現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『泰西王侯騎馬図』

2009-12-08 11:35:57 | 会津藩のこと
重要文化財『泰西王侯騎馬図』は、4曲一双で2双ある。
全部で等身大の騎馬が8人描かれている見事な屏風絵だ。
1双は神戸市立博物館(南蛮美術館)にあり、一双はずっと
行くへ不明だった。それが私の子供の頃、サントリー美術館に
現れた。「所有者の名を明かさない」という条件でサントリーが
買いとり、美術館に展示された。いわくありげな登場だ。

私は叔父の牧原源一郎から「この絵は、(東京目黒の)私の家で
預かっていたものだ。『 (太平洋)戦争で疎開させる』とトラックが
来て、いずれかへ持ち去られた」と聞いたことがある。

最近になって、「源一郎氏の長女美智子(私の従兄姉)の嫁ぎ先
高瀬喜左衛門氏宅で預かっていた」と知った。美智子さんが
嫁ぐ前のことだから、高瀬家と牧原家は付き合いがなかった。
それで叔父は、どこへ運ばれたのか知らなかったのだろうか。

高瀬喜左衛門氏は、京都帝大の物理学科を出、会津では漆器の
老舗「白木屋」の社長。推されて会津若松市長になった。江戸
時代以来の豪商の家で、明治以降も会津の復興に尽力してきた。

そしてその後「絵」は・・・・? みな口を閉じて話したがらない。
私の父に聞くと「殿様も戦後は生活苦労されてたからな・・・・」。
そしてすぐ「他言無用」と。私がこの絵についてさらに調べよう
とすると「やめろ」と叱られた。

長らくこの絵は、「会津落城とともに、分捕り品として持ち去られた」
と、いかに薩長が横暴で、暴行と略奪の賊だったかを喧伝するネタと
されてきた。前原一誠は「略奪者」との悪いイメージを持たれていたのだ。
それが最近になって、「前原一誠は会津を救った恩人だった」と、
評価が180度変わってきたのである。

歴史というのは、時間の経過とともに明らかになってくるもので
ある。まこと怖いものである。


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