健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

越後新発田へ閉眼法要で行く(2)

2012年06月17日 | 5.Weblog

27/22℃
 昨夜の神戸は20時頃からの大雨が朝方まで降り続いたが今日は小康状態となった。6月12日、新発田へ着いて一夜明けた13日は11時から閉眼法要である。朝6時頃、朝食前に新発田の総鎮守とされる諏訪神社付近を散策した。四代藩主、溝口重雄の時代に現在地へ遷座した。歴代藩主による篤い崇敬は町人にまで広がり、夏の祭礼は城下の最大行事として大いに賑わうようになった。この祭礼には珍しく近畿地区の「だんじり」に似た「しばた台輪と称される暴れ曳きの山車が主要町会から諏訪神社まで曳きまわされる諏訪神社から5分も歩くと足軽長屋(国指定重文)と藩主の別荘「清水園」がある。

足軽長屋・清水園の北側の道路は新発田藩元藩主の新発田重家・維新まで存続した溝口秀勝を筆頭に溝口家の菩提樹を始めとする寺院群がある。

   

 この寺院群には10数余の寺院があるが寺の名前は覚えてないが寺院群の一番北側に11時から閉眼法要する我が家の寺がある。

 30分ほどの散策と思い時計をみると7時ちかくだ途中で引き返して高校時代の新発田高校の通学路を60年前とは様相がすっかり変わり見過ごすところだった。市内の区画整備や平成の大合併で旧町名がすっかり変わっている。 上・下鉄砲町・清水谷・鍛治町・立売町・両町・寺町・麩屋町・仕立町・三の町・四の町・上町・中町・下町・東町・職人町・泉町・掛倉・新道・御免町・二の丸・三の丸・新明町・西ヶ輪・外ヶ輪・町裏・○○小路、等々・・・旧町名は全く無く、若い人に旧町名で道を尋ねると首を傾げるのである。

 

 新発田の日本酒の蔵元‟市島酒造”の「王紋」は全国でも名の知れた銘酒です。 NHKのTVドラマ化された「蔵」は原作者の宮尾登美子氏が長くこの蔵元に逗留して書き上げたそうです。 市島酒造の庭園も立派なものです。

 旧町名、上鉄砲町(現諏訪町)は城下町新発田が生んだ明治の大実業家「大倉喜八郎」が鉄砲足軽の子として生まれ幕末に事情があり江戸へ出て財を成したと父親に聞いた覚えがある。また、この町は会津へ行く新発田の出入口で、明治維新の戊辰戦争で新発田藩は江戸幕府側の奧越同盟を離脱し日本海側から上陸した官軍と会津城へ攻め入り、会津藩、9代 藩主「松平容保」は投降した。 このあとホテルに戻り朝食を済ませ、11時からの「閉眼法要」10時過ぎに住職と打ち合わせもあり寺に着くようホテルをでた。

 



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