朝日記170605 フレー数理技術と私の夏の午後そして今日の絵
絵は (シーバスリーガル17年)と(かろみっこ)です。
きょうは、自分史関連です。
もう最初の化学企業を卒業して20年になります。
その企業での後輩たちが活躍しているのを知り、ちょとと紹介させていただきます。
徒然こと1 フレーフレー '数理技術”!
徒然こと2 数学ThinkTankの思い出
(シーバスリーガル17年)
徒然こと1 フレーフレー '数理技術”!
もう最初の化学企業を卒業して20年になります。 その企業での後輩たちが活躍しているのを知り、ちょとと紹介させていただきます。
精鋭の数学ThinkTankです。
昭和電工の数理技術
徒然こと2 数学ThinkTankの思い出
以下は、習作自画像ですが、この中の徒然こと 1が、上の数理技術!のことです。
もう50余年も前のことですが、勤めていた化学会社のなかに数学ThinkTank部門をつくりました。
最初はわたくしと若いスタッフの2名でした。数学を応用した化学技術という組織で
微分方程式と数理統計の二つを武器に、製造品質管理からはじまり、研究開発、企画開発など、広範な業務分野の
数学モデルによるコンピュータ技術の適用と開発を展開しました。
この時期は、日本の産業の発展期で、このような数理技術は、コンピュータシミュレーション技術と結合して、先端基盤技術として、航空宇宙技術、素材プロセス、医薬材料分子設計、プラント設計、などへと産学官の連携のもとで展開していきました。日米を中心とする先進国間での熾烈な科学技術革新の競合にあり、現在もまた、Big dataやIoTの背景のもとで、あたらしい革新ラウンドに入っていると思います。
参考:
朝日記170112 習作自画像『酒神礼賛と私の夏の午後』と今日の絵
http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/30fc66bb20a35923fc3c5b297c0e2ca6
参考:その後の進展について (2023年8月投稿)
朝日記230814 レゾナック発足説明会と私の思い
(かろみっこ)
以上
>科学と宗教の鉄の道... への返信
深い啓示的な洞察として読ませていただきました。数学、論理、形而上学、超越論への哲学的論考整理が望まれると思います。(対象ーカテゴリー)、(関数functionー関手fanctor)、(それらの相互の相似構造間の矢印(自然変換))とといった数理構造と信号の論理展開について、数学の「圏論」からの思考パラダイム転換が注目されています。たとえば脳神経系と信号ながれのグラフ・ネットワーク構造などこの筋での現象モデルについての外的情報とそれに対応する内的モデル(意識)との統合的枠組みでのとらえ方が模索されています。つまり人間「意識」の取り込みを如何に論理化できるかです。システム機能論からの延長で、たとえばchatbotなどAIは試行開発期間であるとはいえ、もはや爆発的に一般利用普及過程に入ってきていますね。Googleのchatbot自体がおこなう判断自体の適否の評価判断はやはり生身の人間に直に帰されることには違いないとおもいます。特に第一段階術語論理(first order prediacte of logic)のような量的条件に記述できるものはAI判断は客観的評価内でのfeedbackが効きやすいですが、言語文書記述のようなpredicateつまり第二段階術語論理への論理行為には誤謬を含むということをみとめておかないと悲惨な結果がもたらされることになります。(Goedelの不完全性定理をもふくみます)したがってたとえば圏論からの思考構造とそれによる演算化の応用展開には、ここでたちどまって技術革新論として野放しにせず、結論にいたった前提条件や制約条件の明示について根本論としての専門的公的論議に付すことが必要になります。これは社会的晒し(disposition)として試験期間であることを公的に態度明示すべきことかもしれません。いずれにしても何かむずかしい課題でたとえばchatbotなどからの答えを拝受する社会風習はとどめおくべきとおもいました。ちなみにいま世界的にもっとも信頼の高いスタンフォード哲学百科などで「人工意識」や「意識」の項などをも内容reviewが敵的におこなわれ参考になります。またwikiの英語版なども質が高いと思います。総じて前提として哲学的にmonad論に立ち帰っておくことが前提になっているようです。プラグマティズムの祖であるPeirceにはじまる対象―信号-観察のTriadeの発想がここで生きてきたとみます。デカルトの二元論からスピノザの一元論(qualia)への観念回帰をも含めていますが、哲学系と物理系の学術界は、ここで甲乙の決着をつけたわけではありません。二十世紀の終わりの十年以降、目下一旦休戦して、すくなくとも物理系にも「こころ」について目をそむけることは避けることではたちゆかなくなった、つまり意識と体問題'mind-body problem)、つまり主観への世界との取り組みをみとめて、協力しようというところ(実験)で手打ちをしたとみます。脱線になりますがChatbotって、これは上のle chatbot(長くつを吐いた猫)からきたものとおもい口元をゆるめます。AIのもつ判断誤謬に対する危機感からくるものであるとおもいます。あえて申しますとまずは素朴集合naive set theoryについてのBertland Russelのparadoxからの数学論理解決法からはじまる現代集合論・選択理論は第一術語論理つまり科学技術展開にはそのままみとめたとしても、再度、文章術語論理への形而上系と論理系との関わりに集合論思考との関わりに目を向けることだであろうとおもいます。デカルトのまず「考える」におくその根源はなにか、超越領域-主観への回帰命題としておきます。話の動機が実社会(企業)での数理技術の活躍と今後の期待でしたが、「KPI競合モデル」や「関数接合論」のお話は大変勉強になりました。ありがとうございました。
まとめとしては、以下を掲載する。
https://drive.google.com/file/d/0Bzo-YprM7J9oS052dEQ1dlptRkU/view
こんばんは。
八尾さん、大きな手術で、大変でしたね。存じ上げず失礼いたしました。「頸動脈閉塞のため、5/15 入院-全身麻酔切開手術-6/3退院」
順々のご治療で、ご快癒をお祈り申し上げます。
ラジオ体操の仲間の婦人が卒寿を越えられた方が脊柱管狭窄で、
一年前に退院され、朝の体操をリハビリの一つと自ら課され
毎朝ご一緒して成果をあげておられます。
どうか、Step by stepでご養生されますよう願っています。
コメントいただきありがとうございました。「別紙」で、八尾さんたちが、ローマ軍のような整然たる姿勢で、サイバネティックス・システム・コンピュータの広い基盤での経営革新に陣を進められた記述に感銘いたしました。 興味深く読ませていただきました。
リハビリのある段階に至ったときに、八尾さんのお近くに行ってみたいとおもっています。お茶をしながら、お話できることを希望します。
以下の作品を思い出して、添付もうしあげます。
これは2014年の春の鎌倉七里ヶ浜にすむ友人青木一三さん(千代田化工OB)の御家に立ち寄って、高台からスケッチした絵を音楽絵画にしたものです。このストリームが終わる場面で、八尾さんと横浜のレストランでご一緒したときの写真が出てまいります。懐かしくおもいました。音楽はドビッシーの海をいれています。春一番でした。ご覧ください。
荒井拝 2017/06/06
記
作品1 音楽絵画No.214 春一番
https://www.youtube.com/watch?v=fA2anFQLGCQ&list=WLa-cjCir4AYzHM8opCDLtyyQNVe-avFMU
<口上> 音楽絵画(ヴァリエーション) No.214 春一番 音楽はドビッシーの海
数理技術をベースをお仕事を進められたことに共感します。
あの時代は、新しい道を拓いていくことに燃えていましたね。
私の場合は、サイバネティクス・システム・コンピュータ応用
という言葉でしたが、ほとんど同じ考えでした。別紙。
またお会いしたいですね。
2017. 6. 6 八尾 徹
(私は、頸動脈閉塞のため、5/15 入院-全身麻酔切開手術-6/3退院
してきたところです。手術そのものは成功・リハビリのため若干期間延長。
さらに来週、心臓動脈血管のカテーテル手術のため短期入院します。
脊柱管狭窄による歩行困難は続いていますが、こちらは手術しません。)