おしくらまんじゅう(土門拳 1953年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
毎日新聞 2024/1/12 09:00
長い戦争と敗戦後の占領があり、復興と高度経済成長で国民生活が一変した「昭和」。そんな激動の時代をたくましく生きた子供たちに焦点を当てた写真展「写真家が捉えた昭和のこども~みんな、いい顔をしていた」が13日、栃木市立美術館で始まる。写真史に大きな足跡を残した土門拳、木村伊兵衛らが子供たちを撮った約170点を展示する。
コッペパンをかじる(熊谷正一 1953年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
昭和は1926年12月から89年1月までの62年と14日間で、元号としては最も長く続いた。金融恐慌、世界恐慌を経て、日中、太平洋戦争と15年に及ぶ戦争があり、占領期を経て奇跡と呼ばれた経済復興を果たした。人々の暮らしも翻弄(ほんろう)され続けたが、一線の写真家たちは、時代の影響を受けながらも自分の生きる場所で、たくましさ、明るさを失わない子供たちの表情を捉えていた。
煙草をくゆらす戦災孤児(林忠彦 1946年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
今回の企画展は、子供を被写体にした作品の背後に昭和という時代を感じ、同時に困難な時代をたくましく生きた子供たちの姿から生きる力を学んでもらおうと企画した。出展写真家は、他に入江泰吉、熊谷元一、林忠彦、緑川洋一、濱谷浩、桑原甲子雄ら17人。2・26事件があった36年に土門、木村が撮影した作品から76年の桑原の作品まで、暮らしや労働、学校生活、祭りや歳時記などさまざまな場面で切り取った子供たちの表情を集めた。
紙芝居(木村伊兵衛 1954年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
関連イベントとして、27日午前10時~午後4時、足利市立美術館の篠原誠司学芸員を講師に参加者が周辺で写真を撮り、合評するワークショップ「時間めぐり~とちぎの今を写す」(定員15人、参加費300円)、2月7日午後1時半、アーツアライブ代表の林容子氏による講演会「アート×美術館×認知症:アートリップ(対話型鑑賞)の概要と効果」(定員70人、無料)を開く。申し込みは栃木市立美術館(0282・25・5300)。
また、2月25日には杉村浩哉館長による双方向対話型鑑賞「語ろう、昭和のこどもたち」、3月9日には学芸員による子ども向けギャラリートークを予定している。3月24日まで。観覧料は、高校生以上800円。【太田穣】
私は1947年生まれなので「おしくらまんじゅう」、「コッペパンをかじる」、「紙芝居」は自分の子供時代の姿が投影されているようだ。「戦災孤児」という言葉はよく耳にしてきたが、たぶん出逢ったことがない気がするし、煙草をくゆらしている子供は見たことがなかったね。
我々は、現代の子供たちと全く違う世界で育ち、たぶん写真の子供達(先輩なんだろうが)と共に戦後の復興と高度経済成長を支えてきたと思うのだが違うかな?(笑)
毎日新聞 2024/1/12 09:00
長い戦争と敗戦後の占領があり、復興と高度経済成長で国民生活が一変した「昭和」。そんな激動の時代をたくましく生きた子供たちに焦点を当てた写真展「写真家が捉えた昭和のこども~みんな、いい顔をしていた」が13日、栃木市立美術館で始まる。写真史に大きな足跡を残した土門拳、木村伊兵衛らが子供たちを撮った約170点を展示する。
コッペパンをかじる(熊谷正一 1953年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
昭和は1926年12月から89年1月までの62年と14日間で、元号としては最も長く続いた。金融恐慌、世界恐慌を経て、日中、太平洋戦争と15年に及ぶ戦争があり、占領期を経て奇跡と呼ばれた経済復興を果たした。人々の暮らしも翻弄(ほんろう)され続けたが、一線の写真家たちは、時代の影響を受けながらも自分の生きる場所で、たくましさ、明るさを失わない子供たちの表情を捉えていた。
煙草をくゆらす戦災孤児(林忠彦 1946年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
今回の企画展は、子供を被写体にした作品の背後に昭和という時代を感じ、同時に困難な時代をたくましく生きた子供たちの姿から生きる力を学んでもらおうと企画した。出展写真家は、他に入江泰吉、熊谷元一、林忠彦、緑川洋一、濱谷浩、桑原甲子雄ら17人。2・26事件があった36年に土門、木村が撮影した作品から76年の桑原の作品まで、暮らしや労働、学校生活、祭りや歳時記などさまざまな場面で切り取った子供たちの表情を集めた。
紙芝居(木村伊兵衛 1954年)=栃木市提供、企画協力クレヴィス
関連イベントとして、27日午前10時~午後4時、足利市立美術館の篠原誠司学芸員を講師に参加者が周辺で写真を撮り、合評するワークショップ「時間めぐり~とちぎの今を写す」(定員15人、参加費300円)、2月7日午後1時半、アーツアライブ代表の林容子氏による講演会「アート×美術館×認知症:アートリップ(対話型鑑賞)の概要と効果」(定員70人、無料)を開く。申し込みは栃木市立美術館(0282・25・5300)。
また、2月25日には杉村浩哉館長による双方向対話型鑑賞「語ろう、昭和のこどもたち」、3月9日には学芸員による子ども向けギャラリートークを予定している。3月24日まで。観覧料は、高校生以上800円。【太田穣】
私は1947年生まれなので「おしくらまんじゅう」、「コッペパンをかじる」、「紙芝居」は自分の子供時代の姿が投影されているようだ。「戦災孤児」という言葉はよく耳にしてきたが、たぶん出逢ったことがない気がするし、煙草をくゆらしている子供は見たことがなかったね。
我々は、現代の子供たちと全く違う世界で育ち、たぶん写真の子供達(先輩なんだろうが)と共に戦後の復興と高度経済成長を支えてきたと思うのだが違うかな?(笑)
こうした写真を見て、「懐かしい」と楽しむ気分には全くなりません・・天邪鬼ですねえ。
田舎ですから給食なんかなくて、東京で独立していた兄がコッペパンをお土産に。
東京の子供は、こんな美味しいものを食べているのか、と羨んだものです。
東京へ時々連れていかれて(兄が居ましたし親戚も居て)上野を通りました。
地下の連絡通路には私と同じくらいの浮浪児が一杯いました。
「あの子たちはふた親が居ないんだよ」と母に言われ。
初めて自分より不幸な子供の居ることを知りました。
そう、彼らは拾ったシケモク(吸い殻)を吸っていましたねえ。
シケモクを集めてほぐした葉っぱを辞書などの紙で巻き、タバコを作るのです。
売ったかもしれません。
こんな子供たちを残す戦争、もう起きないことを祈ります。
♪戦争が終わって 僕らは生まれた戦争を知らずに 僕らは育ったおとなになって 歩きはじめる平和の歌を くちずさみながら~♪
という私との、たった5年くらいの大きな体験の違いなんでしょうね。
>東京で独立していた兄がコッペパンをお土産に。
へ~っ、即検索です(笑)
なんでも「1946年に、小学校でコッペパンと牛乳の学校給食がはじまりました。」とありますね。
多分牛乳ではなくて、美味しくない脱脂粉乳だったと思います。
上学年?になって牛乳瓶が1本ずつ配られた時は嬉しかったですもの。
>東京の子供は、こんな美味しいものを食べているのか、と羨んだものです。
地方にコッペパンが回ったのも遅かったんですか!
>そう、彼らは拾ったシケモク(吸い殻)を吸っていましたねえ。
上の写真は、発展途上国やアメリカの貧民街をイメージしましたが、KUMIさんは現実にご覧になったんですね。
>シケモクを集めてほぐした葉っぱを辞書などの紙で巻き、タバコを作るのです。
私の父が似たことをやっていたのを思い出しました。
>こんな子供たちを残す戦争、もう起きないことを祈ります。
そうですね!私は何がいやかというと戦時下の子供や今回の地震被災地での子供達の映像です。