枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、三隣亡

2017年02月05日 | Weblog

 宇宙を観上げるよりも、暖房のついた部屋に居る方が、快適には違いない。我が家には、そういった類とは無縁なので、外に出る。上弦の月と、金星の輝きに、オリオン座も、大犬座も子犬座も上がっている。昴の星の群れ、北には大熊・小熊が観える。

 朝、目覚めて、仕事に行き、帰宅して雨露凌げる。三度の食事を戴き、節約や倹約をして暮らせるあり難さ。枇杷湯に浸かって、手足を伸ばせる幸せ。休日に、布団を干せること、書籍が読めることに感謝する。筒井康隆氏のモナドの領域を読み終える。

 図書館が、年間の整理時期で、延長をしてもらってもいるので、返却に行かない分、借りた書籍も多い。次は、幻の白馬。郷土の歴史は、ある程度纏めておいた。それにしても、これだけの事柄を、自分の足で調べて回った、と知っているので驚くばかり。

 中学校の歴史の先生で、特に日本史に造詣が深い。戦後の混乱期を、食うや食わずで生き延び、遅くに教師になったので、校長にはなれずであったとか。仔細は存じないが、一つのことにとことん向き合う、真摯な姿を覚えている。恩師の一人でもある。

 再開した時には、退職されて、郷土の歴史の刊行に、取り組んでおられた。名前も顔も覚えていてくれ、授業中の態度まで話してくれた。男前の先生ではなかったが、勉学への興味の尽きない教師であった。亡くなって久しく、疑問を問えないのが淋しい。

 三連休も終わり、明日から仕事だ。タイガースのCDを聴きながら、ブログの更新をしている。夢の中に、見たこともない風景が広がったり、見ず知らずの方が目の前に居たりしたことがあるが、他人の思考が、無意識状態にある時、入り込んでくるらしい。

 そういう状態の時には、意識がないから、きっと助けを必要としているのだ。人間の深層部分には、何が隠れているのだろうか。皆、凡て神の想うさまであり、この宇宙そのものであることも確かだ。神とは、宇宙そのものであり、森羅万象の元でもあるが。

 それにしても、自分の考えることの答えを、書籍で知ることのできることに、少なからず驚愕する。知識は与えてもらえるが、学んでいこうとしなけrば、その意味を成さない。人類の何と愚かな行いを、神は赦しているのだろうか。それともこれが枷なのか。

 長崎茂木。我が家の枇杷葉には、毎年零れんばかりの花芽が付く。但し、天気や気温に左右されることもある。


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