間人港で水揚げされる間人(たいざ)蟹は「幻の蟹」と形容される超高級ブランド蟹。
その味は格別らしいけど、食べたことないです。
間人は、うちらがカニ食べた久美浜と、丹後半島の先の経ヶ岬の真ん中辺り。
そのすぐ近くの海岸にある立岩見学行きました。
先の記事に画像載せましたが、虹かかって幻想的でした。
立岩は東洋のエアーズロックといわれるジオスポットです。
日本列島が大陸から離れた頃の約1500万年前に出来た柱状の巨岩で、高さ20m、周囲40m。
伝説が残っています。
推古天皇のころ、丹後の国三上ヶ嶽(現在の大江山)では英胡・軽足・土熊という3匹の鬼が首領となり人々を苦しめていた。
朝廷は用明天皇第三皇子(聖徳太子の異母弟)の麻呂子親王を大将軍に任命し鬼の討伐に向かわせた。
その道中、戦勝祈願のため大社に立ち寄ると、伊勢の神の化身である老人がどこからともなく現れて、
「この犬が道案内をいたします」と白い犬を差し出す。
やがて鬼との合戦が始まり、劣勢になった鬼は山の奥深くに逃げ込むも、白い犬が持っていた鏡が鬼たちを照らし見つけ出す。
英胡と軽足は官軍に討ち取られ、土熊は現在の竹野で生け捕りにされ、みせしめとして丹後の岩に封じ込められた。
その岩が現在の立岩だと伝わり、今でも風の強い時や波の高い夜などは、鬼の泣き声が聞こえるといわれている。
この立岩を正面に見据えて、間人皇后と聖徳太子の母子像が建っていました。
平成2年竹下内閣の「ふるさと創生基金一億円」の一部を使用し建立されたようです。
聖徳太子の御母である穴穂間人(あなほべのはしうど)皇后は、
蘇我氏と物部氏の争乱を避け、今の丹後町間人(たいざ)に身を寄せたと伝わります。
大和の国へ帰られるにあたり皇后から自らの名間人(はしうど)を賜るも、
畏れ多いと考えた村人は御退座にちなみ間人(たいざ)と読むことに。
この伝説をもとにした母子像です。
母子像の後ろの石柱はなんだろなと思ってたら、
高さ5.5m、中央部が太く奈良の法隆寺の柱と同じ形で飛鳥時代を表現しているそうです。
2013年に久美浜湯元館でカニ食べたことあると、先の記事で書きました。
あの時は宿泊したので、翌朝宿近辺散歩しすぐ近くで二つの祠見かけました。
祠中を除いて
さらに、謎は深まるばかり…
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