第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『座標とコンパス』

2011-12-17 13:48:14 | 俺とは(終)

 

『座標とコンパス』について書きたいと思います。

座標は、今、どこにいるのかを知るために必要であり、コンパスは、地図の中で、
今の現在位置を計るために必要である。

要するに、
座標とコンパスの2つ揃って、今の現在位置を知る事ができる。
もし、
地図が無ければ、座標を知ることができない。
地図が社会だとすれば、社会の中の、どの地点にいるのか分からない事になる。

そんな中で、コンパスを持っていても、何の役にも立たないと思う。

今、社会の中での地図を書いたけど、
自分の「生き方」の地図とすれば、どうだろうか。

この世に生を受けたときは、地図は白紙である。
その地図に、どんなのを描けるか、誰一人として同じものはないし、同じだとしたら
ロボットしかないんじゃないかと思う。

自分が描いた地図は、年齢とともに、修正や加筆を加えながら、納得していくものに仕上げていくのだろうと思う。
その過程は、一生続くのだと考えてます。

成人を過ぎて(一般的には大人になって。)、描いた地図の中に、これだけは消せないものがあると思う。
この線だけは、この図だけは、消せないというもの。
それこそが、アイデンティティというものであろう。

逆に、
誰から、描かされた地図の場合。
これは、俺に当てはまるのであるが、当然、自分に納得できてないし、満足も得られない。
ただ、空しさがあるだけ。
アイデンティティもないであろう。
しかし、
俺が病気になって、その事に気づかされ、
妻や子供ら、主治医、臨床心理士など色々な方に、支えられ、
描かされた地図を消し、修正・加筆してきました。
その中で、
【自分は何のために生まれたのだろう】
【自分は、何の意味があって生きているのだろう】
という、子供の頃からの、俺の心の中にあったものの答えを見つけ出す事ができました。

その答えは、
[負の連鎖]を子供らや妻に引き継がせるのではなく、俺で終わらせることだと。

ですから、
[負の連鎖]を断ち切れるとき、俺の中では、子供らが家庭をもち、子供ができて
俺と妻が築いた家庭よりも、質の高い家庭と孫の中に、俺がいない事をが確認できれば、
65歳で、俺の役目は終わります。
役目が終わる=死です。
師匠(ウィルくん)にも、そうやって、話しかけてます。
一緒に死のうなって。

俺の地図の中で、これだけは、消せなかったものでした。
これが、俺自身なのです。
これは、揺らぐことはないです。 

この話は、妻や子供らにも、何遍もしてることです。

それが俺の生き様だとすれば、それでいいと考えていますし、周りの方から、何を言われようとも
かまわないと考えています。

コンパスを常に持ち、
俺みたいな人間を、もうつくらないように歩いていきたいと思いますし、それが俺が生まれて来た意味です。

 


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