前回の続き~
思わぬ方向へ話が転んでしまいました。ほんとは全く違うことを書くつもりだったのにぃ~
私は大抵、人が話をしている間は、その人の顔をじっと見ている。とはいえ、一対一で相手が日本人の場合は、時々視線を外すようにしている。その方がお互い居心地が良いと思うから。でもグループの場合や講演会であれば、じっと相手を見て話を聞いていることが多い。話者も独りに向かって話をするわけではないから、その間、じっと視線が合ったままということは、まずない。それが「ピアノの断捨離」の時は、気のせいかもしれないけど、ほぼ視線があったままのような気がした。グループの中で発言するということが、どうも苦手で、想いを巡らせはしても何も意見を言わないことの方が多い気がする。実際、私にとって今、音楽は最も楽しんでいる趣味なので、ピアノを手放すという選択肢は全くないのだ。そんな訳で、ここは何も言わない方が良いだろうと思った次第。
ピアノは長続きしなかった私は、10代、20代と、その存在を忘れていた。下宿先でも全く触れようとしなかった。興味がなかった。あの頃の自分がもし、母親に「ピアノを処分したいけど、いい?」と言われたら、Yes,と答えただろう。
そんな私だったのに、事情が変わったのは、32歳の誕生日を迎えた直後に帰国してからだった。我が家には生後2か月の赤ちゃんがいた。甥っ子だ。首が座り、私の膝にも座れるようになった頃、私は長年全く弾いていなかったピアノの鍵盤に触れた。最初は日本の童謡。1歳、2歳と甥っ子が成長するにつれ、ジブリ、特にトトロの「さんぽ」だったり、朝ドラのテーマソング、「こころ」「てるてる家族」そして甥っ子が最も喜んだのは、NHK教育(Eテレ)クインテッドのテーマソングだった。
「ヴァイオリン弾きたい!」甥っ子はそういい、人形たちが弾く姿を必死に真似していた。勿論、ピアノもバンバン鳴らした。楽しむことが何より大切だと思っていたので、ドレミはまだ教えなかった。ヴァイオリンの初期費用がメーカーでなければ7~8千円程度だと知っていれば、すぐに購入したのに。そのことが今でも悔やまれる。
何はともあれ、赤ちゃんの存在が再び私をピアノに向かわせた。「ピアノは憧れだった。ローンで合計55万円支払った」と言っている母に、ピアノを手放す気は全くない。 甥っ子と私が弾くピアノを聴いて喜んでいた。 「孫の役に立った!」「孫万歳!」というわけ。
ピアノとの再開が忘れかけていた子供の頃のエレクトーン熱を復活させた。
「そんなにやりたいなら、大人になって自分で働いてから買いなさい」
これが小学生だった私に母が言った言葉。 甥っ子に10万のヤマハの電子ピアノをクリスマスに贈ってから数年後、やっと自分のエレクトーンが買えた。初めてエレクトーンを目にし、「あれ、欲しい!」と母にせがんでから42年が経っていた。
その後、甥っ子も小学生、そして中学生となり、福岡へ帰省すると真っ先にピアノに向かっていた。勿論、エレクトーンも自由に触らせていた。楽譜がなくても耳で聴いて弾けるタイプ。赤ちゃんの頃から本物のピアノに触らせていて良かったと思った瞬間だった。自宅にピアノがあって良かった、と…。
人生、何が起こるか分からない。今は興味がないと言っていても、赤ちゃんが生まれれば変わるかも。少なくとも私達家族にとって、ピアノは…音楽は人生に彩りを加える存在であるからして… 余程の事が起きない限り、ピアノの断捨離はあり得ないのであった。
次回は「ピアノと猫」について書きます♪