋三も野党議員の間違いの指摘に強弁を働かせて無理やり正当化することが多い。ただ単に答弁自体に人命がかかっていないだけのことである。

 「いや、誤爆などするはずはない。タリバンが病院関係者だと偽って、空爆自体を中止させるために病院が爆撃を受けている、直ちに中止して欲しいと通報したのではないのか」・・・・

 能力過信者は自身の能力の正しさを守るために、ときとして思ってもみない創造力を働かすことがある。 

 このような正当化によって自身の能力の優れていることを守ることができる。

 誤爆の実際の原因は全然違うところにあるのかもしれない。だが、誤爆したパイロットにしても爆撃手にしても厳しい訓練を受けていたはずである。訓練のうちには爆撃していい場所としてはいけない場所を事前にしっかりと記憶しておくことと、記憶に応じた間違いのない正確な対応の方法も入っているはずである。

 にも関わらず、誤爆し、22人も犠牲者を出した。

 アメリカ軍やその他の軍隊がこれまでも誤爆や陸上での掃討作戦中に友軍兵士や友軍部隊を誤って攻撃し、死者を出したことも確かあったはずだ。

 国連の統計によると、国際部隊による空爆で去年1年間で市民104人が死亡、58人が怪我をしているとマスコミは伝えている。

 今回の誤爆がどのような原因で起こったのかは現在のところ不明であるが、誤爆・誤射の多発は訓練は決して絶対ではないと教える教訓としなければならない。

 このことを逆説するなら、訓練を絶対としてはいけないという教訓となる。

 だが、安倍晋三も防衛相の中谷元も自衛隊の訓練を絶対としている。新安全保障関連法が実施されても、訓練によって自衛隊、もしくは自衛隊員のリクスは高まることはないと、さも「自衛隊絶対安全神話」とも言うべき発言を国会で繰返し答弁していた。

 2015年5月26日の衆院本会議の代表質問から一例を挙げてみる。

 稲田朋美「法整備に伴う自衛隊員のリスクについてもお伺いいたします。

 野党からは、総理が自衛隊員のリスクについて率直に説明すべきとの批判があります。自衛隊の最高指揮官としての総理から、自衛隊員のリスクと、自衛隊員の安全を守るための法制上の仕組みについて御説明ください」

 安倍晋三「我が国有事は言うに及ばず、PKOや災害派遣など、これまでの任務も命がけであり、自衛隊員は限界に近いリスクを負っています。

 法制の整備によって付与される新たな任務も、従来どおり命がけのものです。そのため、法制の中で、隊員のリスクを極小化するための措置をしっかりと規定しています。

 具体的に申し上げれば、部隊の安全が確保できないような場所で後方支援を行うことはなく、また、万が一、自衛隊が活動している場所やその近傍で戦闘行為が発生した場合などには、直ちに活動を一時休止または中断するなどして安全を確保することとしています。

 もちろん、それでもリスクは残ります。しかし、それはあくまでも、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために自衛隊員に負ってもらうものであります。

 他方、リスクの存在を認識しているからこそ、自衛隊員は、高度の専門知識を養い、日々厳しい訓練を行っています。自ら志願し、危険を顧みず職務を完遂することを宣誓したプロとして、危険な任務遂行のリスクを可能な限り軽減しています。これは今後も変わりありません」

 自衛隊の活動場所が常に安全であるとは限らない。今回誤爆を受けた「国境なき医師団」の病院は米軍に位置を前以って通報していて、安全な場所であったはずだ。

 しかも高度の専門知識を養い、日々厳しい訓練を受け、積み重ねているはずの米軍兵士によって誤爆を受けて、安全な場所が一挙に危険な場所に変じた。

 安倍晋三は自衛隊の活動場所は常に安全な場所だとする、今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和の認識に立ち、なお且つ「自衛隊員は高度の専門知識を養い、日々厳しい訓練を行ってい」るからと、それらの訓練が自衛隊員の安全を保証するとばかりに「自衛隊絶対安全神話」を振り回している。

 自衛隊の活動場所が常に安全とは限らないこと、どのような厳しい訓練を受けようとも、訓練が絶対ではないことを教訓として常に肝に銘じて行動しなければならないはずだが、安倍晋三は逆の認識の植えつけに血道を上げている。

 教訓を教訓としないと、ときとして大きな過ちを導くことになる。

 もし自衛隊員は米軍兵士とは違うと考えるとしたら、自衛隊員、もしくは日本人を特別な人種だと絶対視することになって、より大きな過ちを招くことになるだろう。

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安倍晋三は過激派武装集団の現在の状況をどのように認識してPKOの広範囲化・積極化を策しているのか

2015-10-04 11:34:29 | 政治


 安倍晋三が9月28日午後(日本時間9月29日未明)、国連本部で開催の平和維持活動(PKO)に関する首脳会議に出席、平和安全法制が整備できたこと(成立したこと)を言ってから、次のように発言している。

 安倍晋三「 国連PKOの多様化する業務に対応できるよう、国際平和協力法を改正し、従事可能な業務が広がり、更なる貢献が可能となりました。今後、新たな法制の下、国連PKOへの貢献を更に拡充してまいります。

 具体的には、自衛隊が高い技術を持つ施設活動や、ミッション司令部・国連本部等への要員派遣等の質の高い貢献を着実に進めるとともに、早期展開のための航空輸送など、更なる貢献を追求してまいります」(首相官邸) 

 要するに今後国連PKO活動により広範囲により積極的に参加、現地国連ミッション司令部へは司令官等の現地指揮幹部要員として、国連本部の平和維持活動局(DPKO)へはPKO派遣の計画・立案・実施等に携わる要員として幹部自衛官を派遣すると貢献意思旺盛なところを見せている。

 旺盛な貢献意思のもと、いくら自衛隊のPKO活動を拡大しようと、自衛隊、もしくは自衛隊員のリスクは高まらないと全国民に公約しているのだから、安心である。犠牲者は一人として出ることはあるまい。

 安全保障関連法を9月30日に公布され、公布から6カ月以内の施行となっている。

 安倍晋三のPKO派遣の旺盛な貢献意思の具体化でもあるのだろう、防衛省は防衛相の中谷元の指示を受けて、新たに自衛隊として可能となる集団的自衛権行使や国連平和維持活動(PKO)等の任務拡大に備えた武器使用基準の緩和等を内容とする部隊任務・行動基準の改訂作業に着手したことと、現在南スーダンでの国連PKO活動に派遣している自衛隊の任務に離れた場所にいる文民要員を警護する「駆け付け警護」を来年春にも追加する方針としていることを「時事ドットコム」記事が伝えている。 

 確認のために「駆け付け警護」とは何か、「コトバンク」から、その解説を引いてみる。

 〈離れた場所にいる国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らが武装集団などに襲われた場合に助けに向かう任務。政府は、現地の治安当局や国連PKOの部隊などからの情報を得て、自衛隊の部隊長の判断で実施を決めるとしている。

 (駆け付けを可能とするケース)

 ▽自衛隊が安全を確保して対応できる
 ▽現地の治安当局や他国の部隊よりも速やかに対応できる〉――

 駆け付け警護というものを離れた場所の国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らが武装集団などに襲われた場合を想定していながら、自衛隊が安全を確保して対応できることの保証付きとする。

 ここに何も矛盾を感じないのだろうか。

 現地自衛隊PKO部隊に駆け付け警護要請の連絡が入ったとき、「安全を確保して対応できますか」と聞き返して、「対応できます」との返事が得たときのみ駆けつけるのだろうか。

 それとも襲ってきた武装集団の兵力・人数、あるいは使用武器の種類等を聞いて、自衛隊の部隊長が自衛隊が安全を確保して対応できるかどうかを判断、駆けつけるかどうかを決めるということなのだろうか。

 離れた場所にいて、安全か危険か、適格に判断できるとしたら神業である。

 もし駆け付けなかったなら、最悪見殺しにする、良くて人質として拉致するのを許す事態の発生も想定できないことはない。

 となると、一応は駆け付けて、部隊長を先頭に自分たちの目で武装集団の兵力を目で確かめなければならない。もし救出に入ったなら、自衛隊の安全の確保は難しいと判断した場合、撤退を決定するのだろうか。

 つまり自衛隊の安全を基準とした行動に専念して、過激派武装集団に襲われた兵士、あるいは民間人を見殺しにする、あるいは人質となることを許す。

 例え自衛隊の安全確保は難しいと判断したとしても、目の前で攻撃を受けている国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らの救出に最善を尽くす行動に出ないだろか。

 つまり自衛隊員の中から死者が出ることも覚悟して。

 最近の「イスラム国」のような過激派武装集団は、今後自衛隊のPKO部隊が例え過激派武装集団の攻撃で破壊されたインフラの回復・整備を目的とする施設部隊とそれを警護する目的のみの戦闘部隊を編成内容としていて、戦闘自体を目的としていないくても、それゆえに過激派武装集団にとって脅威の対象ではなくても、敵対している政府・国家に味方する軍組織やNPO所属等の民間人が敵対地域に存在すること自体を許さなくなってきている状況になっていないだろうか。

 そのような状況になっているから、結果的に相手を選ばずに攻撃して、戦果に加えようとしているように見える。

 「イスラム国」を例に取ると、最初の勢力拡大の勢いを失って生じた、かつての成功体験を裏切ることになる思い通りの戦果を上げることができない精神的な余裕の喪失が苛立ちを誘って、相手選ばずの攻撃となって現れている原因であるように思える。

 つまり、「イスラム国」に対してだけではなく、過激派武装集団を追い詰めていく過程で次第に攻撃対象を選ばなくなって、危険性を増していく。

 当然、自衛隊のPKO部隊もそれがどのような目的で派遣されていたとしても、駆け付け警護に対してだけではなく、そこに部隊が存在しているという理由だけで直接的な攻撃対象となる可能性は否定でいないだろうし、武器使用基準緩和となれば、攻撃と反撃は激しい応酬合戦となる可能性も否定できない。

 安倍晋三の上記演説の前日9月28日夜7時半から放送のNHKクローズアップ現代『国連70年①相次ぐ紛争そして難民… 平和は取り戻せるか』が、「平和維持のための部隊がテロリストのネットワークに脅かされている」とのマリPKO司令官の発言と去年1年間に亡くなったPKO隊員は126人だと伝えている

 2015年5月30日の「産経ニュース」はPKO隊員の死者はエボラ出血熱への感染による死亡も含まれているものの、7年連続で100人を超えていると伝えている。

 この記事ではNHKクローズアップ現代が伝えている昨年1年間のPKO隊員死亡者の126人は一昨年比+20人だと解説している。

 過激派武装集団が今後益々相手選ばずの攻撃に陥っていくのではないかと疑うことのできる状況を考えると、安倍晋三の旺盛な貢献意思に基づいた自衛隊のPKO活動の広範囲化・積極化が逆に100人を超えるPKO隊員の死者の中から自衛隊員だけを運良くこぼれ落としてくれる保証は逆説そのものとなって、どこからも見つけることはできないように思える。

 安倍晋三はこのようなことを認識して平和維持活動(PKO)に関する首脳会議で演説したのか極めて疑わしい。

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安倍晋三のアベノミクスは最近の生活関連統計を見ても、格差ミクスとなっている

2015-10-03 06:11:58 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《10月2日 小沢一郎代表「政権交代こそ野党連携の最大の目的(談話)》

     小沢一郎代表が10月2日、「政権交代こそ野党連携の最大の目的」と題する談話を発表しました。
     その中で「政権交代を目指さない野党連携は単なる子どもの遊びになる」と指摘し、野党は次の参
     院選を「オリーブの木構想」で戦うべきと提案しています。党ホームページに談話を掲載しました。

     是非ご一読のうえ、拡散いただければ幸いです。    

 2012年12月26日に第2次安倍政権が発足以来、賃金が上がっている。全て安倍晋三のアベノミクスのお陰である。
 
 2015年4月9日参議院予算委員会。

 安倍晋三「そもそも、人口が減少している中においてデフレから脱却できないという説すらあったわけでありまして、金融政策においてデフレは脱却できないという説も強かったわけでございますが、まさに私たちの三本の矢の政策によって現在はデフレではないという状況をつくり出すことができたわけでございます。

 そして、例えば政労使の会議等をやっても、賃金は上がっていかない、こう散々批判されていたわけでございますが、昨年、事実、15年ぶりの高い平均の賃上げを実現したわけでございますし、今年はそれを上回る状況をつくり始めているのが現実でございます」

 2014年は「高い平均の賃上げを実現し」、「今年はそれを上回る状況をつくり始めている」と継続的な賃上げの提供に成功しつつあると誇っている。

 さらに2015年8月24日の参議院予算委員会。

 安倍晋三「日本は15年以上続いたデフレの中で、賃金も上がらず、税収は減少し、社会保障制度などの基盤への不安が国民を覆っていました。

 そこで、二年半前、安倍政権が発足した際、デフレから脱却をし、力強く経済を成長させ、その恩恵を多くの国民が受け取れるようにすると、こうお約束をしたところであります。そして、三本の矢の政策を進めることによって経済の好循環は着実に回り始め、現在ではデフレではないという状況をつくり出すことができたわけでありまして、賃金は17年ぶりの高水準で、名目GDPは政権交代前から28兆円増加をしているわけであります。

 我が国経済はおよそ4半世紀ぶりの良好な経済状況を達成しつつあり、我が国を覆っていた暗く重い空気を一変させることができたと考えています。

 また、これまでできるはずがないと言われてきた多くの改革を次々と断行してまいりました。政権交代以降、60年間地域独占で守られてきた電力やガスの小売市場の完全自由化、患者の申出を起点として先進的な医療を迅速に患者の皆さんが受けられるようにする新たな制度の導入を実現するための法案を成立させてきました。さらに、六十年ぶりの農協の抜本改革や、多様で柔軟な働き方を進めるための規制改革を実現するための法案を今国会に提出をしています。こうした私たちの改革が実効性を高めていることは、市場にも評価をしていただいていると思います。

 さらにアベノミクスの第二ステージにおいては、生産性の向上のため、企業の大胆な経営判断を後押しをし、イノベーションやそれを支えるIT、人材等への投資を促進していきます。今後とも、三本の矢の政策を前に進めていくことによって、国民の皆様が本当に景気が良くなったなと、給料が上がったなと、こう実感できるような、そういう経済状況をつくるために全力を傾けてまいります」

 一言で言うと、安倍晋三は日本の経済にバラ色の状況をつくり出し、そのバラ色は益々鮮やかな色を増していく。今に眩し過ぎで、目を開けていられないくらいの経済活況を呈するに違いない。

 そして安倍晋三も日本の経済を物の見事に回復させた首相として輝きを増す。

 全て安倍晋三のアベノミクスのお陰で2014年の民間企業の賃金が2年連続で増加したとする国税庁調査を「NHK NEWS WEB」(2015年9月30日 17時31分)記事が伝えている。

 民間企業労働者の2014年平均年収は415万円(男性514万円・女性272万円)(昨年比+0.3%)。これは2年連続の増加。

 さらに中身を見ると。

 正社員2014年平均年収  478万円(昨年比約+1%) 
 非正規社員2014年平均年収170万円(昨年比約+1%)

 確かに賃金は増えている。そして今年も春闘前の政労使会議で政府が大企業に賃上げの尻を叩いて、大企業側はその尻叩きに応じて、安倍晋三が言っているように「今年はそれを上回る状況をつくり始めている」はずだ。

 だが、男女合わせて2014年の平均年収415万円に対して正社員になると、平均年収が478万円と63万円も跳ね上がり、非正規社員となると、308万円も大幅に低くなる。

 これを見ただけでも賃上げを作り出しているアベノミクスが格差ミクスであることの証明としかならない。

 そして今年の賃金も上昇基調にあることに応じて非正規社員の賃金も増えているはずだが、それ以上に正社員の賃金が増えることになって、格差も拡大していることになる。

 アベノミクスによる賃上げ効果なのだろう、今年8月の家庭消費支出は3カ月ぶりに上昇したと、10月2日付「NHK NEWS WEB」記事が総務省発表「家計調査」を基に伝えている。
 
 1人暮らしを除く世帯で29万1156円(物価の変動を除いた実質で去年の同じ月を+2.9%)

 消費支出が増えるのは3カ月ぶりだそうだ。

 記事は、〈自動車の購入や住居の修繕などへの高額な支出が増えたことや、猛暑が続いた影響でエアコンの購入が増えたり飲料やアイスクリームなどへの支出が増えたりしたことが主な要因〉だと伝えている。

 総務省「8月は天候による影響が大きい。自動車などへの高額な支出が今後も増えていくか見極める必要がある。消費は緩やかな回復の動きがみられる」

 アベノミクスは格差ミクスだと言われて久しいが、総務省自体がアベノミクスは格差ミクスだとネタばらししているようなものである。

 3カ月ぶりの消費支出増が「自動車などへの高額な支出」に主に頼っていたということは非低所得層に依存した家庭消費支出ということになるからだ。

 記事は併せて、〈自営業者などを除く勤労者世帯の8月の収入は47万5369円と、物価の変動を除いた実質で去年の同じ月を2.2%上回って、5か月連続で増加し〉たと、賃金が上昇していることも伝えている。

 但し主として高額品に対する支出増による家庭消費支出増であることを忘れてはならない。2014年平均年収170万円の非正規社員が簡単には自動車の買い替えなどできないからだ。

 このことは9月の新車販売台数を伝えている「47NEWS」記事が証明することになる。2015/10/01 18:12 【共同通信】)

 9月の新車販売台数は9カ月連続マイナスの47万9375台7・6%減(前年同月比-7・6%)。

 そのうち軽自動車は14・7%減の17万3573台で、同じく9カ月連続のマイナス。

 この原因は軽を除く自動車(登録車)も苦戦が続いているが、〈4月の軽自動車税増税で、軽の販売落ち込みが目立つ。〉としている。

 ところが、上記総務省「家計調査」今年8月家庭消費支出3カ月ぶり上昇は、その主原因に自動車の購入や住居の修繕などへの高額な支出が増えたことを挙げている。

 ここから見えてくる光景は所得に余裕がある層の消費支出増であって、非余裕層は逆に消費を抑えている光景ということであるはずだ。

 どこからどう見ても、安倍晋三のアベノミクスは格差をつくり出す格差ミクスであり、格差ミクス以外の何ものでもないと断言できる。

 我々国民はその正体が格差ミクスでありながら、アベノミクスを看板に戦った安倍晋三の3度の選挙を勝たせた。次も勝たせるのだろうか。


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安倍晋三の短期的要解決課題の欧州流入難民問題を長期的要解決課題にすり替える彼一流のゴマカシ・詭弁

2015-10-02 09:29:39 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《10月1日「生活」機関紙第28号(電子版)発行ご案内》    

      YMF経済研究会(森ゆうこ前参議院議員全国後援会)事務局

      【今号の主な内容】
 
      ◆野党連携に向けて 小沢一郎代表
      ◆国会スペシャルレポート 山本太郎代表
      ◆第189回国会を終えて 主濱了副代表、谷亮子副代表、玉城デニー幹事長
      ◆緊急出版!『今だから小沢一郎と政治の話をしよう』

 安倍晋三はニューヨークでの第70回国連総会に出席、9月29日、「内外記者会見」を行った。記者との質疑で発言した中東からの難民問題に触れた個所を批判の論調でマスコミが取り上げているから、どう発言したのか見てみた。  

 難民問題に関係ないが、安倍晋三の性格を表すものとして冒頭の発言を最初に取り上げてみる。

 安倍晋三「国連総会に出席するため、ここニューヨークを訪れるのも、3年連続となります。一昨年、私は、『女性が輝く社会』を創るべきだと提唱しました。昨年は、エボラ出血熱やテロの脅威に、世界が連携すべきだと訴えました」――

 何人の各国首脳と首脳会談を開いたとか、何カ国を訪問したとか、相変わらず回数を誇っている。『女性が輝く社会』を創るべきだと提唱したことが、この2年で実質的にどれ程に成果・実績を上げることができたのかといった肝心のことには触れない。

 足元の日本でさえ、省庁やその他の役所では女性の採用や管理職登用の数は増えているものの、支配者の位置に君臨する男たちが政府の尻叩き(=何人管理職に用いるべしとする数値目標)で動いただけのことで、男社会であることに変わりはないのだから、支配者の位置から降りて女性と対等な立場から女性の可能性や能力を自然な形で見い出して数が増えていったわけではないはずだ。

 その証拠に厚生労働省が昨年度女性の管理職の割合等の数値目標を設定、達成企業に15万円から30万円の助成金を支給する制度を設けたものの、昨年度以降、企業からの申請が1件の申請もなかったと、「NHK NEWS WEB」記事が伝えていることを挙げることができる。

 要するに15万円から30万円の助成金を貰ってまでして政府お仕着せの数値目標に機械的に応じても企業利益を見込むことはできないということなのだろうが、裏を返すと、民間企業も男社会であって、女性の可能性や能力を自然な形で見い出してはいないことの現れでもあろう。

 と言うことは官民いずれにしても男社会から脱しない以上、いつまで経っても数値目標を追いかけて、「女性が輝く社会だ、女性が輝く社会だ」と言い続けなければならないことになる。

 大体が2012年の「管理職女性比率の国際比較」は先進国ではアメリカの43.7%に対して日本はその4分の1の11.1%と足元にも及ばない。解決すべき日本の「女性が輝く社会」でありながら、解決できないままに一昨年のこのこと国連に出掛けて、いきなり世界に大風呂敷を広げた。

 安倍晋三らしいハッタリ、いいカッコしいに過ぎない。

 では、安倍晋三が難民問題でどう発言したか見てみる。冒頭発言でも触れているから、先ずそこから見てみる。

 安倍晋三「今年の最大のテーマは、中東や北アフリカから、大量の難民が、欧州へと流入している問題です。

 基本的価値を共有するパートナーとして、日本は、欧州に対して連帯を表明します。

 生まれ育った祖国から、大勢の人々が、逃げ出さなければならなかった現実。その原因は、暴力やテロの恐怖、そして、貧困の恐怖であります。

 貧困から脱出できる道を、彼らが見い出すことができるよう、世界は協力しなければなりません。経済を立て直し、国家を再建する。人々の自立を手助けすることが、問題を解決し、平和を取り戻す、一番の近道であると考えます。

 日本は、経済支援、教育・保健医療での協力を、積極的に行い、難民問題の根本的な解決に、大きな責任を果たしていく決意であります。

 人々に寄り添い、貧困と闘う。60年前、インドの農家と共に汗を流し、農機具の使い方を伝え、スリランカの畜産者たちを悩ませる流行病と共に闘うことから、私たちはスタートしました。

 日本が誇る「ものづくり」の現場の知恵や職業倫理を共有する。アジアやアフリカの若者たちのトレーニングも積極的に行ってきました。現地に足を運び、時間をかけて、人と向き合い、人を育てる。これが、日本のやり方です。今年の国連総会では、世界が手を携えて、貧困の問題に立ち向かう。持続可能な開発を実現する。その強い意志が、新しいアジェンダとして採択されました。

 その中には、人間を中心とした『質』の高い成長、教育の重要性が、しっかりと明記されています。日本が、60年の長きにわたって培ってきた経験、ノウハウを、十分に生かしながら、大きな成果を得ることができたと考えています」・・・・・

 大量の難民の欧州への流入問題で欧州との連帯を表明し、難民を作り出している原因の一つである貧困の解決で世界との協力を誓い、そして「人々に寄り添い、貧困と闘う」という言葉で、あるいは「現地に足を運び、時間をかけて、人と向き合い、人を育てる」という表現で、さも役立った貧困解決の経験であるかのように60年前のインドとスリランカでの取り組みを持ち出して、美しい物語に仕立てて披露している。

 美しい物語に仕立ててと言っていることは、インドについて言うと、インド政府の2011年~12年調査で1日32ルピー(約54円)以下で暮らす人々の全人口に対する割合である貧困率は21.9%、人数にして2億6930万人にのぼると、「開発メディアganas」が2013年7月29日の発信で伝えている状況は、確かにインド自身の経済発展によって60年前よりはずっとましな状態になり(当該記事には「18年前より半減」と書いてある)、日本の取組みにしても少しは役立ったかもしれないが、決して美しい物語仕立てにする程の現状とはなっていないはずだからだ。   

 だが、美しい物語に仕立てて誇らしげに宣伝に努める。 

 問題の記者との遣り取りである。
 
 ブラントロム・ロイター記者「シリアの難民については、日本は新しいお金をイラクにも出すとのことだが、日本が難民を受け入れるという可能性についてはどう考えるか」

 安倍晋三「今回の難民に対する対応の問題であります。これはまさに国際社会で連携して取り組まなければいけない課題であろうと思います。人口問題として申し上げれば、我々はいわば移民を受け入れるよりも前にやるべきことがあり、それは女性の活躍であり、あるいは高齢者の活躍であり、そして出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります。

 同時にこの難民の問題については、日本は日本としての責任を果たしていきたいと考えておりまして、それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えております」――

 大量の難民の欧州への流入問題で欧州との連帯を表明した冒頭発言の舌の根は記者との質疑の持間に来ると、すっかりと乾いてしまったようだ。確かに冒頭発言と同じように「これはまさに国際社会で連携して取り組まなければいけない課題であろうと思います」とは言っているが、日本を除いた「国際社会」を意味していることは、続けた発言が証明する。

 要するに安倍晋三は現在世界的な問題となっている中東から欧州への大量の難民の流入問題を日本としてどうするのかではなく、あくまでも日本の人口問題のレベルで欧州の難民を考えているというわけである。

 だからこそ、冒頭発言の難民が抱えることになっている「生まれ育った祖国から、大勢の人々が、逃げ出さなければならなかった現実。その原因は、暴力やテロの恐怖、そして、貧困の恐怖」等々に寄せた同情は祖国から逃れて欧州に向かう難民に限った彼らへの感情であって、限っているからこその、そのような感情が日本に受入れる形での救済へとは進まないと意味することになる発言へと繋がったと解釈する以外にない。

 いわば少子高齢化で減少していく労働力人口の補充は女性の活躍や高齢者の効率的な起用、そして出生率の向上によって解決していくから、難民の入る人口的余地は必要ないとした。

 と言うことは、2014年の日本の難民申請者数5000人に対して認定数僅か11人という先進国中最低の数字にしても、難民を人口問題として考えているからであって、政治的・経済的事情、あるいは人権上の問題から祖国を逃れ、外国に渡った者の人として生きていく権利があるとする人権を基準とした認定ではないことになる。

 この人権問題を排除した人口上の合理性の凄さにも、安倍晋三の国家主義が現れている。それが他国民であっても、一人ひとりの人間よりも国家に全てを集約させている。

 安倍晋三は難民を日本に受け入れない代わりに、「難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていく」と、冒頭発言で触れた「暴力やテロの恐怖、そして、貧困の恐怖」の解決を約束した。

 だが、ここにはゴマカシ・詭弁が存在する。

 世界の「暴力やテロの恐怖、そして、貧困の恐怖」の問題は一朝一夕には解決できない気の遠くなるような長期的な課題である。しかも中東やアフリカでの軍事的紛争やテロの横行が日々恐怖や貧困を作り出している。60年前のインドやスリランカでの日本の取り組みを持ち出してどうにかなる問題ではない。

 但し欧州流入の大量難民問題は短期的な要解決課題であって、それを暴力やテロ、貧困等の長い持間のかかる長期的な要解決課題にすり替えて、世界が総ぐるみで取り掛かってもいつ達成できるかも分からない後者の解決の約束で以って前者の解決の代償としようとしている

 いわば個別に扱うべき問題を人口問題を口実に同列に扱う狡猾なまでのゴマカシと詭弁がここにはある。

 勿論、受け入れたで終わる問題ではない。欧州各国と同様、日本も難民を受け入れた場合、様々な問題が持ち上がることになって、日本社会への溶け込みには長期の時間がかかるだろう。

 だが、現時点で難民問題で世界と日本が立たされている出発点は長期か短期か、個別に取り扱うべき課題となっていることに変わりはない。

 安倍晋三は狡猾なゴマカシと詭弁を用いて、短期的な要解決課題から逃げた。

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