夕暮れの、あと少しで闇が広がっていこうとする間際、宇宙には月が昇り、金星が輝く。雲があるとはいうものの、燦然と光る金星は、何と美しいのだろう。ヴィーナスと呼ばれる所以だ。反対に、月の美しさにはやわらかさがある。まるで母の子守歌のように。
自然からの恩恵には、こういった天体の見どころもあるが、興味を持たないから、寒いのをわざわざとも言う。然し、月がなければ命は生まれず、育っていくこともない。太陽系の神秘な、未知なる領域でもあるが、引力・潮の満干潮・月齢等は欠かせない条件。
物語の筋が、どんなに入り組んでいようとも、基本は変わらない。人間の生きていく環境は様々だが、生きる術で変わる。宇宙を観、地と語り、心を満たしていくのは、自然しかない。どんなに科学の進歩があっても、作り手が人間である以上、変化は少ない。
災害が起きた時に、慌てることもなく知恵を絞りたいものだが、備蓄していても、使う工夫がなくてはならない。加えて基本は、自分自身の身体と心だ。日本列島は、震源の上に乗っかっているのだから、その覚悟は必要だし、当たり前と受止める心も大切だよ。
資源は必ず尽きるし、救援物資が来るとは限らない。問題は、其処からが重要なこと。自然の環境に、己が適応できるか否かで、命のあり方が変わってくるのだ。逆境時に、柔軟な心で接して、自然体で生きれることが、生死の分れ目だ。今から身体を慣。
友人は、枇杷葉茶を飲んでいたが、この時の言い方が、毒を飲む?だった。効果があると思われますか。覿面、お腹が異様な訴えをしたらしく、短い期間で止めてしまった。そこには人間の思い上がりが見える。自然の力に援けてもらえることに、感謝なし。
お金があるということは、医者に罹るという行為になる。まあ、至極一般的なことではある。然し、薬不信・医者嫌いの者には、払う金もない。従って自然からの恩恵に、感謝しこそすれど、安易に病院に行く気にはならない。死ぬ時には、何処に居たって同じ。
昨夜、冷えるなぁ、と思っていたら、今朝は薄っすらと雪化粧。孫の私立の受験日だ。受験場は寒いので、風邪を引かねばいいが、と案じる。湯島天神さまの鉛筆とお札を、忘れずに持って行っただろうか。何を於いても、ちゃんと問題を解けるように。祈る。
つわ蕗。母が、出来物には葉を焙って揉み、患部に当てればいい。と祖母が話していたと分けてくれた。小さな鉢でもらう。