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飛鳥寺を後にバスは「石舞台古墳」に向かった。案内説明書では石舞台古墳は横穴式石室を持つ方形墳で築造は7世紀初め頃と推定されているそうで被葬者は不明ですが6世紀中頃のころ、この地で政権を握っていた「蘇我馬子」の墓では無いかと言われているそうです。
石の重さの総重量は約2,300tで大規模な古墳古墳だと判明したが当時どうやって花崗岩を載せたのか吃驚です。石舞台の名前の謂れは昔、キツネが女に化け石の上で踊ったとされ、旅芸人も舞台代わりに踊ったのが名前の由来だそうだ。石舞台の見学後近くの「明日香の夢市」で30ほどのお買いもタイムでこの地の名物とやらで草餅を買いバスに戻り、奥明日香で農家の家を改造した「さらら」で昼食だが、道が細くバスは近くまでしか行けず雨の道を100mほど歩き「さらら」に着いた。
隠れ里のランチタイムの「さらら」とは店名の「さらら」は、持統天皇(645~704年:女帝)の幼名「うののさららのひめみこ」から付けられた名前だそうである。ランチは「さらら御膳」だけで参加者35名で満席で貸切となっていた。
食事中、さららの女主人が「さらら御膳」の部屋ごとに説明に回ったが、それによると食材は明日香の地で、ご主人が栽培したものばかりで、上画像の品々は女亭主が飛鳥時代の高貴な方が召し上がったと思われるものを想像した創作料理だそうである。特に黒米(古代米)は飛鳥時代には一般庶民に欠かせない主食で庶民(農民)は副菜は一品料理だったと想像される。(鶏肉と野菜の天麩羅は無かった。)黒米はビタミン類はビタミンB1・B2、ビタミンE、があり美容食やダイエットに効果があるらしい。黒米ご飯食べててみるとごま塩がかかっており一瞬、赤飯と思った。さららの売店では殆ど方が黒米買っていたようである。雨はまだ降り止まず、1時間ほどのランチタイムで次の訪問地で紅葉が綺麗とされている「談山神社」へバスは向かった。
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