現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ますます巧妙化した劇場型詐欺

2015-01-10 20:24:00 | 虚無僧日記

昨年暮れ、危うく振り込め詐欺にひっかかりそうになったMさんから

本日電話。その後、事無きに済んだかと思っていたら、ますますだそうだ。

 

経過を説明すると。

まず、昨年秋、男女が飛び込みで来訪。 「リサイクルショップの支店を

出すので、この地域を廻っています。骨董、貴金属で不要のモノありませんか。

買い取らせていただきます」と。そこで、いろいろ出して見せたが、

「金目のモノはない」と、何も買い取らずに、丁寧に辞去。

 

実はこれ、家の様子、家族状況、姓名などを探るための 第一ステップ

だったのだ。

 

しばらくして、全く別の会社名でで、郵便物が届き、そこへ電話。

「その書類を 8万円で買い取らせていただきたい」と。同様の電話が

次々に三者から。いずれも「あなたには関係なくとも、私にとっては、

ぜひとも欲しいものなのです。他からも、電話ありませんでしたか。

私に是非、売ってください」と、半泣き声で懇願。

 

そこへ タイミング良く、「テレ朝の〇〇という番組に出ている藤岡です。

いま振り込み詐欺の事例を集めています。最近不審な電話はなかったですか?」と。

 

そこで、「封筒が届き、それを買い取りたいという電話が何件か」と話すと、

「警察に電話しても、被害に遭っていない段階では警察は動いてくれません」。

今度電話がかかってきたら「その封筒は警察に届けました」と言えば、電話は

かけてこなくなります」と、それはそれは親切丁寧に。

 

その後、不審な電話はかかってこなくなり、Mさんは 「テレ朝の藤岡さん」を

すっかり信用してしまった。テレビでも たしかに「〇〇という番組で藤岡さんは

出演している。(もちろん、電話の主は別人。なりすまし)

 

しばらくして、その藤岡さんから電話。「その後、不審な電話は無いですか」と、

そして振込み詐欺の手口をいろいろ説明してくれる。 親切な藤岡さんだ。

そのうち、「渋沢貴金属というのは、渋沢栄一に関係する会社で、まちがいのない

会社です。今、金は上がってきているので、50万円出資して会員になれば、金

50g が、100万円で100g が 送られてきて、しかも、年5万円の配当がつきます。

いつでも解約できます」と、言葉巧みに。

「渋沢栄一」と聴いて、Mさんはすっかり信用。しかし、私同様貧乏神に

とりつかれているMさん。「残念だけど、そんな金はない」と断ると、

今度は「山崎製パンが出資者を募っています。いかがですか」と、いかにも

ありそうな話。

すると、今度は、「消費者問題でいろいろ調べていたら、あなたの名前が

詐欺グループのリストに載っていました。これを消さないと次々狙われますよ。

消すのに2000万かかります」と。

そこで Mさんが私に助けを求めてきた。「詐欺グループのリストに私の名前が

載っているというのです。どうしましょう」と。

すぐに、テレビ朝日の藤岡さん、渋沢貴金属、他。先方の電話番号を

ネットで調べたら、 “危険、あぶない電話” と判明。全部同じ犯人グループ。

これぞまさしく劇場型詐欺か。

それを説明しても、Mさんは 「でもね、藤岡さんは、とても丁寧な話しぶりで、

“あなたと違って” とても親切な方。絶対に信用できる」と、ガンとして言い張る。

 

こうして、振り込め詐欺は、これほど言われているにもかかわらず、昨年

被害額500億円、愛知県だけでも30億円。過去最高とか。

 

金余りの金満家から、どんどん金を吸い取って、世間に還元されるのだったら、

いいじゃないのォ~。 と、貯金の無い私は思うのですがね。

 

 


宮尾登美子さん逝く

2015-01-08 21:10:14 | 虚無僧日記

宮尾 登美子さんが 暮れの12月30日に亡くなられた。88歳。

1926年 高知の遊郭で芸妓紹介業を営む「女衒(ぜげん)」の

岸田猛吾の子として生まれる。 (従軍慰安婦の調達も 彼ら

女衒」の役割だったか)。そんな出自に負い目を感じていたが、

46歳の時1972年(S47)、自分の父母生のことを書いた『櫂』を

自費出版。翌年太宰治賞を受賞し、出世作となる。

 

この作品が、昭和48年、有楽町の芸術座で演じられた。

そのタイトルは『喜和』だった。「喜和」は宮尾登美子の母親がモデルで 

この作品の主人公。劇場の看板に「竹を割ったような性格」と書かれて

あった。 その頃の私は「宮尾登美子」の名も知らなかった。なにせ

彼女もまだ無名だった。その作品の内容も知らず、結局、芝居も観なかったが、

「喜和」という名前に惹かれるものがあった。それで、実はS49年3月に

生まれた長女に、名前を「喜和」とつけたのだ。

当時「太地喜和子」がいたが、「喜和」という名前は珍しく、 娘はよく

「よしかずくん」と男の子に間違えられて、いやだったようだ。

十朱幸代主演で映画化されたのは 1985年(S60)。この時

映画を見て内容を知った。随分暗く地味な映画だった。十朱幸代は

「竹を割ったような性格」とはほど遠く、いつも眉をひそめて、

イジイジした性格で、私はどうも好きになれず失望した。

 

1979年『一絃の琴』で直木賞を受賞。 これは むさぼり読んだ。

邦楽界の一面をみごとに切り取っている。

1983年『序の舞』で吉川英治文学賞受賞。このお題は、創作邦楽で

さかんに使われ、私も鼓との共演で、何度か舞台に立った。

 

そして、『陽暉楼』。鬼龍院花子の生涯』は映画も見、すっかり

宮尾登美子のファンになった。いや「夏目雅子」に惚れた。

彼女は私の妻と同じ「東京女学館」。お嬢様学校だから、

あるCMで、水着姿で足を開いた大胆なポーズが問題となり、

自主退学になったとも。 まだまだそんな時代だった。


統一教会で「一休さん」の講演

2015-01-06 18:34:16 | 虚無僧日記

1/5 これも縁あってでしょうか。 統一教会で、なんと「一休」さんについての

講演をして参りました。「統一」の名の示す通り、世界の宗教の融合を

目指しているとか。キリスト教なのに仏教の話も聞きたいと。

信者の方は「統一原理」を学びながらも、家には仏壇もあり、

先祖伝来の宗派を守っている方も。

 

私は、最近、「仏教とキリスト教」の同一性を研究している。

「聖徳太子が“馬小屋で生まれた”」なんて、あきらかにキリストと

同化させている。日本の神話、神社とユダヤ教の共通点も、

最近さかんに云われ始めている

 

一休と統一原理の共通項は、「弥勒仏(メシア)となって

未来永劫、衆生を救わでやまじ」という点につきる。

議論百出、午前午後2時間ずつ。食事をはさんで5時間。

よい体験でした。

 

 


1/5 大須観音へ

2015-01-05 22:07:21 | 虚無僧日記

午後から、再び「大須観音」へ。

「大須観音」は 国宝の『古事記』を所蔵しているのです。

『古事記』 は 原本は存在せず、ここ大須観音の『古事記』は

南北朝の1371年頃書き写されたものですが、写本としての

最古本とか。

 

「古事記」。そう「こじき」。大阪の四天王寺や、大須観音は

乞食の溜り場だったようです。そういう人たちを受け入れる寺

だったはずです。

ああ それなのに、昨日は 若い僧呂がやってきて、ここは

境内ですから(困ります)」と、立ち退きを命じられてしまった。

お寺までが、不寛容。 そう「吹かんように」と。

 

昨日は、5千人が私の前を素通りして、お布施ゼロ。ところが、

今日は、参拝者もパラパラ。1時間で100人ほどでしたが、

なんと5分に一人の割で、次から次へと喜捨していただきました。

どうした風の吹き回し。空気が昨日と全然 違いました。

今日は通る人 通る人、私の方をじっと見つめていくのです。

目を見開いて、驚きの目で近づいてきて、「いい音色を

ありがとうございます」。また、「この子に 聞かせてやって

ください」と、赤児を抱えた若いママさん。

昨日はいったいなんだったの。昨日あっての今日かと 、もう 

涙が出てきましたわい。

ま、お布施ゼロでも 千円でも 動じない、平常心を養う修行

なのです。


1/5 江南で 初仕事

2015-01-05 17:58:59 | 虚無僧日記

今日1/5は月曜日、官公庁、企業は仕事始め。

私も、江南市商工会議所での「新年互礼会」に招かれて

初仕事。お箏のK先生からの依頼で、「春の海」「六段」

「わらべ歌」など演奏。

商工会議所の会員の中に 慶応 「竹の会」の先輩が

おられてびっくり。「大先生がこんなところまで?」と。

いえいえ、もう、呼んでいただければどこへでも行きます。

仕事があるだけありがたい。今日のお手当てで、やっと

切手が買え、年賀状が出せます。

1月半ばまでに会える方には、手渡しします。 

よろしく。

 


虚無僧は“歩く賽銭箱?”

2015-01-04 20:15:38 | 虚無僧日記

1/4(日) 今日も大須観音へ。ものすごい人。これだけ多いと

反応は全く無い。「大須(おうす)は 人が “多す” ぎる」。

3時間吹いて0。10年間で初めて。3年前までは、10分に

一人は喜捨してくれたものです。 町の空気が変わった。

 

瀬戸内寂聴も云っておられた。「私の法話は無料です。

なのに、花は折る、草木は引っこ抜いて持っていく、

湯飲み茶碗は持っていく。そしてお賽銭もいれない。

岩手の天台寺で、お葬式が出た。いただいた封筒、

中身は1万円。 今時、葬式が1万円なんて」 と。

 

初めてのゼロ。こうまで全く無視されると 心も萎える。 

空しく名古屋駅へ。コンコースも帰省客のリターンで

ものすごい混雑。

すると、若い男性が「布施させてください」と。後ろから

手を合わせてから「ゲ箱」に カランと10円玉一個。

 

結局、今日の収入は10円。嘆いてはいけない。今日も

ゼロではなかった。貴重な“お志の10円”。 どんなに

心温められたことか。

 

それにしても、本職の坊さんが歩いていたって、誰も布施を

差し出す人はいないだろうに、虚無僧は歩いていても、

ホームに立っていても、地下鉄の中でも、こうして喜捨される。

これは不思議。 虚無僧は歩く「賽銭箱」か。


「虚無僧」は C級放送禁止用語?

2015-01-03 21:46:32 | 虚無僧日記

「虚無僧」で検索したら 「中島らも」の講演の中に

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「FM放送の収録をやってる時に俺が『虚無僧』て使ったんや。

そしたらディレクターが『中島さん、すいませんストップです。

たぶん”虚無僧”は禁止用語です』て言うたんや。

『それはおかしい、もしそれが禁止用語やったら、頭丸めて

出家するわ』て言うたんやけど……。これは調べたら 

C級に指定されてたんや」。


「C級?」

「放送禁止用語ていうのはな、ランク付けがされてて、

例えば『気違い』、はA級。 虚無僧はC級。これは

『使い方によっては職業差別になりうる要注意語』で、

例えば『おまえの父ちゃん、虚無僧やろ~』て感じで 

バカにして使うたらアカンていうことや」


「それって『おまえの父ちゃん散髪屋やろ~』でも

アカンのと違いますの?」

「そう思うんやけどな。皆が知ってる放送禁止用語で 『乞食』て

あるやろ。 あれ何でアカンねやろうと思って調べたんや。

そしたら、『日本は世界でも有数の福祉国家である。

失業者や病気で働けない人などに対して 国が保障を

行っている。つまり日本の社会において”乞食”というのは

存在しない。 したがって”乞食”という言葉を使用するのは

好ましくない』て書いてあったんや。俺は街でいつも幻覚を

見てるんやな」

 

「お酒も飲んではらへんのにねぇ」


今年の運勢

2015-01-03 19:08:08 | 虚無僧日記

先日もらった「易」の書では、「七赤金星」は「大殺界」とやらで

さんざんの内容。「今年は何をやってもダメ」とメタメタだった。

次に「高嶋易断」のをもらった。

「骨の折れる問題もあるが、自信と勇気ある行動が評価される。

今までの研究成果や努力の積み重ねが認められる。

しかし、期待したほどの成果が得られない暗示も」

と、表現はまろやか。

「周囲との摩擦を避け、和合を心がけることで大事も小事に」

「困難な時ほど 人物の真価が問われるので 軽薄な言動は

禁物」と、フォローもしてくれている。

 

1月の運勢は「実力が認められて、新年早々多忙だが、慢心や

野心を出せば障害を生む恐れあり。車の運転には十分警戒を」

と。たしかに、1月は 東京での仕事に、NHKの録音と、実力が

試される。緊張のとき。車の運転には、いつも不安を感じる。

肝に銘ずべし。

 


お弾き初め、吹き初め

2015-01-03 18:10:50 | 虚無僧日記

1月3日は、毎年恒例、岡崎のG先生宅で “お引き染め”。

G先生もご高齢で、今年はできるのかと危ぶまれながらの実現。

開催できたことの喜び 一入(ひとしお)。 私もがんばらねばと、

逆に元気をいただく。

1年ぶりにお会いする琴古流の I さんと 『鹿の遠音』を合奏。

息もピッタリ。能楽堂での共演をお願いするも、ご辞退。

謙遜深い方、そんな性格が現れる 品のよい演奏にほれぼれする。

 

一杯飲んで、尺八と箏の合奏。 これも 邦楽愛好家ならではの

楽しみ。おせち料理をご馳走になり、お土産までいただいて、

感謝感謝。

 


今日は大吉 大須観音で虚無僧

2015-01-02 20:18:58 | 虚無僧日記

朝起きてみれば 一面 白銀の世界。

「今日は、虚無僧に行こうと思ったのに、雪では行かれない、

ああ残念」 なんて思ってはいけない。雪景色が見れて良かった。

午前中は 部屋片付けに 専念できて良かったと プラス思考。

すると午後から晴れた。

 

いざ出陣。すると、駅の手前で、「ゲ箱」の紐がほどけて、「ゲ箱」が

落ちた。これも 「縁起でもない、不吉」なんて とらえたら いかん。

 「本番中でなくて良かった」と 感謝の気持ちで、紐を結び直す。

 

昨日の元日は 地下鉄も ガラ空きだったが、今日は一転 満席。

もう今日から デパートも初売り。

 

大須観音もすごい人。 門の外から100mほども、きちんと

2列に並んでいるのには感心する。 地下鉄のホームでも

タコ焼きの店の前でも、きちんと並んで、静かに待っている

日本人の行儀の良さは 世界も注目。

 

しかし、これだけ人が多いと、かえってお布施は期待できない。

それでも、2時間吹いて、6人の方から布施いただいた。

最近は 布施していただく方も、その額もめっきり少なくなった。

昨日の熱田神宮でさえ、万札は皆無、千円札もチラホラ、

10円玉が圧倒的に多い。数年前とは えらい ちがい。

 

そんな風潮の中での、6人の方の お志には、厚く厚く感謝。 

虚無僧に喜捨されるということは、“奇特” なことなのです。

「ごめんね、少なくて」 と 小銭を入れてくれたご婦人。

若い女性も入れてくれた。 これも “稀れ” なこと。

その他(4人の方)は、母親や、父親、祖父母が 子供(孫)に

小銭を持たせて、「入れて来なさいい」と。 指示されて 

3、4歳の子が 素直に小銭を「げ箱」に入れてくれることも奇特。

そんな体験、過去にはないだろうに、虚無僧に喜捨するということが、

本能的に判るようだ。 

4歳くらいの男児が 「今年も がんばってください」と はっきりと 

大きな声で 声援を送ってくれたのも ほほえましい。

世の中 “1億 総 まじめ” な 社会になったと思う。

釈尊 最後の言葉は 「人間は美しい」 だった。

 

中日新聞の「今日(1/2)の運勢

「七福神 夢に現れ 諸事吉運と告げる 大吉運」