健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

全興寺/地獄堂(大阪市平野区)②

2013年11月30日 | 5.Weblog

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平野の地名は平安時代末期にまで遡ることが可能で、古くは摂津国住吉郡平野庄と呼ばれ、平野区は大阪府のほぼ中心に位置する。区内のうち北西部の他は上町台地の南部にあたるが、全体的に見ると平坦な地形で南部を大和川が流れ、古い歴史のある地域とされている。 全興寺は約1300年前に設立された摂津八十八ヶ所霊場で大坂夏の陣で焼失したが万時4年(1661年)頃 再建されとある。 本堂には‟首地蔵尊”が安置されているが、これは徳川家康と豊臣方が争った"大阪夏の陣"の時に真田幸村が、家康が立ち寄ると見られた陣地横の地蔵堂に爆薬を仕掛けて待っていた。果たして家康は、ここに到来したが、たまたま席を立ったときに地雷が爆発したため、家康は助かったが、地蔵尊のお首だけが、ここ全興寺の境内へ飛んできた・・・、家康の身代わりとの首の地蔵尊として、ここ全興寺に伝わっています。(全興寺HPより引用)
 子どもが「紙芝居が始まるようー」と本堂裏から走り出してきた。 本堂の裏へ行くと紙芝居が始める処だった。

  境内には駄菓子や玩具博物館さらにお母さん達の手作りの小物などのワゴンボックス等もあり、紙芝居は大人も子供も皆な笑顔で微笑んでおり、西国33ケ所の石仏像にお線香あげる老女で、全興寺は地域に住む世代をこえた人情味あふれた寺と感じたのである。

 全興寺を平野本町商店街出入り口だが日曜日でシャッタードアーの店が多く、地下鉄平野駅の道筋を聞いてブラリ歩いて東梅田で乗り換え阪急電車、梅田駅へ出る通路を通った。

  この通路阪急百貨店の建て替えで新しくなったが欧米風でお気に入りだが以前の通路の方がよりクラシックでお気に入りの通路である。 大阪は‟太閤秀吉”が築いた城下町だが大阪の繁華街しか知らない我輩は大阪の良さを知った。 TVの放映では「おもろい寺」として「大阪にはお寺の出前がありまっせ」東梅田の夜は「大阪には夜になると出てくる出前お寺がありまっせ」の紹介もしていた。 「あーオモロかった」



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2 コメント

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変わりましたね (もこ)
2013-11-30 17:03:10
50年前ですが、商店街は、もう少し賑わって居た様に思います。
商店街が、人気が無いのは、スーパ-とか、コンビニが、出来た影響でしょうか?{

飾り気が無く、人なっつこさが、大阪だと、思っています。

歴史も、勉強致しました。

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商店街 (Uchan)
2013-12-01 08:05:09
<もこサンへ>
お早うございます。何時もコメント
大阪の街、庶民的で「エーとこ」と思います。(住んでみないと分かりませんが)
 平野商店街の閑散しているのは日曜で休業の店が多いからだそうです。
 時代の移り変わりで車社会、スーパーや住宅は郊外に移動し、地方の中心部の町は高齢社会で「買い物難民」の様相でこまっているようです。
 現代はIT社会、高齢者でもネットスパーなど利用すればさほど困らないのですが
 高齢者でもPCで検索して見る、買う、利用するくらいになりたいですね
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