梅田は茶屋町かっぱ横丁あたり、通りに面してあります。
綱敷天神社御旅社 北区茶屋町12-5
鳥居くぐって急な階段で写真枠に収まりにくいロケーションです。
社殿左に紅梅が満開でした。
狭いスペース左角に玉姫稲荷神社あるのに今回初めて気づきご挨拶。
2/25は菅原道真公の命日なので、通りがかりお参りしました。
禰宜日記2017/2/25「平成29年 梅花祭」より梅画像拝借
日記一部引用
「今年も春を忘れず、当宮の紅梅はいま見頃を迎えております。
天神さまこと、菅原道真公が九州太宰府へと無実の罪で左遷される際、この梅田の地にお立ち寄りになられ、その時、満開であった紅梅をご覧になられた事が、当宮に天神さまをお祀りする由縁であり、またその時、即席の座席として船の「とも綱」を円座状にして敷いた事から、綱敷の名が興りました。
その時ご覧になられた梅は、後世に「梅塚」と呼ばれ、天神さまの霊跡として篤く信仰され、近世においては、埋立て地であった当地の呼称「埋田」を、この紅梅にあやかって「梅田」と改称されたとも言い伝えられており、梅田の由縁の梅ともいえます。」
その後、かにバス待ってる時に前のビルに反射した光模様が不気味だった。
向かった先は柴山。
帰りは電車で帰ったので、無人駅でゆうりと記念撮影。
エソラは高熱で一緒に行けなかった。
長い時間をかけ自然にまた人間の関わりでも埋め立てられた地でしょうし、そこに道真さんと玉の稲荷さんで縁の神。
最近行くところでやたら白玉とか玉の付く稲荷さんに境外でも行きたくなってしまいます。お旅所の場所よ〜くみてみます。ヒントになりそうで。
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「御旅所」も「歯神社」も、梅田という日本有数の繁華街にあって、そこだけちょっと違う空気が流れていますね。
>この紅梅にあやかって「梅田」と改称されたとも言い伝えられており、梅田の由縁の梅
これは知らなかったんです。
高速バスとかツアーバスを利用するときに、茶屋町のバス駐車場は何度も行ってますが、いつも時間に追われちゃちゃと挨拶するだけの綱敷天神社でした。
綱(つな)を網(あみ)と思いこんでたぐらいです^^
歯神社は、茨木市に溝くい神社がありそこの境内社にも歯神社ありました。
これもなんか意味あるんでしょうね。
かにが一番好きな娘も留守番でした。
ところで御旅所と地図には記載されてますが、綱敷天神社御旅社のサイトには以下のように強調されてます。
臨時で設けられる普通の御旅所とは異なり、常に御祭神が鎮座まします御旅所という事で、当神社では正式には「御旅社」と申します。
その理由は
「御旅社」といいますのは、神様の別荘のようなもので、大阪市北区神山町に御鎮座されます綱敷天神社御本社の神様が夏の渡御祭の際に、地元梅田の町が平穏であるかどうかご覧になられ、その時にお休みになられる為のお社が御旅社です。この御旅社は元々御本社の南にあり、古くには「梅塚天神」とも称され、菅原道眞公がご覧になられた紅梅がありましたが、明治の初年頃にこの梅田・茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があり、現在の地に鎮座致しました。
知っている所は歯の痛みがなくなったとか歯ブラシの供養とか。
一時うちの家族がお祭り日の二分した時があったのですけどその時私はちょうど準備等で扉が空いてお参りしました。同じころ主人はプールで出血でかなりやばかったみたいで電話でびっくりしたのですけど痛みがないってびっくりしていました。私は深読みしてははーんと。
ジョーズか鰐かでしょうか?尾張氏と和爾氏にはまっていますのでそこが関係したら面白いです。
網と綱もかなり興味ありますね。うちで言えば男系家系が網で女系家系が綱、女が相撲なんてあり得ませんが昔はどうだったのか?興味あります。
弁天と八幡っぽくて。3796
その紙をバッグの中で見つけてよくよく読んで見ると、
「梅田の梅」
当御旅社の紅梅は古くは梅塚と呼ばれ、梅田の名の由来にもなったといわれる天神信仰の霊木です。日本三大祭のひとつ天神祭においては、当宮の梅ヶ枝を授かりに、大阪天満宮の神童自ら参拝する慣わしがあり、毎年7月24日には、梅ヶ枝を遣わすという意味の遣梅式という神事が行われます。
「歯神社」
当御旅社から、南東に500mほど離れた飛び地に鎮座する歯神社は、元々は巨石を御神体としてお祀りする稲荷社でしたが、江戸中期に川の洪水があり、あわや梅田も水没するかに思われた時、この巨石が水の流れを歯止めした事から、歯止めの神社、それが転じて歯痛止めに通じるとして、いつしか、歯の神社として親しまれるようになりました。明治になって正式な神社とする為、当綱敷天神社の末社に加わり、現在では歯の大神さまとして世界各地から多くのお参りがあります。なお境内地が小さい為、社務所は御旅社が兼ねています。