現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

二人の幻庵

2019-05-09 19:54:53 | 戦国武将と城

ネットで「毛利輝元が、関が原の後隠居し、「幻庵宗瑞」と号した
と知ってビックリ。

「幻庵」といえば、北条早雲の第三子で、北条五代にわたって生きた                                       「北条幻庵」。

「宗瑞」は、北条早雲の法号。「宗」の字は大徳寺派の名。
北条早雲の菩提寺「早雲寺」の開基は大徳寺から招いている。

毛利元就がなぜ、北条早雲の「宗瑞」と、その子の北条幻庵の号を
付けたのか。偶然ではないような気がする。ちなみに生歿年は

北条早雲宗瑞 1432 -  1519年歿
北条長綱幻庵 1500年頃?-1589
毛利幻庵宗瑞 1553 -  1625  

毛利輝元にとって北条早雲は 100年も前の人。北条幻庵は
半世紀ほど前。接点はないようだ。

大徳寺で調べてみると、大徳寺の塔頭(たっちゅう=子院)のひとつ
黄梅院が毛利氏の菩提寺となっていた。黄梅院は、信長の父信秀が
開基。信長は最初ここで密葬された。秀吉の死後、小早川隆景が
改築し、毛利家の菩提寺となった。しかし、織田信秀・小早川隆景・
毛利元就・蒲生氏郷の墓はあるが、輝元の墓は無い。

秀吉の小田原北条攻めの際、毛利輝元は京都の守護に当たって
いたから、直接は戦いには参加していない。

はてさて、毛利輝元と北条氏の秘密の接点、どなたかご存知の方
教えてたもれ、と以前書いたところ、お二人から回答いただいた。

一人は「全く関係ありません。単なる偶然の一致」。もう一人は

「関ケ原で領地を減封され、徳川への恨みから、北条氏に思いを寄せたのでは」と。



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