木曜日の午前中、月に一度の…つまりは今年最初の「絵手紙教室」へ行った。前日、前々日と内職を手伝っていたら肩と首が凝りまくり! 母に処方された湿布を失敬した。(本当はこういうことをしてはいけないのだが…)睡眠前の家ヨガも効果があったのだろう。気分的にもすっきりしてから床へつき、一晩寝たら首も再び回るようになっていた。年末年始から色々あった。自分と年齢が2つしか違わない友人の訃報も海の向こう側から届いた。周辺ではインフルエンザが猛威を振るっている。運悪く罹ってしまった人もいる。長期療養中の知人も親戚もいる。自分の場合は手も足も自分の意志で動く。鍵盤上で指が思うように動かない(練習と能力不足)程度で、実際は幸せ病なくらいだ。行きたい場所へ行き、お風呂に入りたいときに難なく湯船に浸かり、上がりたい時に上がる。トイレだって自分で行ける。なんて有難いこと。そして自分の両親も。
話を戻そう。ピアノの断捨離を話題に上げたのは、「絵手紙教室」の先生。査定で〇〇円って高いの?安いの?という、受講生10名に向けられた質問だった。「無料で引き取ってもらった」「3万円」「8万円の値がついた」、と様々な体験談。中には、娘さんのリハビリのためにピアノが必要という方も。我が家にもピアノがある。10名の内、約半数の自宅にはピアノがかつてあった、或は現在もあるということになる。団塊の世代とその子供達の人口は多い。高度成長期の日本で「おけいこ事」で上位を占めたのは、ピアノやエレクトーンだった。70年代はエレクトーン全盛期。絵手紙教室でもピアノの断捨離から、話題はエレクトーンを貰った、あげた、という話になっていた。
私もかつて、「エレクトーンを買い替える時は教えて欲しい。下取り料と送料は勿論、支払うから、と叔母と従妹に伝えて!」と母親に頼んでいたこともあった。自分のオルガンは別の従妹に送付した経験もあり、十分可能だと思ったからだったが、子供の願いは叶わなかった。当初の予定通り、下取りに出して新機種を購入したらしいと母から聞き、「ちゃんと頼んでくれたの?」と愕然としたこともあったっけ。エレクトーンは次々と新機種が発売され、買い替えなければならない高額な楽器だ。そのことを熟知し、懲りている団塊ジュニア世代は、我が子にはピアノを習わせる傾向があると聞いたことがある。
「ネットオークションの前に、もっと身近な人の中に、もしかしたらピアノを欲しがっている人がいるのでは?」
ピアノの断捨離話を聞いた時、まず、そのことが浮かんだ。実際、子供の頃、ピアノが欲しかったと言っていた人が… ここまで考えて、ふと思った。
(でも大人になってから初めて重い鍵盤をたたくと腱鞘炎になるかも。電子ピアノなら新品でも数万円、10万も出せばヤマハで本物に近い音、近いタッチのものもある。人から譲り受けると、その人の想いも存在するだけに、捨てたい時、安易に捨てられなくなるか…)
人に物を譲る時、大まかに二つの種類があると思う。本当に不要なものだから、捨てるつもりだった。欲しい人がいるならどうぞ~というケース。或は、ずっと大事にしてきて、本当は手放したくないけれど、そろそろ断捨離も…「この人なら大切にしてくれるのでは?」と期待もあり譲るケース。実際、「これは自分の形見だから」と本を渡されたこともあった。嬉しいけれど、間違っても読み終えたから、と古本屋へ持っていくような真似は出来ない。
「不要になれば、いつでも捨てて構わないから。勿論、売って貰ってもOK」
ゴミとして処分せず、誰かに手渡す時は、そんな気持ちで渡そうと思っている。間違っても「私が昔、あげたじゃない? あれって使ってもらってる?」「使わないなら返して欲しいんだけど」などと追跡調査はしないよう。
ちょっとでも、そのような気持ちが残っていれば、物には感謝して自分の手で処分したい。或は「大切だったもの」を見知らぬ「誰か」の手へと渡す場を提供してくれるネットは、良い方法かもしれない。
…というわけで、44歳の誕生日おめでとう。年齢を重ねる分、昨日より1つ賢くなってください。