『名古屋叢書』 第25巻 雑纂編 (2)
P.158 「河の辺の翁物語」 加藤磯足
第10話 今は昔、津の国の難波わたりに 「あな嬉野の某(なにがし)」と
字(あざな)つきたる人ありけり。かの人、家に良きことあるときは勿論、
悪き時、悲しきことある時も、すべて゜あな嬉し」とのみ云ふ。
ある時馬より落ちて気絶し、供の者が驚きて、水を求めてきて
顔にかけると、息吹き返し「あな嬉し」と云ふ。 足腰を痛め、
尋常の人ならば 「痛し痛し」といふところを、かの人は「あな嬉し、
嬉し」と何度も何度モ くり返していう。 供の者が、いぶかって
「足腰の痛みをこらえて “嬉し”とはいかなることぞ」と 糾すと、
落ちたままに死んでいたら いかに せまじ。 「かく生きて帰れる
ことは うれしからざらんや」と。
また、ある時、その人の家が火事にあって丸焼けになってしまった。
妻子は泣きまどひてあるに、かの人は、そこでも「あな嬉し」と。
馳せ集まれる人、「かかる折りさえ“あな嬉し” とは、人ぎき悪く
あさましきことと」 云ひければ、「かかる災難に遭っても、妻子
みなやけどもせず、無事だったことは、ほんとに良かった。だから
嬉し嬉し」と。
これより、ますます、かの人「嬉しの某(なにがし)」と渾名される。
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そう、これぞ「プラス発想の権化」。 津には「嬉野(うれしの)」 と
言ふ地名があり、また「嬉野」という姓もある。この人の故事から
町の名になったか?