後小松天皇の御落胤であった一休は、天皇になるべき
人でしたが、義満が自分の子「義嗣」を天皇にするために
安国寺に押し込められていました。
義満が亡くなり、義嗣の立太子の件も反故にされたの
ですから、一休に「立太子」の話が舞い込んできます。
この時一休17歳。将軍「義持」自ら、一休の元に赴き
ますが、一休は 将軍様に対して「あかんべぇ」をして
追い返したといいます。
そして後小松天皇からも呼び出しを受け、次の天皇を
相談されるのですが、一休は天皇の位を弟に譲るのです。
もし一休が天皇になっていれば、101代天皇になれたの
でした。応永元年1月1日生ですから、よくよく「1」に
縁のある人です。
一休は、天皇の位も肩書きも捨てて、一生を托鉢僧として
生きる覚悟を決めたのでした。
「一休とんち話」の『この橋渡るべからず』は、どちらの端
にもこだわらない中道を説いたものですが、そこには、一休は
父が北朝の天皇、母が南朝の楠木という、全く相反する対極に
ある血を受け継いでおり、南朝からも天皇に祀り上げられる
存在でありながら、北にも南にも与しない生き方を選んだと
いう深い意味が込められているのです。
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