時々10/3℃ 立春
昨日は節分、京の花街ではお化けが街を出歩いたそうだ。子供の頃「福は内、鬼は外」と叫びなら煎り豆を家に撒きその豆を歳の数だけ拾って食べるとその年は無病息災で過ごせると喜んでいた。鬼はその頃から「世の中の悪者のイメージ」があり現在でも悪行者扱いにされいる。全国の有名な寺社仏閣ではその年のチャンピオンのスポーツマンや有名で人気のある芸能人が舞台から煎り豆がまかれ、それを拾った人はその年は無病息災で福をもたらすと云われ人気がある。昨日午後から神戸長田神社の「古式追儺式と節分行事」へ詣へ出かけた。境内に入ると福を授からりの来場者が一杯でで神事が始まるところであった。長田神社の「古式追儺式」は室町時代から700年も続く歴史のある神事で、神社で行われる追儺式としては珍しいものであり鬼は神の使者で節分の日に立春を迎えるため邪気を払い、人々の厄を払い、疫病を払うための鬼が登場する。鬼は悪のイメージが強いが長田神社の鬼は「鬼は福」で日本の鬼は「悪」から「神」までの非常に多様な現れ方をしておるようです。この神事は夕方までのスケジュールで14:00 練り込みの後、節分祭開始 15:00 一番太郎鬼が登場(3回) 15:45 赤鬼、姥鬼、呆助鬼(ほおすけおに)、青鬼、一番太郎鬼が登場(2回) 16:45 餅割鬼、尻くじり鬼が登場 16:55 赤鬼、姥鬼、呆助鬼、青鬼、一番太郎鬼の太刀渡し 17:10 赤鬼、姥鬼、呆助鬼、青鬼、一番太郎鬼の太刀渡しの舞まで続くが15:00 一番太郎鬼が登場まで観てきた。
鬼は法螺貝の音と太鼓で登場して厄払いの舞を踊る。
赤鬼を先頭に藁火を掲げ青鬼と他の三鬼が登場し厄払いの神事の舞ので邪気と厄落の踊った。
神事はまだ続くが「赤鬼、姥鬼、呆助鬼、青鬼、一番太郎鬼」が登場舞をみて参道へ引き返した。社務所の前は行列。
何だろうと思い先頭へ行くと福豆が売られていた。昔は神の使いの鬼が袋入りの福豆を舞台から撒いていたようだが怪我人などの安全性も顧慮し販売制になったようである。(神殿前は賽銭箱が無い。)神殿の前には厄除け焼き餅を焼いており、休憩所もある。1時間も立ちっ放しだと脚が付かれるので賽銭代わりに厄除け餅を買って休憩所でお茶はサービスでお茶を貰い、餅を食べた。帰りは参道商店街や市場等よりブラ歩きで恵方巻きと焼きイワシを買って市営地下鉄で帰った。
上画像は我が家の節分の厄落としの、ご膳である。年越し焼きイワシとか言っていたが脂がのり大変美味しく久しぶりの焼きイワシだった。
薩摩の福の神は焼酎がお好きでござったか。吃驚ポンでござる。
福の神が来たらワインで一献と待ちわびている越後の貧乏神が棲みつかれた田舎侍がいると、ご伝言くだされ。
コメント
節分祭の鬼は本来、神様の使者で春になると動植物が活発となり人間の生活に悪い菌が芽生えさせ病原菌をまき散らします。鬼はそれの浄化と人間の厄払いする神事だそうです。
神社の仁王門には鬼の面相で神様をお守りしているのだそうです。
平安時代に大江山の鬼(酒呑童子)が都に出没し婦女を略奪し食べたとか羅生門に悪党が棲みつき悪行を重ねたので鬼は何時の間にか悪者になったようです。
鬼を見ていると、怖い気がしますが、いい鬼らしいですね楽しさが、伝わって来ました 子供達が行ける日だったら、きっと大喜びだったと思いますが、大勢のひとたちで一杯ですね・・・
見せて頂くだけでは、厄ははらわれないでしょうね
夕食の献立、奥様の手料理も加わって、バランスの取れた、榮養満点ですね、きっと良い一年に成る事でしょうね
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関西では神仏の珍しい行事が沢山あります。
京都、壬生寺(新撰組の屯所)でも節分祭で壬壬生狂言がユーモラスに演じられます。
人間に化けた鬼女に青鬼がチョッカイを出すと鬼女に神から授かった煎り豆を投げつけ退治します。ここでも良い鬼です。
長田神社の鬼には角が有りません。人間にとっては良い鬼なのです。
「恵方巻き」は大阪花街発の「縁起海苔巻」です。関西では殆んどの家庭で節分に食べると「縁起が良い。」とされているているようです。
「恵方巻き寿司」が全国区になったのはコンビニの影響だそうです。
子供のいる家庭ではその年の方向に向かって無言で食べているようです。(食事が短時間ですみ、後かたずけが楽)
我が爺、婆の家庭では最初の二齧りていど無言ですが、一機に食べるには無理でその内に喋ってしまいます。
でも、家内は問いかけても黙って食べていました。(笑)
やはり関西、恵方巻きはだまって食するんですか?