私が慶応の史学科に入学した 1967年は、明治元年(1868)の
戊辰戦争から丁度100年。さまざまな行事が行われたはずだが、
「上野彰義隊の慰霊祭」しか記憶にない。
慶応の史学科では「100年経たないと歴史学の対象とはならない」
などと言われ、近世史の河北教授のゼミも、元治元年(1864)の
「禁門の変」止まりだった。明治時代は歴史学の対象にはなり
えなかった。
それから40年、ようやく明治が歴史の対象になってきた。
あたかも『坂の上の雲』がNHKで放映されている。
司馬遼太郎は、歴史学者に先駆けて、松山藩の秋山兄弟と
正岡子規を中心に、日清、日露までの明治時代を実に詳細に
掘り起こしてくれた。
もっとも「あれは小説ですから」と、歴史学者は相手にして
いないが、現代人に明治の気概を呼び起こしてくれる。
私にとって、明治が今面白い。ああ、明治の頑固爺じいに
なり、ますます現代から取り残されるか。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
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私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
戊辰戦争から丁度100年。さまざまな行事が行われたはずだが、
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などと言われ、近世史の河北教授のゼミも、元治元年(1864)の
「禁門の変」止まりだった。明治時代は歴史学の対象にはなり
えなかった。
それから40年、ようやく明治が歴史の対象になってきた。
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司馬遼太郎は、歴史学者に先駆けて、松山藩の秋山兄弟と
正岡子規を中心に、日清、日露までの明治時代を実に詳細に
掘り起こしてくれた。
もっとも「あれは小説ですから」と、歴史学者は相手にして
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