「佐久間象山」は、信州(長野県)松代藩の兵学者で
開国論者でした。昨年、松代に行ってきました。
真田家に伝わった“八橋流筝曲”について調べに
行ったのでしたが、ついでに「佐久間象山」の生家跡と
隣りの「象山(ぞうざん)神社」も見てきました。
松代は 藩校がそっくり残されていて、江戸時代に
タイムスリップしたような静かな町でした。
「象山記念館」に展示されている「佐久間象山」の
写真は「奥田瑛二」によく似ています。
佐久間象山は 5両5人扶持の下級武士でしたが、
その生家は300坪ほどあり、槍・剣術道場、学問所、
硝石製造土置き場などがあったといわれています。
こんな信濃の奥の小藩でなぜと思いますが、1842年
(天保13)に 藩主・真田幸貫が 幕府の海防掛に
任命されたことにより、象山はその顧問となって、
海防の重要性を説く意見書「海防八策」を提出し、
先覚者としてその名を知られるようになったの
でした。
しかし1864(元治元)年、京都で暗殺されると、
お家は断絶、屋敷は藩に没収され、建物も解体
さたとのこと。
開国論者でした。昨年、松代に行ってきました。
真田家に伝わった“八橋流筝曲”について調べに
行ったのでしたが、ついでに「佐久間象山」の生家跡と
隣りの「象山(ぞうざん)神社」も見てきました。
松代は 藩校がそっくり残されていて、江戸時代に
タイムスリップしたような静かな町でした。
「象山記念館」に展示されている「佐久間象山」の
写真は「奥田瑛二」によく似ています。
佐久間象山は 5両5人扶持の下級武士でしたが、
その生家は300坪ほどあり、槍・剣術道場、学問所、
硝石製造土置き場などがあったといわれています。
こんな信濃の奥の小藩でなぜと思いますが、1842年
(天保13)に 藩主・真田幸貫が 幕府の海防掛に
任命されたことにより、象山はその顧問となって、
海防の重要性を説く意見書「海防八策」を提出し、
先覚者としてその名を知られるようになったの
でした。
しかし1864(元治元)年、京都で暗殺されると、
お家は断絶、屋敷は藩に没収され、建物も解体
さたとのこと。