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出島和蘭商館跡(長崎市)はとてもオススメ!

2024年04月04日 01時00分00秒 | 良い物・サービス

 西九州新幹線が開通した長崎市のJR長崎駅から路面電車に乗り、3駅目の「出島」電停から徒歩約4分の出島蘭商館跡へ行って来ました♪

↑出島蘭商館跡の説明

↑周辺の地図

↑出島蘭商館跡

 この出島は当初はキリスト教の布教を行うポルトガル人を収容する目的で造られましたが、ポルトガル船の来航が禁止されると、平戸にあったオランダ商館が出島へ移転し、それから218年間にわたって出島には蘭学をはじめ日本の近代化に必要なモノや情報が集まり、それらが日本全国へ広がったようです。

 幕末に日本が開国すると、出島の役割は終わり、明治期からは周辺の埋め立てが進んで、海に浮かぶ扇形の原形は失われました。

 しかし、現在、19世紀初頭の出島へと復元が進んでいましたね。
 現在は第3期事業までが完成していますが、今後も進められ、四方に水面を確保し、19世紀初めの扇形へ完全復元を目指しているようで楽しみですね。

 営業時間や入場料は以下でした♪

<営業時間>
8:00〜21:00

<入場料>
大人520円税込
高校生200円税込
小中学生100円税込

↑入場料案内等

↑入口

↑入口での案内

↑出島内

 また復元された建物等は時期により以下となり、かなり復元されていて、そして中は資料館となっていて、とても展示が充実していました。

<第1期事業完成2000年(平成12年)〜>
・二番蔵(貿易館)
・一番蔵
・料理部屋
・ヘトル部屋
・一番船船頭部屋

<第2期事業完成2006年(平成18年)〜>
・カピタン部屋
・乙名部屋
・三番蔵
・拝礼筆者蘭人部屋

<第3期事業完成2016年(平成28年)〜>
・組頭部屋
・銅蔵
・筆者蘭人部屋(オランダ人書記の住居)
・十四番蔵
・乙名詰所
・十六番蔵

 その他に以下の復元建物等がありました♪

<幕末の復元建物>
・旧石蔵(考古館)
・新石倉

<明治期に建てられたもの>
・旧出島神学校
・旧長崎内外クラブ

<その他>
・ミニ出島(1976年に制作)
・石造日時計(複製)
・陶製の門柱(1954年に移築)
・県指定史跡ケンペル・ツュンベリー記念碑
・出島表門橋(130年振りに完成)
・旗竿跡
・居留地時代の地番境石
・時鐘
・用水池
・荷揚げ場
・瓦敷き側溝
・天秤量り(複製)
・水門

 特に資料については、江戸時代後半の銅輸出や坂本龍馬関連は興味深かったですね。

 以下興味深かったものだけ紹介したいと思います。

 まず入って左側から行ってみました♪

 すると出島内にミニ出島がありましたね♪
 このミニ出島内は河原慶賀が描いたといわれる「長崎出島之図」をもとに1820年頃の出島を模した模型とのことでした。
 縮尺は約1/15で、昭和51年(1976年)に作成したとのことで、その後2012年から長崎県長崎工業高校の生徒によって修復をしてるとは素晴らしいです♪

↑ミニ出島

↑高台から

↑出島の説明

 それから当時使われていた石造り日時計がありましたね♪
 ただ現在は明石市の東経135度を標準子午線としているため、確かに遅れた時間となっていましたね。

↑日時計の説明

↑日時計

 そして明治期に建てられた「旧長崎内外クラブ」に入りました♪

↑室内

 ここは日本人と外国人の社交の場だったようです。

↑旧長崎内外クラブの解説

↑その年表

 それから会員名札入れがあり、当時の人物が興味深いですね。

↑会員名札入れ

↑その解説

 室内にはさすが暖炉があり調度品も素晴らしいです♪

↑室内

 それから他の所で出島の解説がありましたね。

↑江戸時代の出島の解説

 出島は台風等の自然災害や火災により、建物の増改築や護岸石垣の修復が行われ、その姿を少しずつ変えていったようです。

↑これまでの調査と今後の計画
 
 出島では、これまで18世紀後半から江戸時代の陶磁器を中心として50万点以上も発掘されているとは凄いです。

↑出島の発掘調査

↑発掘調査方法

↑様々な建材

↑商館員の食事

 当時の商館員は一日2食で、日々の食事はジャガイモを中心とした簡単なものでしたが、宴会では豪華だったようです。
 ゴミとして貝殻、牛・豚・魚の骨、調味料の容器などが見つかっていてこれらも興味深いですね。

↑タバコ

 それから享保一分金(きょうほういちぶきん)があったのは嬉しかったですね♪
 金貨で現在の1万円くらいの価値でしょうか。1両の1/4が一分金ですね。

↑享保一分金

↑享保一分金の解説

 それからオランダの東インド会社のVOCマーク入り貨幣等もあり興味深かったですね♪

↑各国貨幣

 また貿易の証として棹銅や硬貨の説明なども興味深いです♪

↑貿易の証

 そして日本からの輸出としては陶磁器以外に棹銅や酒、醤油などがあったようです。

↑輸出向け商品の説明

 また輸入としては当時は西洋陶器があこがれだったようです。

↑西洋陶器の説明

↑実際の西洋陶器

↑東洋陶磁と西洋陶磁

↑実際の西洋陶磁

 それから洋式銃も出土したようです。護身用のようですね。

↑出島出土の洋式銃の解説

↑出島出土の洋式銃

↑出島出土の洋式銃の拡大

 そして幕末の出島の説明もありましたね。

↑幕末の出島

 それから坂本龍馬の海援隊との取引の解説もありました。
 ライフル銃1,300も出島から買い入れていたようです。

↑坂本龍馬と出島

 そして沈没してしまった「いろは丸事件」の解説もありましたね。

↑いろは丸事件

 それから組頭部屋・銅蔵にも行ってみました♪

↑組頭部屋・銅蔵の入口

↑室内

↑銅の輸出の説明

 江戸時代では日本の銅山で算出した銅は大坂に集められて精錬、鋳造され、この出島からアジア、ヨーロッパに輸出されちょうです。

↑棹銅入箱

 また当時の海外との貿易の分かりやすい映像説明もありましたね♪

↑映像説明

↑映像説明

 そして屋外には大砲もありました!

↑大砲

↑大砲の解説

 これにもオランダ東インド会社の社章の「VOC」があるんですね。

 ただ、そのオランダ東インド会社も1799年には衰退して解散したようです。オランダがイギリスに遅れをとったのが原因のようです。

↑貿易の衰退

 それからオランダ商館長の長崎出島から江戸参府の状況も興味深かったですね♪
 やはり瀬戸内を船で通って、そして東海道でしょうか。

↑江戸参府

 長崎市の出島和蘭商館跡は、その発掘調査からあまりに展示物が多く素晴らしい内容でとてもオススメです!
 消化不良なので、またぜひこの出島へ行って楽しく学びたいと思います♪

お勧めなお話(2023年下半期)


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