見開きの序文には、「非行少年が人になる記録」と書いてある。
横浜市南区にある家庭裁判所補導委託先「仏教慈徳学園」元園長花輪次郎氏(故人)が書かれた実話。
この道43年、1500人の非行少年を我が家に迎え入れ、生活を共に生きてきた花輪家夫婦親子の実践記録である。
当然のことながら登場人物の少年はすべて仮名であるが、島田君という非行少年が更生していくドキュメントに深く感銘。とにかく一般の家族が非行少年の更生のためにここまでやるかと思うほど壮絶な生き様である。
島田君の生い立ちは三歳のときに母親に置き去りにされ、妹と一緒に施設に預けられた。その後島田君は母親と一度も会っていないという。母親の顔も知らない。子供時代を十二歳まで施設で過ごしている。一つ下の妹は、別れたお母さんと一緒に撮った写真を大切に持っていて、今でも施設にいるという。
中学生になると、島田君だけが父親に引き取られるが、その父親はパチンコばかりしていて帰宅が遅く、子供を養う力などなかった状態だった。そんな家庭環境から毎日が面白くないので、小学校の頃から補導歴があり、やがてバイクなどで悪戯をして遊びまわるようになる。
あげくの果てに新宿での夜遊び、無免許運転、傷害事件まで起こしてしまい、家裁の処置で少年鑑別所を経て、この仏教慈徳学園にやってきたのである。
非行少年を収容し、立ち直りを援助する施設として少年院があるが、これに対して普通の一般家庭が家裁から頼まれて受け入れるのが 補導委託先。共同生活をするうえで規則・規律があり、朝のランニングや廊下の拭き掃除で体を動かすこと、石磨きをすること、日記を書くことなどが日課になっている。
少年院と違って開放的で、逃げようと思えはいつでも逃げられるが、多くの少年は立ち直りの努力をしているようだ。島田君の日記には、園長に対する痛烈な批判が書かれているものの、園長の鋭い眼と暖かな園長夫人の食事のもてなしが彼を徐々に変えていく。
いよいよ家裁の最終審判が行われ、彼は園長の予想どおり「不処分」。いま彼は起重機のオペレーターになるという希望を持って、重機の会社で働いている。仏教慈徳学園のご家族、家裁の裁判官や調査官など、お世話になった人たちに感謝しながら・・・。
この本を読み終わって、私は非行少年の更生支援団体で少年審判の付添人などの活動をしているものの、花輪さん家族の苦労を知って、自分の非力さをつくづく感ずるとともに、この本で非行少年の心理、行動の一片を垣間見た感じがする。
今月14日には、今年初めての少年審判の付添人を務める。この本から、少年と面接で話したい沢山のヒントを得た気がする。
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