東京江戸たてもの園3
銭湯 子宝湯
園内には、昭和初期の時代の店舗が並ぶ一角がある。
そこに銭湯「子宝湯」がある。
老骨の子供の頃には一般的な家庭に内湯があるのは殆ど無く、金持ちの家にしかなかった。
我が家は借家でもちろん内湯などない。
我が家から歩いて7~8分の所にある銭湯に行っていた。
破風作りの入り口、入って左側が男湯、右が女湯になっている。
子供の頃に行っていた銭湯はこの逆で右が男湯だった。
入口には「子宝湯」の暖簾がかかっている。
入るとすぐ右側に番台があり、銭湯の家族の誰かがそこに座り料金を徴収したり、盗難の監視などをしていた。
毎日のように行くので番台の人とは皆顔なじみになっている。
中に入った所から浴場の方を見る。
衣装を脱ぐ広間があり、真ん中に脱いだ衣装を入れる衣装籠と格納棚がある。
格納棚は無い銭湯が多く、床に置いたまま入浴するようになっていた。
右側には大きな鏡が据え付けられている。
男女湯の境の上には大きな柱時計が取り付けられている。
浴場に入ると正面には富士山の絵が描かれている。
これはどこの銭湯に行っても殆ど同じだった。
湯と水が出る蛇口が両サイドと真ん中に並んでいる。
湯桶も片隅に積み上げてあるのだが、ここには無かった。
男女湯の境の仕切り壁には鏡と、その上に大体どこの銭湯にも昔話の絵が描いてあったが、ここにも源平の戦い、壇ノ浦の戦いでの扇の的の絵と、京都五条の橋で牛若丸と弁慶との戦いの絵が描かれている。
一方女湯の正面は、富士の裾野の風景が男湯に続いて描かれていた。
見学に来た子供たちが湯船の疑似体験?をしていた。
こちらの男女仕切り壁にはおとぎ話の絵が描かれていた。
舌切り雀の話と、かちかち山の話が描かれている。
浴槽の方から入口方向を見る。
男湯とは一寸違う造りになっていた。
昔懐かしい銭湯に子供の頃の事が思い浮んだ。
冬の思い出として、銭湯の帰り道、濡れた手ぬぐいの端を持ち、ぐるぐると4~5回まわすと手ぬぐいが凍って棒のようになり、チャンバラごっこをして遊んだことなどが懐かしく思い浮かんだ。
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