読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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改めて繰り返します。
人がいないところや少ないところでは、マスクはしません。電車でも、乗客の少ない時は、車掌さんに(僕は呼吸器機能が悪い旨を伝えて了解を取り)マスクを外して窓を開けます。
マスクをするべきではないところでしないのは、(ロボットではない)人間としての「責任」です。
人と対面するとき、それと密集空間では、マスクをします。意味があるかどうかとは別に、現在の社会でのエチケットだからです(その時は人間を捨てて「ロボット」になります)。
マスクをしていると、メリットもありますね。僕にとっては、汚い髭面を隠すことが出来るのです。誰だって、見っとも無い面を晒すのは嫌じゃないですか。マスクを外している時は、マスクを外していると言う事よりも、髭面を露出してしまっていることに罪悪感を覚えます。
銭湯が「緊急要請」とやらでずっと営業していないものですから、髭を剃っていないのです。毎日、お湯を沸かして自室の洗面台で体を洗っているのですが、電気がつかないために鏡は見れません。
鼻の下の髭が伸びてきてしまって、口を塞ぎそうになっています。そこで、ふと考えました。
「髭がマスクの代わりをしているのではないか?」
人類の脅威となる様々なウイルスは、昔からずっとあった。でもこれまでは、よほどのことが無い限り、マスクなんてしなかった(日本人は例外)。
自然の脅威と人類は、様々な“折り合い”を付けながら、進んで(「進化」と言う言葉は嫌いなので余り使いたくない)きたのです。
今更「科学の力」でもって、「自分(たち)だけが良ければ良い」というのは、虫が良すぎます(「集団性自己中」)。
ただし、「髭」と防御機能を結びつけて考える場合、「女性」の場合はどうなるのか、という問題が残ります。それは又別に、女性は女性の「(複雑な)システム」が備わっているのだと思います。
それを言うと「性差別」の問題にも繋がってくるでしょうし、性別とは別に、人種間(あるいは個人間)でも髭や体毛の濃い薄いがあって、それも下手に表現してしまうと、差別に繋がってくる。
「マスク」をしていれば、そんな面倒なことに関わらずに済む、と言う事なのかも知れませんね。
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三世から久しぶりに(一週間も来ないと「何が起こったのか?」と心配してしまう)メールが来ました。毎回、同じような内容です。「ギリシャが嫌になった、日本に行きたい、でもジョージのビザが取れない」、、、、それは良いのだけれど、「メキシコに行こうかと考えている」由。場当り的に、本当に行っちゃったりするから怖いです。
「メキシコ行くんだったら、僕も連れてってよ」と返信しておきました。僕が、生きている間に一番行きたいところは、メキシコのグアテマラ国境付近のチアバスの山地帯、世界で最も危険な地帯の一つです(でも非常に興味深い、日本産の蝶の祖先型みたいなのがいる)。三世とジョージがガードしてくれたら、可能化も知れんです。
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今日はこの後、大谷君の情報をチェックしつつ、「東アジアの蝶類図鑑」の作成に励みます。
そちらのメールアドレスに連絡してください。