茨木市にある総持寺は西国33箇所の札所です。
たぶん3回目の参詣となります。
一回目は孫のエソラが誕生前、娘夫婦と初詣。
2回目はゆうりがイソラ神社お宮参りの帰りに参詣したような。
冬の閑散とした境内の記憶がかすかに。
総持寺近くの蕎麦屋さんはしっかりと覚えてます。
3回目にしてやっと目に留まったものがありました。
亀に乗った千手観音さん。
あちこちに亀モチーフいっぱいです。
平安前期、山蔭の父藤原高房が任地の太宰府に向かう途中、
息子の政朝(山陰)が淀川に落ちて、観音様に祈ると、翌朝大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。
その亀は高房が前日に漁師から買い取り助けて川に放した亀であった。
『今昔物語集』にも収められている「亀の恩返し」として有名なエピソード。
喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。
喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。
数十年後『高房卿の求めに応じて海を渡す』と刻まれた香木が流れ着いたが、この時すでに高房は亡くなっていた。
中納言になっていた政朝(山陰)は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかった。
中納言になっていた政朝(山陰)は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかった。
長谷寺に行き観音様に祈ったところ童子が現れ、この香木を材とし亀に乗った千手観音を刻んだという。
仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
また、山蔭は本尊造立に際し千日間にわたり料理をお供えした縁により包丁道の祖としても祀られる。
仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
また、山蔭は本尊造立に際し千日間にわたり料理をお供えした縁により包丁道の祖としても祀られる。
山蔭流庖丁の元祖であり、日本料理中興の祖とされる。
創建後は、一条・後一条・白河・鳥羽天皇の勅願寺として栄えた。
創建後は、一条・後一条・白河・鳥羽天皇の勅願寺として栄えた。
総持寺参詣される場合は、hideponさんのブログが詳しいです。
平成21年(2009)、前の丑年初詣では、お坊さんがモウォーと吠えて牛王加持 賜った。
今年も丑年なので尋ねてみた。
厄逃れ疫病退散の牛王で、お正月には毎年授与してるそうだ。
12年前に賜ったご朱印は
第22番札所 補陀落山 総持寺
西国33箇所で山号が補陀落山とあるのは、他に第17番六波羅蜜寺。
22も17もイザナミ事象数ですね。
なんで補陀落山なのか、
なんで亀に乗った観音さんなのか調べてみました。
ラサにあるポタラ宮はサンスクリット語の「ポタラカ」に由来します。
チベットも観音信仰の地として知られます。
本来、サンスクリット語の「Potalaka(ポタラカ)」は「白い花が咲く山」のことで、
海と山と空に彩られた美しい景観を「Potalaka (ポタラカ)」を音写し、
「普陀山」「補陀落山」「宝陀山」などさまざまな漢字があてられてきたようです。
そこから観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山、補陀落山に。
チベットも観音信仰の地として知られます。
本来、サンスクリット語の「Potalaka(ポタラカ)」は「白い花が咲く山」のことで、
海と山と空に彩られた美しい景観を「Potalaka (ポタラカ)」を音写し、
「普陀山」「補陀落山」「宝陀山」などさまざまな漢字があてられてきたようです。
そこから観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山、補陀落山に。
インドの伝統的宇宙観の一つに、亀が地上世界を背負うというものがあるそうです。
中国で生まれた道教では、仙人が住むという蓬莱山を背負っているのが亀とされてきた。
亀は神仙思想の世界と現世を繋ぐ動物とも言われています。
補陀落山と蓬莱山は同じものとみていいのかな。
中国で生まれた道教では、仙人が住むという蓬莱山を背負っているのが亀とされてきた。
亀は神仙思想の世界と現世を繋ぐ動物とも言われています。
補陀落山と蓬莱山は同じものとみていいのかな。
亀と観音菩薩の降り立つとされる伝説の補陀落山が合体したのでしょうか。
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